ナカニシ歯科用高速回転技術を応用した工業用切削・研磨機器事業への参入
歯科で確立した毎分数十万回転の技術を、なぜ別の産業へ向けたか
- 概要
- 1982年6月、ナカニシ(当時の中西歯科器械製作所)は、歯科治療用ハンドピースで培った毎分数十万回転の高速回転技術を応用し、工業用の切削・研磨機器の製造・販売に乗り出した。祖業の歯科を続けながら同じ回転機構を工業分野へ広げ、歯科・工業の二分野体制へ移行した経営判断であった。
- 背景
- 歯科器械は市場そのものが小さく、1980年代に入ると国内の歯科市場は飽和の傾向を強めていた。回転機器という一点に技術資源を集めてきた同社にとって、単一市場への依存は次の成長を描きにくくする制約でもあった。
- 内容
- 精密部品加工の超精密高速スピンドル、基板などの小径穴あけに用いるハイトルクスピンドル、貴金属や金型を研磨するマイクログラインダーなど、機械装着用の回転機器を投入。ミクロン単位の精度を要する加工現場を新たな市場とした。
- 含意
- 工業用は参入当初こそ規模が小さかったが、ITの普及を追い風に歯科に次ぐ第二の核へ育った。祖業を畳まず一つの回転技術を別の産業へ広げた構えが、のちの高収益と海外展開の素地となったとみられる。
一つの技術を二つの市場へ
この参入を、狭い歯科市場に行き詰まった企業の多角化と読むだけでは、事の本質を取り逃がす。ナカニシが工業用で手掛けたのは新しい事業の立ち上げというより、毎分数十万回転でぶれずに回すという一つの技術を、歯科と工業という性格の異なる二つの顧客へ同時に貸し出すことであった。祖業を畳まず、同じ回転機構を別の産業へ広げる。小径高速スピンドルが競合の少ない領域で優位を築けたのも、歯科で数十年をかけて精度と信頼性を磨いてきた蓄積があったからだとみられる。
もっとも、工業用がすぐに会社を支える柱になったわけではない。参入から18年が経った2000年でも、その売上構成比は15%ほどにとどまり、歯科が主柱である事実は動かなかった。ITの普及という外部の追い風が重なって、ようやく工業用は伸び足を得た面もある。それでも、単一の市場に技術を閉じ込めず応用の窓を早くから開けておいたことが、後年の成長の素地になったといえる。飽和が見えた早い時期に一つの強みを複数の市場へ差し向ける構えを作った点に、この判断の価値がうかがえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
歯科用高速回転技術の確立
ナカニシの源流は、1930年に中西治雄氏が栃木県鹿沼市で起こした歯科器械の専業メーカーにさかのぼる。歯科用回転機器の精密加工技術を自前で蓄え、創業から四十年あまりを経た1971年には、毎分40万回転という超高速で回るタービンの製造を始めた。歯科治療では患部を削るハンドピースの回転数が高いほど切削が速く、患者の負担も小さくなる。中西英一社長は後年の寄稿で、創業以来この高速回転技術に特化して独自のノウハウを蓄えてきたと記している[1][2]。
もっとも、歯科器械は市場そのものが小さく、1980年代に入ると国内の歯科市場は飽和の傾向を強めていた。器械全般を広く手掛けるのではなく回転機器という一点に技術資源を集めてきた同社にとって、単一市場への依存は次の成長を描きにくくする制約でもあった。1981年6月には有限会社中西歯科器械製作所を株式会社へと改め、事業基盤を整えた。回転機器で磨いた技術を歯科以外のどこへ向けるか、次の柱を探す必要が高まっていた[3][4]。
決断
高速回転技術の工業用への転用
1982年6月、ナカニシは歯科用で磨いた毎分数十万回転の精密な回転機構を応用し、工業用の切削・研磨機器の製造・販売に乗り出した。歯科診療で使う高速回転のハンドピースと、金型や基板を削る工業用のスピンドルは、用途こそ違えど、超高速でぶれることなく回す機構という一点で技術が地続きである。祖業の歯科を畳むのではなく、同じ回転技術を別の産業の顧客へ差し向ける、二分野体制への出発点となった[5][6]。
工業用として送り出したのは、精密部品の加工に用いる超精密高速スピンドル、基板などの小径穴あけに威力を発揮するハイトルクスピンドル、貴金属や金型を研磨する汎用性の高いマイクログラインダーといった機械装着用の回転機器であった。いずれもミクロン単位の精度を要する加工現場を市場とし、なかでも小径高速スピンドルは競合の少ない領域で、ナカニシは早い段階から優位を築いていった。歯科の単一市場に頼ってきた事業構造は、ここで二本の足へと組み替えられた[7]。
結果
第二の柱としての工業用の成長
工業用は、事業を興した当初こそ規模が小さかったが、1990年代後半からのITの普及が追い風となった。携帯電話の金型成形や小型精密部品の加工に同社のスピンドルが用いられ、需要が広がっていった。前期にあたる2000年2月期には、売上高73億円のうち工業用が15.5%を占めるまでになり、その内訳は手作業用グラインダーが7.0%、小径高速スピンドルが5.9%であった。中西英一社長は、工業用は事業開始から18年を経て歯科に次ぐ第二の核へ育ったと説明している[8]。
二本柱の構造は、片方の市況が鈍っても他方が補う安定をナカニシに与えた。収益を支えたのは、開発から製造・販売までを自社で握るものづくりであり、部品の内製化率は80〜85%に達して高い価格競争力を保った。工業用はその後も小径高速スピンドルを軸に伸び、2000年の株式公開を経て、ナカニシが回転機器の専業として海外へ事業を広げていく際の第二の推進力となっていく。歯科一本足で始まった会社は、この参入を境に二つの市場を持つ企業へと姿を変えた[9][10]。
- 証券アナリストジャーナル 38巻9号(2000年9月)
- 証券アナリストジャーナル 38巻11号(2000年11月)
- ナカニシ 有価証券報告書【沿革】