神崎製紙 チャンピオン社の技術導入 キャスト・コーティングでの自社方式から相手方式への全面切替
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1955年4月から自前の技術で"ミラーコート"を生産していた神崎製紙が、1957年9月27日付けで米チャンピオン社とキャスト・コーティングの技術提携を締結し、日本特許第202,421号の専用実施権を得てキャスト設備をすべて相手方式へ切り替えた提携。
- 背景
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塗料を湿ったまま加熱ドラムに押しあてる加工法を工業化した国内メーカーはなく、神崎製紙は1954年10月の新塗料"X-38"と自社設計の塗工機で先行していた。一方、1956年4月の第3次技術調査団は、米国でアート紙が伸び悩んでいるという観察を持ち帰った。
- 内容
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対価はイニシャル25万ドル、ロイヤリティは販売量1トンにつき25ドル、期間は10年。専用実施権の許諾に加えて図面・塗料配合・コーターの運転方法などの資料供与と技術者の相互派遣を含み、1958年3月27日付けで外資法にもとづく政府の承認を得た。
- 含意
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1959年6月に新キャスト・コーターが月産250トンの"ミラーコートK"を出し、同年8月には国産機も改造されて自前方式は消えた。得た独占実施権は1963年からの訴訟で争われ、1967年11月22日の和解まで4年2カ月を要した。
いつ何が起きたか 10件
筆者の見解
自前の技術は、捨てるためにつくられたわけではない
藤井浩氏が交渉の席で確かめたのは、神崎方式がチャンピオン社の特許のコピーではなく、品質でむしろまさっていたという一点であった。その自前の方式を、神崎製紙は1959年8月に自ら止めている。コストと独占という二つの理由のうち、決め手になったのは後者だと思われる。アート紙の3社独占が破れかけていた会社にとって、キャスト・コーテッド紙は独占を保てる数少ない商品で、特許を持たない側で走り続けることの危うさが見えていた。
切り替えには対価がついた。イニシャル25万ドルに加え、1トンあたり25ドルのロイヤリティを10年払う契約で、自前の方式なら要らない支出である。買った独占もそれだけでは守られず、新設のコーターが動き出した1959年の夏には日本加工製紙の"クリスタル・コート"が並んだ。決着までに4年2カ月の裁判と、一部請求で約4億円という賠償請求を要している。技術を借りることと市場を独占することは、同じではなかったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- 神崎製紙の歩み(神崎製紙、1988年)沿革「統制から競争の時代へ」5「生産技術の向上」
- 神崎製紙の歩み(神崎製紙、1988年)沿革「技術革新下の躍進」2「チャンピオン社との技術提携」
- 神崎製紙の歩み(神崎製紙、1988年)沿革「社運をかけた富岡工場の建設」3「トップコートの誕生とアート紙の特殊化」
- 神崎製紙の歩み(神崎製紙、1988年)沿革「試練のスクラップ・アンド・ビルド時代」2「コーティング技術の高度化」