英ARM買収——IoT・AI時代を見据えた過去最大3.3兆円のM&A

通信・投資会社がなぜ半導体設計の要に3.3兆円を投じたのか

更新:

時期 2016年7月
意思決定者 孫正義 ソフトバンクグループ 会長兼社長
論点 IoT・AI時代を見据えた半導体設計IPの獲得
概要
2016年7月18日、ソフトバンクグループが英ARMホールディングスを約240億ポンド(約3.3兆円)で買収すると発表し、同年9月に完全子会社化した経営判断。ARMはスマートフォン向けを中心に世界の半導体設計で圧倒的なシェアを持ち、買収額はソフトバンクにとって過去最大規模であった。
背景
孫正義氏はIoT機器の普及とAI利用に伴う高性能半導体需要の増大を予測し、あらゆる機器に組み込まれる半導体の設計を握るARMを、来るべき時代の中核と位置づけた。買付価格は前日終値に43%のプレミアムを乗せた1株1,700ペンスであった。
内容
英国法上のスキーム・オブ・アレンジメントを用いた現金による買収で、2016年9月末までに手続きを完了した。買収資金の一部は保有する中国アリババ株などの売却で賄った。ARMの半導体設計IPは、スマートフォンからIoT機器・データセンターまで広がる見通しであった。
含意
通信・投資を軸とするIT持株会社が、半導体設計の要を傘下に収めた。その後2020年に米エヌビディアへの売却で合意したが2022年に規制当局の承認を得られず破談となり、ARMは2023年9月に米ナスダックへ単独上場した。上場時の時価総額は買収額の約3倍に達し、グループの含み益の源泉となった。
筆者の見解

畑違いの優良企業を3.3兆円で買うという賭け

この買収の面白さは、通信・投資を本業とする会社が、半導体という畑違いの領域で、しかも赤字企業ではなく利益の出ている優良企業に過去最大の3.3兆円を投じた点にある。孫氏が見ていたのは目の前の業績ではなく、IoTとAIが世界を変える30年先の未来であった。あらゆる機器に半導体が組み込まれる時代が来るなら、その設計を握る企業は関所のような位置を占める。ARM買収は、その関所を先回りして押さえる賭けであった。

皮肉なことに、ソフトバンクは一度はARMを手放そうとして果たせず、その結果として最大の果実を得た。エヌビディアへの売却が破談となって手元に残ったARMは、ChatGPT以降のAIブームのなかで価値を約3倍に高め、上場によって含み益をもたらした。3.3兆円が高いか安いかという問いに、孫氏は買収から7年後、たかが3兆円という言葉で答えている。ARM買収は、翌年のビジョン・ファンド組成と並んで、ソフトバンクがAIに賭ける投資会社へと自らを作り替える出発点であった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

通信会社が描いたIoT・AIの未来

ソフトバンクは2006年のボーダフォン日本法人、2013年の米スプリントと、大型買収で通信事業の規模を広げてきた。孫正義氏が次の賭けの対象に選んだのは、通信の外にある半導体の設計であった。孫氏は、あらゆる機器がネットにつながるIoTの普及と、AIの利用に伴う高性能半導体の需要増を予測し、これを人類史上で最も大きな変革と位置づけていた。その中核として着目したのが、機器に組み込まれる半導体の設計を握るARMであった[1][2]

ARMは自社では半導体を製造せず、設計だけを外部のメーカーへライセンスするファブレス企業である。スマートフォン向けの半導体設計では世界で圧倒的なシェアを持ち、多くのスマートフォンがARMの設計に基づいた半導体を搭載していた。買収の対象は赤字企業ではなく、黒字を続ける優良企業であった。ソフトバンクが提示した買付価格は、発表前日の終値に43%のプレミアムを乗せた1株1,700ペンスであった[3]

決断

利益の出る優良企業に過去最大の3.3兆円を投じる

2016年7月18日、ソフトバンクグループはARMを約240億ポンド(約3.3兆円)で買収すると発表した。買収は現金によるもので、英国法上のスキーム・オブ・アレンジメントを用い、同年9月末までに手続きを完了した。買収額はソフトバンクにとって過去最大規模であり、ボーダフォン日本法人やスプリントの買収を上回った。孫氏はこの買収を、10年来考えてきた案件と位置づけていた[4][5]

3.3兆円という金額に対し、孫氏は強気を崩さなかった。後年、孫氏はこの買収を振り返り、たかが3兆円だと言ったら怒られるかもしれないと述べ、優れた買収だとの見方を示している。巨額の資金は、保有する中国アリババ株の段階的な売却などをてこに賄うサイクルが用いられた。翌2017年5月には運用総額約10兆円のソフトバンク・ビジョン・ファンドを組成し、ARM買収で定めたAIへの傾斜を、投資会社としての規模で押し進めた[6][7]

結果

エヌビディア売却の破談と、ナスダック再上場

買収後、ARMはソフトバンクの財務戦略のなかで重要な役割を担った。2020年3月、ソフトバンクは4兆5,000億円規模の資産売却と最大2兆5,000億円の自社株買いを公表し、コロナショックで悪化した財務の立て直しを最優先に掲げた。この過程で、ARMの株式は米エヌビディアへの売却対象となった。だが、この売却計画は各国の規制当局の承認を最終的に得られず、2022年に破談となった[8][9]

売却が果たせなかった結果、ARMはソフトバンクの手元に残った。2023年9月14日、ARMは米ナスダックへ単独で上場した。初日終値ベースの時価総額は約652億ドル(約9兆6,000億円)で、2016年の買収額の約3倍の価値になった。ChatGPTの登場でAIの需要が現実のものとなるなか、ARMはソフトバンクにとって新たな含み益の源泉となり、財務戦略の柔軟性を高めた[10][11]

出典・参考