倉敷市の埋立地に高炉を置いたのは1961年で、日本鋼管福山も八幡製鉄君津も神戸製鋼所加古川も住友金属工業鹿島も、まだ稼働していなかった。製鉄所の規模が原価を決める以上、需要が確定してから土地を探したのでは間に合わない。西山弥太郎社長は、千葉を埋立地に築いたときと同じやり方を西日本でもう一度とった。まず用地を造成して1基目の高炉を据え、あとは需要の伸びに合わせて足す方式である。
先に作った分だけ安くついたわけではない。トン当たり設備費は千葉の4万6,000円に対して水島は5万4,000円と見込まれ、後から築いた製鉄所のほうが割高になった。4号高炉の増設も、千葉3号と水島1号・2号を閉鎖することと引き換えに認められた枠内の取引である。1976年3月期には経常71億円の赤字も出た。この判断の当否は、トン当たり原価の優劣ではなく、需要が伸び続けた十数年をどれだけ取りこぼさずに済んだかで測るほかない。