この創業が示すのは、手間賃の下請けに甘んじず独自製品へ向かった選択の重みである。顕微鏡部品や歯車の加工では暮らしが楽にならないという実感から、四兄弟は約8年をかけてリレー式計算機を作り上げ、酷評や資金難をしのぎながら14-Aの製品化にこぎ着けた。現場の下請けで得た資金と技術を独自製品の開発へ注ぎ込んだ積み重ねが、無名の町工場を計算機メーカーへ押し上げていっただろう。
もう一つ見えてくるのは、経営・開発・営業・生産という会社の主要機能を、四兄弟という血縁の内側で分け合った体制の意味である。外部から人材を集める資力に乏しい零細企業にとって、性格と前職に応じて役割が自然に定まった兄弟の分業は、開発の長期化と急な量産化を同時に支える枠組みになっていたと読める。独自製品でなければ飛躍はないという創業期の見立てが、のちの電子式への転換や海外展開を貫く判断の下地になっていったといえる。