塩野義三郎

塩野義製薬・元商号変更により塩野義製薬 代表取締役社長

Shiono Gisaburo(敬称略)

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社長就任 1920年
生年月日 —
学歴 大阪高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1878年に大阪・道修町で薬種問屋を開業した初代塩野義三郎の長男として生まれ、1920年に初代の跡を受けて株式会社塩野義商店の社長に就任し、二代義三郎を襲名した。社長就任は、個人商店を資本金150万円の株式会社へ改組した1919年6月の翌年にあたる。薬種卸から製薬への転換を家業の側から引き継いだ経営者で、日本製薬団体連合会会長、大阪医薬品協会理事長、大阪薬種卸商組合組長など業界団体の役職も兼ねた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

社長に就任したのは1920年で、前任は創業者である父の初代塩野義三郎、交代は創業家内の承継だった。外部からの招聘や社内競争を経た抜擢ではなく、二代目として家業をそのまま引き継いだ形である。在任中の1943年7月、塩野義商店は塩野義製薬へ商号を変更した。当時の同社は朝鮮・台湾・中国・東南アジア各地に支店・出張所・工場を広げており、1945年3月には軍需会社の指定を受けて陸軍衛生材料廠などの指令で生産を急いでいた。

在任中の主な施策
施策

1945年8月15日、玉音放送の直後に本社へ従業員を集め、これからは世界が相手になるとして世界水準の技術をめざす方針を告げた。海外事業所の一括喪失と軍需補償の打ち切りで特別損失は2,933万円に達し、資本金1,223万円の塩野義製薬は1946年8月に特別経理会社へ指定された。1948年7月に6,000万円へ増資して指定を脱し、1949年5月に東京・大阪両証券取引所へ上場した。同年7月から9月にかけて、製薬部門発祥の地である淀川を含む3工場を閉鎖・売却し、生産を杭瀬・浦江・赤穂へ集約した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1920〜1953年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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