カシオ計算機 の歴史

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創業 1946年
創業者 樫尾家
創業地 東京都三鷹市
創業
1946年4月、樫尾忠雄氏が東京都三鷹市に下請けの町工場として樫尾製作所を興した。顕微鏡のボディ加工や歯車の下請けでは暮らしが楽にならず、逓信省を退いた次男の俊雄氏が1949年に銀座で外国製の電動計算機を見たことから、電気回路だけで計算するリレー式の開発が始まる。約8年をかけて1956年にリレー素子341個で14桁の四則演算をこなす機械が完成し、1957年6月に世界初の小型純電気式計算機14-Aを商品化してカシオ計算機を設立した。ただし14-Aで得たリレー式の優位は数年で古び、シャープが電子式を出した翌1965年に001で追随している。
決断
まだ買い手のいない価格帯へ商品を置き、需要そのものを作ってきた。電卓は8桁以上の事務用で3万円以上という常識のなか、1972年8月に表示を6桁に絞ったカシオミニを12,800円で発売し、学生から主婦までを買い手にした。1974年11月にはデジタル電子腕時計カシオトロンで時計事業へ参入し、数える・伝える機能が共通するという理由だけで隣の市場へ移っている。標準品の安さに流れず自社設計の特注LSIを発注する側に回ったことが、1980年の電子楽器カシオトーンと1983年のG-SHOCKを同じ半導体調達力で作れる条件になった。米国の有力各社が電卓から退いた1970年代に、カシオは電卓の量産量をそのまま時計と楽器の原価へ振り向けた。
現況
現在の収益は、電卓の会社ではなく時計の会社のものである。2026年3月期の連結売上高は2,762億円、営業利益231億円。時計が売上高1,849億円・セグメント利益271億円を占め、電卓と電子辞書を含むコンシューマは売上高821億円・利益34億円にとどまる。全社の営業利益を時計だけで上回る構造は、2010年前後の整理から生まれた。液晶ディスプレイを凸版印刷との共同出資会社へ移し、携帯電話端末をNECとの合弁へ統合し、2018年にはコンパクトデジタルカメラから撤退している。2023年6月に登用された初の非創業家社長は、資本コストを上回る収益を確保できるかどうかを、残す事業と閉じる事業の境に置いた。
競合
時計の競争は、精度ではなく価格帯と用途で分かれている。1969年に世界初のクオーツウオッチを製品にしたのはセイコーで、カシオが参入したのは5年後の1974年、機械式の精度で競うのではなく、電卓で覚えた液晶と半導体を持ち込む形だった。両社は現在も同じ腕時計市場にいるが、セイコーはグランドセイコーを独立ブランドにして高価格帯へ寄せ、カシオは1983年のG-SHOCKで耐衝撃という用途を作った。固定客を抱える時計専門店は老舗が押さえていたため、量販店とホームセンターを売り場にしている。老舗が持たない販路を先に取ったことが、後発でも同じ市場に並ぶ条件になった。
カシオ計算機:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 電卓による市場創造と海外展開の起点を築いた時代 (1946年〜)

樫尾4兄弟と世界初の純電気式計算機14-Aの誕生

1946年4月、樫尾忠雄ら樫尾4兄弟は東京都三鷹市に樫尾製作所を設立した[1]。戦後復興期の町工場にすぎなかったが、1957年6月に世界初の小型純電気式計算機『14-A』を商品化し、同時にカシオ計算機株式会社を設立した。[2]当時の計算機市場は機械式かリレー式が主流で[3]、真空管式の部屋一室規模の電子計算機は一部にあったが、事務机の上に置ける純電気式小型機はまだ世界になかった。14-Aはリレー方式を精密に組み上げた製品で、カシオを計算機業界の主要プレーヤーへ押し上げた一台となった。戦後の物資不足のなかで小型純電気式計算機を独力で量産した事実が、町工場から全国メーカーへの飛躍を支えた。

  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1946年4月 樫尾忠雄氏ら樫尾4兄弟が東京都三鷹市に樫尾製作所を創業
    • [2]1957年6月 世界初の小型純電気式計算機「14-A」商品化、同月カシオ計算機株式会社を設立
    • [3]当時の計算機は機械式・リレー式が主流

1960年4月に東京都東大和市の東京工場を完成させて量産体制を整え[4]、1965年9月には電子式卓上計算機を発売した[5]。リレー式から電子式への世代交代を自ら先導する形で、1960年代後半からの電卓戦争の主戦場に立った。ただし転換は自発的なものばかりではない。樫尾忠雄は後年の回想で、1964年のビジネスショウで数社が出品した電子式計算機を見たとき、その小ささと、リレー式に見劣りしないという性能に背筋が冷えたと述べている[6]。同年7月に競合が電子式計算機を発売した衝撃が、リレー式で築いた優位を自ら壊す決断を促した。シャープ・キヤノン・ソニー・東芝など大手が電卓の小型化と低価格化で競り合う時代に、カシオは技術と価格の両面で攻防の中心に立った。

  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1960年4月 東京都東大和市に東京工場完成
    • [5]1965年9月 電子式卓上計算機発売
  • 日経新聞「私の履歴書」(1991年8月23日)
    • [6]樫尾忠雄は1964年のビジネスショウで他社の電子式計算機を見て衝撃を受けたと回想(同年7月に競合が電子式計算機を発売)
  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1946年4月 樫尾忠雄氏ら樫尾4兄弟が東京都三鷹市に樫尾製作所を創業
    • [2]1957年6月 世界初の小型純電気式計算機「14-A」商品化、同月カシオ計算機株式会社を設立
    • [3]当時の計算機は機械式・リレー式が主流
    • [4]1960年4月 東京都東大和市に東京工場完成
    • [5]1965年9月 電子式卓上計算機発売
  • 日経新聞「私の履歴書」(1991年8月23日)
    • [6]樫尾忠雄は1964年のビジネスショウで他社の電子式計算機を見て衝撃を受けたと回想(同年7月に競合が電子式計算機を発売)

カシオミニの衝撃と電卓戦争を制した価格破壊の実現

1970年5月にニューヨーク州へ現地販売会社Casio, Inc.を設立して海外販売の拠点を確保し[7]、同年9月に東京証券取引所第二部へ株式を上場した[8]。電卓戦争が激化するなか、1972年8月に『カシオミニ』を12,800円で発売し[9]、個人向けパーソナル電卓の市場を生み出した[10]。6桁表示で10万円単位までしか計算できない機械はおもちゃではないかという批判が社内外にあり、企画は反対を押し切る形で進んだ[11]。事務所用の8桁機が3万円以上という当時の常識を価格で破った結果、発売から1年半で200万台を超えるベストセラーとなった[12]。同月に東証一部へ指定替えし[13]、10月にハンブルクへ独Casio Computer GmbHを設立[14]、1973年3月には八王子工場も完成した[15]

  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1970年5月 ニューヨーク州に現地販売会社Casio,Inc.を設立
    • [8]東京証券取引所第二部への株式上場は1970年9月(1970年5月はCasio,Inc.設立)
    • [10]1972年8月 「カシオミニ」を発売しパーソナル電卓の市場を確立
    • [13]1972年8月 東京証券取引所第一部に指定替え
    • [14]1972年10月 ハンブルグに現地販売会社Casio Computer Co.,GmbH Deutschlandを設立
    • [15]1973年3月 八王子工場(現・八王子技術センター)完成
  • 日経ビジネス(1975年4月14日)
    • [9]カシオミニ発売価格 12,800円
    • [12]電卓は8桁以上の事務所用で3万円以上という当時の常識を破り、発売から1年半で200万台を超えるベストセラーになった
  • 日経ビジネス(1990年1月1日)
    • [11]6桁表示でおもちゃのような電卓は作れないという批判が社内にあった

価格の引き下げは思いつきではなく、需要をどこに作るかという考え方から出ていた。樫尾忠雄は、新しいものを作れば売れるのではなく、一般の利用者が何を望み、どのような商品なら多くの人に使ってもらえるかを先に置いてきたと説明し、必要としている人へ製品を届けることがメーカーの使命だとして家庭向け商品の開発に取り組んだと述べている[16]。5万円を切る電卓を市販するなど無茶だという同業他社の反発もあった[17]。それでも常に他社より安いものを出すという価格政策を貫き、電卓を手がけて10年目の1975年には従業員2,000人・年間売上430億円と電卓業界の首位に立った[18]。ただし首位の座は減益と背中合わせで、価格競争の代償は収益に跳ね返り続けた[19]

  • 証券アナリストジャーナル(1972年10月)
    • [16]樫尾忠雄は利用者が何を望むかを起点に商品を決めてきたと説明し、必要とする人へ製品を届けるのがメーカーの使命だとして家庭向け商品の開発に取り組んだと述べた
  • 実業往来(1971年9月)
    • [17]5万円以下の電卓を市販するのは無茶だという同業他社の反発があった
  • 日経ビジネス(1975年4月14日)
    • [18]1957年に従業員20人で発足し、1965年に電子式へ切り替え、電卓を手がけて10年目の1975年に従業員2,000人・年間売上430億円(推定)で電卓業界のトップ企業になった
    • [19]常に他社より安いものをという価格政策の王道で首位を築いたが、その道程は減益体質を取り込む道でもあった
  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1970年5月 ニューヨーク州に現地販売会社Casio,Inc.を設立
    • [8]東京証券取引所第二部への株式上場は1970年9月(1970年5月はCasio,Inc.設立)
    • [10]1972年8月 「カシオミニ」を発売しパーソナル電卓の市場を確立
    • [13]1972年8月 東京証券取引所第一部に指定替え
    • [14]1972年10月 ハンブルグに現地販売会社Casio Computer Co.,GmbH Deutschlandを設立
    • [15]1973年3月 八王子工場(現・八王子技術センター)完成
  • 日経ビジネス(1975年4月14日)
    • [9]カシオミニ発売価格 12,800円
    • [12]電卓は8桁以上の事務所用で3万円以上という当時の常識を破り、発売から1年半で200万台を超えるベストセラーになった
    • [18]1957年に従業員20人で発足し、1965年に電子式へ切り替え、電卓を手がけて10年目の1975年に従業員2,000人・年間売上430億円(推定)で電卓業界のトップ企業になった
    • [19]常に他社より安いものをという価格政策の王道で首位を築いたが、その道程は減益体質を取り込む道でもあった
  • 日経ビジネス(1990年1月1日)
    • [11]6桁表示でおもちゃのような電卓は作れないという批判が社内にあった
  • 証券アナリストジャーナル(1972年10月)
    • [16]樫尾忠雄は利用者が何を望むかを起点に商品を決めてきたと説明し、必要とする人へ製品を届けるのがメーカーの使命だとして家庭向け商品の開発に取り組んだと述べた
  • 実業往来(1971年9月)
    • [17]5万円以下の電卓を市販するのは無茶だという同業他社の反発があった

時計事業への越境とLSIカスタム化の選択

カシオミニの成功は、会社を需要創造型のオンリーワン商品路線に決定づけた。1974年11月、電子腕時計を発売して時計事業へ参入した[20]。樫尾忠雄は、電卓競争の激化でやむなく多角化したと受け取られがちだが、実際には電子の応用技術の開発が事業化に乗り出すきっかけだったと説明している[21]。もっとも外からの見方は厳しく、売り出したばかりの電子時計カシオトロンは販売ルートで難色を示された[22]。デジタル表示式の全電子ウオッチへの進出は一つの賭けであり、時計事業でつなぎの資金は付けられても、失敗すれば銀行や商社の管理下に置かれるという指摘も出た[23]。電卓一本足からの脱出は、既存業界の流通秩序へ踏み込む選択でもあった。

  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]電子腕時計発売は1974年11月(有報【沿革】。1974年5月は本店の新宿区への移転)
  • 証券アナリストジャーナル(1976年3月)
    • [21]樫尾忠雄はデジタル電子腕時計への進出は電卓競争による多角化ではなく電子の応用技術の開発がきっかけだったと説明した
  • 月刊経済(1975年1月)
    • [22]売り出したばかりの電子時計カシオトロンが販売ルートで難色を示された
    • [23]デジタル表示式の全電子ウオッチ進出は賭けであり、失敗すれば銀行や商社の管理下に置かれると指摘された

技術基盤の選択でも分岐があった。電卓の主要部分はトランジスタからIC、そしてLSIへ目まぐるしく移り、LSIの時代に入ると各社はLSIメーカーの作る標準品を使うか特注品を発注するかの選択を迫られた。多くのメーカーは標準品の安さに引かれたが、特注を選んだのは世界の電卓メーカーのうちカシオ計算機・シャープ・TIの3社だけだった[24]。標準品ではなく特注LSIを選んだ判断が、後の時計・楽器・電子辞書への技術展開を支えた。1975年9月にはロンドンにCasio Electronics[25]、1979年7月には羽村技術センターを完成させ[26]、同年8月に香港Casio Computer (HK)、同年10月に山形カシオを相次いで設立した[27]

  • 日経ビジネス(1979年10月8日)
    • [24]LSI化に際し標準品ではなく特注品を選んだのは世界の電卓メーカーのうちカシオ計算機・シャープ・TIの3社だった
  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [25]1975年9月 ロンドンに現地販売会社Casio Electronics Co.Ltd.を設立
    • [26]1979年7月 東京都羽村市に羽村技術センター完成
    • [27]香港Casio Computer(Hong Kong)Ltd.設立は1979年8月、山形カシオ設立は1979年10月(有報【沿革】)
  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]電子腕時計発売は1974年11月(有報【沿革】。1974年5月は本店の新宿区への移転)
    • [25]1975年9月 ロンドンに現地販売会社Casio Electronics Co.Ltd.を設立
    • [26]1979年7月 東京都羽村市に羽村技術センター完成
    • [27]香港Casio Computer(Hong Kong)Ltd.設立は1979年8月、山形カシオ設立は1979年10月(有報【沿革】)
  • 証券アナリストジャーナル(1976年3月)
    • [21]樫尾忠雄はデジタル電子腕時計への進出は電卓競争による多角化ではなく電子の応用技術の開発がきっかけだったと説明した
  • 月刊経済(1975年1月)
    • [22]売り出したばかりの電子時計カシオトロンが販売ルートで難色を示された
    • [23]デジタル表示式の全電子ウオッチ進出は賭けであり、失敗すれば銀行や商社の管理下に置かれると指摘された
  • 日経ビジネス(1979年10月8日)
    • [24]LSI化に際し標準品ではなく特注品を選んだのは世界の電卓メーカーのうちカシオ計算機・シャープ・TIの3社だった

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カシオ計算機の沿革1946〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1946〜1979年電卓による市場創造と海外展開の起点を築いた時代カシオ計算機創業——三鷹の下請け町工場から世界初の小型純電気式計算機14-Aへ

1946年4月、樫尾忠雄氏が東京都三鷹市に下請け町工場・樫尾製作所を興し、逓信省を退いた次男の俊雄氏、役所勤めの三男・和雄氏、教員の四男・幸雄氏が順次合流した。顕微鏡部品や歯車の下請けでは将来がないと見た四兄弟は、1949年から約8年をかけてリレー式計算機を開発し、1956年に14桁の四則演算機を完成させる。1957年6月に資本金20万円でカシオ計算機を設立し、同年11月に世界初の小型純電気式計算機14-Aを製品化した。

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★★★
世界初の小型純電気式計算機「14-A」の商品化とカシオ計算機の設立

1957年6月、樫尾忠雄氏ら樫尾4兄弟が、7年におよぶ開発を経て小型の純電気式計算機『14-A』を商品化し、これを製造・販売するためにカシオ計算機を設立した経営判断。部品加工の下請けだった町工場が、自前の計算機で製造業へ転じた。

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★★★
東京工場が竣工
電子式卓上計算機発売★★
Casio,Inc.設立
東京証券取引所二部に上場
個人向け電卓「カシオミニ」の12,800円での発売

1972年8月、カシオは表示を6桁に絞った個人向け電卓『カシオミニ』を12,800円で発売し、事務用が中心だった電卓を家庭でも買える日用品へ変えて、パーソナル電卓の市場を切り開いた経営判断。

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★★★
本店を東大和から新宿へ移転
デジタル電子腕時計「カシオトロン」の発売と時計事業への参入

1974年11月、カシオはデジタル電子腕時計『カシオトロン』を発売し、時計事業へ参入した。電卓で蓄えた電子技術を、時を数えて表示する腕時計へ応用する新規事業であり、のちのG-SHOCKへ続く柱の始まりとなった。

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★★★
ロンドンに英Casio Electronicsを設立
羽村技術センターを完成
香港Casio Computer (HK)を設立
山形カシオを設立
1980〜2018年多角化の限界露呈と主要事業の選別整理を迫られた時代電子楽器『カシオトーン』発売
耐衝撃腕時計『G-SHOCK』DW-5000Cを発売★★
樫尾和雄広東省深圳市にカシオ電子(深圳)を設立
樫尾和雄本店を新宿から渋谷へ移転
樫尾和雄拠点を統合しCasio Singapore Pte営業開始
樫尾和雄当期純損失▲249億円
樫尾和雄八王子技術センター竣工
樫尾和雄広東省中山市にカシオ電子科技(中山)を設立
樫尾和雄当期純損失▲231億円
樫尾和雄営業赤字▲293億円・純損失▲210億円★★
樫尾和雄TFT液晶ディスプレイ事業を凸版印刷との共同出資のオルタステクノロジーに移管★★
樫尾和雄携帯電話端末事業をNECカシオモバイルコミュニケーションズに統合★★
樫尾和宏社長交代(樫尾和雄→樫尾和宏)
樫尾和宏デジタルカメラ事業から撤退★★
2019〜2026年非創業家社長の登場と時計・教育関数2本柱への再定義増田裕一社長交代(樫尾和宏→増田裕一)
増田裕一ランサムウェア攻撃でサプライチェーンが一時停止
増田裕一サウンド・電子辞書事業の構造改革と資本コスト基準での事業選別を表明
高野晋社長交代(増田裕一→高野晋)
出典・参考
  • カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル(1972年10月)
  • 日経ビジネス(1975年4月14日)
  • 証券アナリストジャーナル(1976年3月)
  • 日経ビジネス(1979年10月8日)
  • 日経ビジネス(1990年1月1日)
  • 日経新聞「私の履歴書」(1991年8月23日)
  • 実業往来(1971年9月)
  • 月刊経済(1975年1月)

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