この創業が選んだのは技術ではなく、技術だけで立つという姿勢である。資本金50万円と3人という規模で、電機の大手が目を向けない測定器へ入り、代替のない商品を高い値段で売る。価格の比べようがない市場に身を置けば、値引きに耐える原価も、商品を押し込む販売力も要らない。零細でありながら米GE社の副社長が訪ねてきたのは、その構えが効いた証拠だと思われる。捨てたのは、既製品の商流に乗る道と、量で稼ぐ道の両方であった。
もっとも、要らなかったはずの経営管理は、20年後に請求書として戻ってくる。1967年から始めたコンピュータ計測への開発投資は累積30億円を超え、石油ショックで需要が消えたとき、機種ごとの採算を把握する仕組みが社内になかった。1975年3月期の初の赤字と、翌年に仰いだ富士通の資本参加は、創業の選択が半導体検査装置という主戦場までは用意した一方で、そこへ辿り着くまで自力で持ちこたえる体力は用意しなかったことを示している。技術で立つ会社が、技術を守るために資本を外部へ委ねる——その筋道は、1954年の出発点にすでに埋め込まれていたのかもしれない。