メイコー日本ビクターのサーキット事業譲受による外部成長への転換
自前で工場を建て続けた専業メーカーが、なぜ他社の基板部門と147人を引き取ったか
- 概要
- 2008年1月30日、メイコーが取締役会で日本ビクターとの事業譲渡契約の締結を決議し、同日契約を結んで3月31日にサーキット事業を譲り受けた経営判断。創業以来、工場を自ら建てて伸びてきた同社が、他社の基板部門を丸ごと引き取った最初の大型案件にあたる。
- 背景
- メイコーは中期事業計画の中核に「事業規模の拡大」を据え、中国広州・武漢、ベトナム、欧州へ拠点を広げていた。譲渡側の日本ビクターは2007年8月に総額350億円の第三者割当増資でケンウッド陣営を迎え、松下電器産業の連結子会社から外れた直後にあたる。
- 内容
- サーキット事業の流動資産・固定資産の一部と、事業部門の従業員147名を引き継いだ。取得原価は12億9,954万円、のれんは3億1,809万円で5年間の定額償却とした。譲受の理由は技術力と顧客基盤の取得による事業拡大と国際競争力の向上に置かれた。
- 含意
- 引き継いだ横浜工場は、リーマン・ショック後の2009年3月期に宮城工場との統合を前倒しして畳まれた。一方で2008年4月に合流した研究開発部隊は体制強化に加わり、2009年5月のメイコー研究開発センター開設へつながった。
買収で足したものと、買収では足せなかったもの
12億9,954万円という金額は、この年の同社の連結売上高785億円に照らせば小さい。それでも、創業から33年にわたり自ら工場を建て、自ら人を雇って伸びてきた会社にとって、他社の事業部門をそのまま受け入れたことの意味は金額では測りにくい。移籍した147名のうち、研究開発部隊は翌月から共同研究に加わり、生産部門は1年足らずで宮城へ移された。事業譲受という一つの取引が、社内で二通りの扱いを受けた点にこの案件の性格がうかがえる。
買えたのは技術と顧客と人で、買えなかったのは市況であった。契約を結んだ2008年1月の時点で、同社は「デジタル家電の持続的拡大」を前提に供給体制を厚くしており、サブプライムローン問題の影響は懸念材料として並記される程度にとどまっていた。半年後にはベトナムと武漢の稼働を遅らせ、譲り受けたばかりの横浜工場を畳む判断へ動く。以後もメイコーの成長の主軸は自社工場の建設に置かれ、2019年11月のベトナムEMS会社の持分取得、2022年9月の組み込み2社の子会社化と、買収は主軸を補う位置に置かれ続けている。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
「事業規模の拡大」を掲げた2000年代
2000年代のメイコーは、中期事業計画の中核に「事業規模の拡大」を据え、大規模生産拠点の建設と生産設備の増強で供給体制を厚くしていた。国内では高密度配線板を担う宮城工場に隣接する土地と建物を取得し、海外では中国武漢の第一工場を拡張しながら第二工場の建設を進め、ベトナムにも新工場を建てていた。2008年3月期の連結売上高は785億円、経常利益は68億円で、前期から売上を2割伸ばしている[1][2]。
増えていたのは工場と人であった。2008年3月末の連結従業員数は8,937名で、前期から2,151名増えている。増員の内訳は中国武漢工場で1,650名、中国広州工場で309名と、そのほとんどが海外の量産現場であった。自前で建て、自前で人を雇い、量で伸びるという作り方が続いており、他社から事業を買った実績はほとんどなかった[3]。
譲渡側で起きていたこと
相手方の日本ビクターは、2007年7月24日にケンウッドとの経営統合に向けた資本・業務提携を発表していた。総額350億円の第三者割当増資をケンウッドが200億円、スパークスが運用するファンドが150億円引き受け、同年8月10日に実施される。親会社であった松下電器産業の持株比率は52.4%から36.8%へ下がり、日本ビクターは連結子会社から持分法適用関連会社となった[4]。
統合後の日本ビクターが柱に据えたのは、カーエレクトロニクス、ホーム&モバイルエレクトロニクス、業務用システム、エンタテインメントの四つであった。自社製品に載せる基板を自ら作るサーキット事業は、その四本のいずれにも入っていない。電子部品を内製する部門を手放す側と、基板の技術と顧客を欲しがる側の利害が、2008年初めに重なった[5]。
決断
2008年1月30日の取締役会
2008年1月30日、メイコーは取締役会で日本ビクターとの事業譲渡契約の締結を決議し、同日契約を結んだ。契約の内容は、日本ビクターがサーキット事業に係る流動資産及び固定資産の一部を譲渡すること、同事業部門の従業員147名を移籍すること、メイコーが対価として適正な価格を支払うことの三点である。有価証券報告書は譲受の理由を「技術力、顧客基盤の譲受により事業拡大と国際競争力の向上を図るため」と記した[6]。
公表時点で明かされていた対象事業の規模は、直近売上高55億2,000万円であった。取得の目的として同社が挙げたのは、デジタル家電の拡大と車載関連需要の増加に対応するモジュール基板・パッケージ基板の拡大であり、そのための最先端技術の開発と商品力の強化にあった。日本ビクターのサーキット事業は、薄板化と絶縁性能に優れたVIL工法などの技術を持っていた[7]。
13億円で買ったもの
事業譲受日は2008年3月31日、すなわち決算期末の当日であった。取得原価は現金12億9,954万円。受け入れた資産は流動資産2億8,854万円と固定資産6億9,290万円の計9億8,144万円で、負債の引き受けはない。差額の3億1,809万円がのれんとして計上され、今後の事業展開によって期待される将来の収益力を発生原因として、5年間の定額法で償却することとした[8]。
連結損益に含まれた取得事業の業績は、期末日1日分にとどまる。この年の同社の固定資産は22億7,800万円増えており、国内での増加分は主に日本ビクターからのサーキット事業譲受、海外での増加分は中国武漢工場と広州工場の生産設備増強によるものであった。自社で建てる投資と他社から買う投資が、同じ年度の貸借対照表に並んだ[9]。
結果
半年後に来た市況の急変
譲受から半年後、世界的な金融危機が受注を直撃した。2009年3月期の連結売上高は758億円へ減り、経常利益は68億円から9億円へ落ちる。同社は進めていたベトナム工場と中国武漢第二工場の稼働開始を延期し、設備投資のタイミングを見直した。あわせて、横浜工場と宮城工場の統合を前倒しし、世界の各拠点で人員の適正化に着手する。連結従業員数は1,314名減った[10][11]。
統合された横浜工場は、日本ビクターから譲り受けた拠点であった。2008年3月期の有価証券報告書には設備の一覧に横浜工場が載り、翌期の設備計画には高精度量産設備の増強にあたって「横浜工場より機能移管」と記されている。譲受からわずか1年で、生産の場は宮城へ移された。買ったのは工場そのものではなく、そこにあった技術と顧客と人であったことが、この移管に表れている[12]。
残ったのは研究開発の人員
工場が畳まれる一方で、人は残った。2008年4月から元日本ビクターの研究開発部隊が加わり、同社は信州大学ほか複数の大学との共同研究を含む研究開発体制を強化する。2009年5月にはメイコー研究開発センターを開設[14]し、研究開発体制の再編・拡充にあたった。2009年3月期の研究開発費は電子回路基板部門11億6,100万円を含めて総額11億9,300万円であった[13]。
譲受で得た技術の行き先は、部品内蔵基板とセミアディティブ基板の開発であった。同社は2009年1月のプリント配線板EXPOでこれらの研究開発品を展示し、2010年の商品化・量産化に向けて開発を進めている。のれんの償却が終わる2013年3月期までに、事業の輪郭は横浜の工場からモジュール基板・パッケージ基板の商品群へ移っていた。2022年9月にはメイコーエンベデッドプロダクツとメイコーエンベデッドテクノロジーを子会社化[16]し、組み込み事業を厚くしている[15]。
- メイコー 有価証券報告書(2008年3月期・連結)【主要な経営指標等の推移】
- メイコー 有価証券報告書(2008年3月期)【対処すべき課題】
- メイコー 有価証券報告書(2008年3月期)【従業員の状況】
- メイコー 有価証券報告書(2008年3月期)【経営上の重要な契約等】
- メイコー 有価証券報告書(2008年3月期・連結)【企業結合等関係】
- メイコー 有価証券報告書(2008年3月期)【財政状態及び経営成績の分析】
- メイコー 有価証券報告書(2008年3月期)【設備の状況】
- メイコー 有価証券報告書(2009年3月期・連結)【主要な経営指標等の推移】
- メイコー 有価証券報告書(2009年3月期)【経営成績の分析】
- メイコー 有価証券報告書(2009年3月期)【研究開発活動】
- メイコー 有価証券報告書【沿革】
- M&A Online(2008年1月30日)「メイコー<6787>、日本ビクター<6792>からプリント配線板などのサーキット事業を取得」
- ITmedia NEWS(2007年7月24日)「ビクターとケンウッドが経営統合へ 正式発表」
- ITmedia NEWS(2008年5月12日)「ビクターとケンウッド、共同持株会社を設立」