ブリヂストングッドイヤーからタイヤ製法を導入:自前の技術開発ではなく米最大手の製造方法を丸ごと持ち込んだ選択

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時期 1951年6月
意思決定者(推定) 石橋正二郎 社長
論点 戦後に残った2工場での量産技術の立て直し
概要

1951年6月、ブリヂストンタイヤは米グッドイヤーと技術提携およびタイヤ生産委託契約を結んだ。同年2月に日本タイヤから社名を戻したばかりで、戦前からの設備で動いていた久留米・横浜の両工場へ、米国の製造方法をそのまま持ち込む道を選んでいる。生産設備の近代化とレーヨン(人絹)コードタイヤの生産に入り、トラック・バス用タイヤ「U-Lug」を生んで業界の先駆となった。

背景

戦前に築いた青島・遼陽・吉林・京城・台湾の工場は終戦ですべて失われ、手元に残ったのは戦禍を免れた久留米・横浜の2工場だけだった。1945年10月に操業を再開し、1948年8月には進駐軍自動車タイヤ修理業務契約によって赤羽工場を動かし、1950年に大阪へタイヤコード工場を建てている。創業以来の低価格で国内市場は開いてきたが、量産の工程では米国が最も進んでおり、自力で追いつくには年数がかかる位置にあった。

内容

選んだのは、自前で製法を育てることではなく、米国最大手の製造方法を買うことだった。 『タイヤ製造法については、アメリカがもっとも進んでおりますが、当社ではそれをそのまま導入してやっています』 という導入の仕方で、乗用車用とライトトラック用のタイヤは提携後ほとんど同じ方法で作られ、機械化の進んだ工程が持ち込まれて生産能率は提携前の約3倍に上がっている。技術提携にはタイヤの生産委託契約が伴い、対価や期間、地域の定めは資料に残っていない。

含意

レーヨン化で先んじた効果は数年で表れ、1953年に業界首位へ立った。1955年には久留米工場内へ国内唯一のコード工場を完成させてコードからタイヤまでの一貫生産に入り、1958年のナイロンタイヤでは他社に1年以上先行している。提携は長く続き、1977年の時点では1980年の契約更新をどう扱うかが、年間2億本の市場を持つ米国へいつ進出するかという課題と並ぶ懸案として残っていた。

筆者の見解

買ったのは製法か、時間か

この提携で手に入れたのは、製法そのものというより、製法を自力で作り上げるはずだった年数である。創業以来、外国製の半値で市場をこじ開けてきた会社が、量産の工程では米国に届いていないことを認め、最も進んだ製造方法をそのまま持ち込む道を採った。国産化を旗印に始まった会社が、その国産の中身を輸入で埋めるという矛盾を引き受けた判断だったとみることができる。生産能率が提携前の約3倍へ上がったという説明は、独力で積み上げていれば何年を要したかを裏返しに語っているのだろう。

もっとも、借りた製法をそのまま使い続けたわけではない。久留米工場で最新設備の技術を体得したうえで独自の工夫改善を加え、1960年に業界最大の東京工場を完成させている。レーヨン化で1953年に業界首位へ立ち、1958年のナイロンタイヤでは他社に1年以上先んじた。導入したものを自社の技術へ変えられたことが、この提携を単なる借り物で終わらせなかったといえる。一方で契約は長く残り、1977年の時点でも1980年の更新をどう扱うかが、年間2億本の米国市場へいつ踏み込むかという課題と対で語られていた。技術を買った代償は、買った相手の庭へ入りにくくなることだったのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

提携の条件

科目 概要 備考
提携先 グッドイヤー社(米国) 資料の表記は「アメリカのグッドイヤー社」
締結 1951年6月 同年2月に社名を日本タイヤからブリヂストンタイヤへ戻している
契約の内容 技術提携およびタイヤ生産委託契約 対価・期間・地域の定めは資料に記載がない
導入したもの タイヤの製造方法と生産設備の近代化 米国の製法をそのまま導入し、乗用車用は提携後ほぼ同じ製法
生産に入った製品 レーヨン(人絹)コードの自動車タイヤ トラック・バス用タイヤ「U-Lug」を生み業界の先駆となった
生産能率 提携前の約3倍 1965年5月時点の説明。機械化の進んだ工程が持ち込まれた
提携先の日本法人の持株 2.0%(1961年5月・第9位) 日本グッドイヤーの所有。提携契約との関係は資料に記載がない
契約更新 1980年 1977年時点で更新を控え、米国進出との調整が課題として残った

出所:日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)/会社銀行八十年史 2篇 日本会社史(1955)25 ゴム・皮革 p387/証券アナリストジャーナル 1965年5月号「ブリヂストンタイヤの現況と見通し」

同じ問いに直面した会社

新技術量産への設備投資1953年安藤・間米社との共同企業体を通じた機械化施工の導入難工事の工法選択と海外技術の導入
1960年東海カーボンカーボンブラック製造技術の導入と、知多工場の新設カーボンブラックの製造技術と生産能力
1962年曙ブレーキ工業岩槻製造所への資本金数倍の投資技術導入と設備投資
1950年クラレ国産技術の合成繊維をポバールから一貫して作る体制の立ち上げ合成繊維への参入と技術の自給
1950年日本ゼオン技術を持つ相手と組んで興した新会社による塩化ビニル樹脂の国産化技術導入と国産化
出典・参考
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史(1955)25 ゴム・皮革 p387
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)3編 p147
  • ブリヂストンタイヤ株式会社 25周年記念誌(1958)
  • 証券アナリストジャーナル 1965年5月号
  • ダイヤモンド 1965年1月25日号
  • 週刊東洋経済 1977年7月9日号
  • 株式会社年鑑 昭和37年版(大株主の状況)

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