この創業から見えてくるのは、市場が未成熟な素材を先に握り、用途と顧客を後から探すという逆順の起こし方である。大手が採算の立たない発明を見送るなか、連続起業家の齋藤憲三氏が加藤与五郎氏の独創の理念に賭け、鐘淵紡績の津田信吾氏が本業の外で個人の財産を投じて、通常の投資判断の外にあった事業を成り立たせた。世界初の技術それ自体よりも、それを産業に変える担い手と資金の縁が、この会社の出発を支えていたと読める。
もう一つ見えてくるのは、売り先を失うたびに用途を作り替えてきた柔軟さである。発電ランプで食いつなぎ、松下電器の採用で世に出て、戦後はスーパーヘテロダイン令の追い風でラジオ部品として伸び、やがて磁気テープとコンデンサへ素材技術を移していった歩みは、一つの発明に固執せず市場の変化に応じて事業を組み替える構えを早くから備えていたことを示している。フェライトの工業化という一点から始めた選択が、後年の事業入れ替えを厭わない社風の下地になっていったといえる。