富山化学工業の買収と医薬事業への参入

2008年実施

画像診断の会社が、なぜ製薬会社を買ったのか——診断から治療へ、医療の裾野をどこまで広げるか

時期 2008年2月
論点 医療事業の再定義と医薬への参入
概要
2008年、富士フイルムが医薬品メーカーの富山化学工業を大正製薬と共同で買収し、TOBと第三者割当増資で子会社に収めた経営判断。画像診断(診断)に偏っていた医療事業を医薬品(治療)へ広げ、ヘルスケアを全社の成長の柱に据える転換となった。
背景
写真フィルムの国内需要がデジタル化で消えるなか、富士フイルムは祖業に依存しない事業構成への転換を進めていた。医療事業は1983年のFCR以来の画像診断に集中し、病を治す医薬品の領域を持たなかった。
内容
富山化学が約300億円の第三者割当増資を富士フイルムと大正製薬に割り当て、富士フイルムが1株880円のTOBを実施した。最終的に富士フイルムが66%、大正製薬が34%を保有し、買収の総額は約1300億円に達した。
含意
異業種の化学メーカーが製薬会社を丸ごと買う非連続な判断だった。取り込んだ創薬パイプラインから抗ウイルス薬アビガンが生まれ、その後のバイオ医薬品の製造受託や画像診断機器の買収へと連なるヘルスケア拡大の中核となった。
筆者の見解

消える祖業を、次の医療へどう組み替えるか

この買収が際立つのは、財務の危機に迫られた末の一手ではない点にある。まだ本業が利益を出しているうちに、富士フイルムは写真という一本足の消失を見越し、医療の裾野を治療まで広げた。画像診断の会社が製薬会社を丸ごと買うのは、技術のつながりが細く、審査や開発の作法も異なる非連続な賭けだった。診断で像を撮る力と、薬で病を治す力は、同じ医療でも要る資源が違う。富士フイルムはその溝を、自前の育成ではなく買収で一気に越えた。

買収から十数年を経て、ヘルスケアは富士フイルムの主要な柱の一つに育った。抗ウイルス薬アビガンの誕生、バイオ医薬品の製造受託、日立からの画像診断事業の取り込みは、いずれも富山化学の買収でひとつ手前に置かれた石だった。もっとも、創薬は当たり外れの大きい事業で、買った時点で成否が約束されていたわけではない。消えゆく祖業の技術と資金を次の医療へどう組み替えるか——富山化学の買収は、その問いに一つの答えを出した判断として残る。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

画像診断に築いた足場

富士写真フイルムは、写真フィルムで培った感光材料と画像処理の技術を医療へ向け、早くから画像診断に足場を築いた。1983年には世界初のデジタルX線画像診断システムFCR(Fuji Computed Radiography)を発売し、1992年には米ゼネラル・エレクトリック(GE)と組んで医療機器のOEM供給にも加わった。ただし、その医療はレントゲンフィルムとFCRを軸とする画像の診断に偏り、病を治す医薬品を持たなかった。診断画像は撮れても、治療には手が届かない事業だった[1][2]

写真事業の消失と足りない一辺

2000年前後、デジタルカメラの普及で写真フィルムの国内需要は構造的に消えていった。高収益を支えた祖業が細るなか、富士フイルムは2004年の中期経営計画で、写真に依存しない事業構成への転換を進める。ヘルスケアはその成長の柱の一つに掲げられたが、医療事業は画像診断が中心で、治療にあたる医薬品の柱を欠いていた。診断から治療へ——足りない一辺をどう埋めるかが課題として残った[3]

決断

三社提携とTOBの仕組み

2008年2月13日、富士フイルム、大正製薬、富山化学工業の3社は、富山化学の医療用医薬品事業を強化する資本業務提携で基本合意したと発表した。富山化学が約300億円の第三者割当増資を富士フイルムと大正製薬に割り当て、続いて富士フイルムが、公表前日の終値631円に約4割のプレミアムを乗せた1株880円のTOBを実施する。買付総額は644億円で、筆頭株主だった大正製薬はこれに応募せず、最終的に富士フイルムが66%、大正製薬が34%を保有した。異業種の化学メーカーと製薬会社が一社を分け持つ買収だった[4][5]

診断から治療への越境

この買収で富士フイルムがねらったのは、画像による診断から、病を治す医薬品への拡張だった。富山化学は感染症・中枢神経・抗炎症の領域に強く、抗ウイルス薬T-705、抗リウマチ薬T-5224、アルツハイマー病治療薬T-817といった開発中の新薬を抱えていた。富士フイルムはこの創薬力を取り込み、診断が中心だった医療事業を治療へ広げて、総合ヘルスケア企業へ育てる構想を掲げた。写真の会社が創薬へ入り込む、非連続な選択だった[6]

結果

アビガンの誕生とヘルスケアへの連鎖

買収は、まもなく具体的な成果を生む。約1300億円を投じた買収で調達した第三者割当増資の約300億円を治験に振り向け、富山化学が富山大学と共同で開発してきた抗ウイルス薬T-705は、2014年3月に「アビガン」の名で国内の製造販売承認を得た。新型・再興型インフルエンザに備える薬で、2014年に西アフリカで流行したエボラ出血熱の治療薬としても期待を集めた。買収で取り込んだ創薬の力が、目に見える製品として実を結んだ[7][8]

ヘルスケアを全社の成長の柱に据える流れは、富山化学の買収を境に加速する。富士フイルムは2011年にバイオ医薬品の製造受託(CDMO)へ参入し、2019年12月には日立製作所の画像診断関連事業を約1790億円で買収すると発表した。化粧品やサプリメントの「予防」、画像診断や医療ITの「診断」、再生医療やバイオ医薬品の「治療」をひととおり抱える構えを取り、富山化学の買収は、その中核を占める一手となった[9]

出典・参考