藤本一郎
川崎製鉄・元代表取締役社長
(敬称略) 生年月日 1909年1月1日
学歴 東京帝国大学工学部
出自 —
- 出自
- 1932年3月に東京帝国大学工学部を卒業し、同年4月に川崎造船所へ入社した。1949年3月に川崎重工業の製鉄所葺合工場副工場長となり、1953年10月に川崎製鉄の取締役へ移った。1957年6月に常務取締役、1962年12月に専務取締役、1964年6月に取締役副社長へ進んでいる。神戸の葺合工場を出発点とする製造畑で、東京帝国大学工学部から川崎造船所へ入るという道筋は初代の西山弥太郎氏と重なる。
- 抜擢
- 1966年7月22日、病床にあった西山弥太郎氏が後任に藤本氏を指名し、役員会が副社長からの昇格を決めた。当時の取締役副社長は4人おり、第一銀行の兜町支店長から入社して財務を担った岡田貢助氏、営業畑の乗添利光氏、千葉製鉄所の工場長を務めた植山義久氏が並んでいた。銀行出身でも新鋭工場の責任者でもなく、創業以来の葺合工場から取締役へ上がった藤本氏が指名されており、初代の系譜を継ぐ人選だったと思われる。
- 施策
- 1970年に水島製鉄所の3号高炉が稼働した。炉内容積3,363立方メートルは当時の国内で最大級だった。1974年には同製鉄所の高炉が4基体制となり、同年2月には千葉製鉄所でUOプレス方式による大口径鋼管の生産を始めた。同じ年、フィリピンのミンダナオ島で焼結工場の建設に着手し、ブラジルでは3社合弁による一貫製鉄所の事業化調査に入っている。1977年6月に取締役会長へ退いた。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1977年版 経歴・学歴・出身地・生年・出自
- 日本企業要覧 1964年版 経歴
- 私の履歴書 経済人12「砂野仁」(日本経済新聞社) 経歴