日本光電工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

数字に期限を付けた標語で、社内を動かしてきた。1958年に主要部品を真空管からトランジスタへ置き換え、小型軽量のME機器へ切り替えた。だが1973年10月の石油危機で1974年8月期は大幅な欠損となり、二度目の無配と富岡製作所の人員整理に及んだ。同年8月、在庫削減・原価低減・人件費の圧縮を骨子とする減量経営「危機突破2-4作戦」を打ち出す。続く1976年8月期には、借金ゼロ・東証一部上場・2割配当・年3回賞与の復活を「0、1、2、3計画」として創立30周年までに掲げた。1979年7月期に売上高117億円で無借金と年3回賞与を満たし、2割配当は1981年、東証一部上場は1982年に達成する。4つの数字に達成の順番を付けたことが、無配の年に始めた減量経営を、1979年の米国直販に踏み出す元手を残したまま終わらせた。

  • 1974年8月 危機突破2-4作戦
    業績の推移
    197319741979
    売上高(億円)5373117
    経常利益率(%)0.02.712.5
  • 1958年 トランジスタへの転換

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