石橋正二郎

ブリヂストン・元取締役社長

Ishibashi Shojiro(敬称略)

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社長就任 1931年3月
生年月日 1889年1月1日
学歴 久留米商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1906年に久留米商業学校を出て兄とともに家業の仕立物業"志まや"を継ぎ、徒弟制を廃して給料制を敷いた。1907年に足袋の専業へ転換し、1918年に日本足袋を設立して、1921年の"アサヒ地下足袋"でゴム加硫の技術を固めた。1912年に自動車へ試乗して1台を買い入れた頃、保有台数は東京で約300台、九州は皆無だった。1952年3月には石橋家が富裕税の納付申告で日本一となった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

初代であり前任はいない。1929年12月に日本足袋の構内へ仮工場を新設してタイヤの試作に入り、1931年3月にタイヤ部を分離してブリッヂストンタイヤを福岡県久留米市に設立した。石橋家が全額を出資する同族企業で、資本金は100万円。社名は"石橋"を英訳したStone-Bridgeを組み替えたものである。外国製が1本100円台で売られるなか50円の半値で市場へ入った。

在任中の主な施策
施策

低価格での参入により走行中の破裂など初期不良が続き、不良品を新品と引き換える責任保証制で臨んだため、創業3年間の生産44万本に対し返品は10万本に達した。3年間の損失は資本金を上回る100万円を超えた。1934年に久留米市へ鉄筋コンクリート造の本格工場を建て、1951年には米グッドイヤーと技術提携を締結する。1955年に国内唯一のコード工場を完成させて一貫生産に入り、1961年10月に東京・大阪両証券取引所へ上場した。 グッドイヤーからタイヤ製法を導入

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1889〜1963年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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