筆者の見解
低成長期を貫いた一本の線
レッツを、単なる用地取得の一手段とみると全体像を取り逃がすことになる。1980年の制度化、1986年の意識改革運動への昇格、1993年の脱土地経営の中核化という三つの段階を並べると、地価上昇を前提としない事業モデルへ会社を寄せていく一本の線が浮かび上がる。共同事業から事業受託、そして小口化商品へと、土地を持たずに稼ぐ手法が段階的に厚みを増していった。
この連続性は、坪井氏から田中順一郎氏への社長交代をまたいでも途切れなかった。むしろ経営者が代わっても同じ主題が引き継がれた点にこそ、これが個人の思いつきではなく会社の構造的な選択であったことがうかがえる。10年単位で資金が拘束される不動産業にあって、自社で土地を保有し続けることのリスクをどう避けるかという問いは、のちに岩沙弘道社長が証券化と預かり資産で示した"持たない経営"へまっすぐ接続していった。レッツは、その長い模索の最初の実装だったとみることもできる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月