米ゼロックス買収構想の破談と富士ゼロックスの完全子会社化
2018年実施史上最大級の統合構想はなぜ破談し、富士フイルムは合弁の清算で何を得たか
- 概要
- 2018年、富士フイルムホールディングスは米ゼロックスを買収し、合弁会社の富士ゼロックスと統合する事務機の大型再編構想を公表した。しかし物言う株主の反発と裁判所の差し止めで構想は破談し、富士フイルムはゼロックスを損害賠償で提訴した。翌2019年11月、別のルートで日米合弁の契約を解消し、米ゼロックスが持つ富士ゼロックス株25%を23億ドルで取得して完全子会社とした経営判断。
- 背景
- 富士ゼロックスは、1962年に富士写真フイルムと英ランク・ゼロックスが折半出資して設立した日米合弁で、販売地域は日本を含むアジア太平洋と欧米で分担してきた。2001年に富士フイルムが持分を75%へ引き上げて連結子会社としたが、複合機市場の縮小のなかで日米に分かれた経営の一体化が課題として残っていた。
- 内容
- 2018年1月、富士フイルムはゼロックス株の50.1%を取得し、両社を経営統合する構想を公表した。しかし筆頭株主のアイカーン氏と第3位株主のディーソン氏が過小評価だと反発し、ニューヨークの裁判所が差し止めを命じた。5月、米ゼロックスは合意を一方的に破棄し、富士フイルムは10億ドル超の損害賠償を求めて提訴した。
- 含意
- グローバルな経営統合は実現しなかった。それでも富士フイルムは2019年11月に合弁を解消して富士ゼロックスを完全子会社とし、アジア太平洋の経営権と、欧米も含めて自由に製品を供給できる立場を確保した。のちにゼロックスブランドから離れ、社名を富士フイルムビジネスイノベーションへ改めた。
買えなかった本体と、確実に握った半分
この判断の核心は、一つの製品群を日米で分けて持つという合弁の仕組みそのものに、富士フイルムが手を入れた点にある。当初めざしたのは、ゼロックスを買収して二つの会社を一つに束ねる世界規模の統合であった。それが物言う株主の反発と裁判所の差し止めで頓挫したとき、富士フイルムは構想を捨てず、対象を富士ゼロックスの残り25%だけに絞り直した。買えなかったのは欧米のゼロックス本体であり、確実に手に入れたのは、半世紀分かち合ってきたアジア太平洋の経営権であった。
規模を一気に広げる統合は逃したが、富士フイルムは合弁という相手のいる経営から、自社だけで決められる経営へと立ち位置を移した。販売地域の垣根が外れ、ゼロックスの名から離れて自前のブランドを掲げる立場を得たのは、その代償として手にしたものであった。買収の失敗を、合弁の清算という次善の一手で経営の自由へと組み替えたところに、縮む市場のなかで祖業と決別してきた富士フイルムらしさがうかがえる。1962年に始まった日米の協業は、こうして富士フイルム一社の事業として新しい段階に入った。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
56年続いた日米合弁という構造
富士ゼロックスは、1962年に富士写真フイルムと英ランク・ゼロックスが半分ずつ出資して設けた日米合弁の会社である。複写機・複合機を主力とし、販売地域は富士ゼロックスが日本を含むアジア太平洋を、ゼロックスが欧米を受け持つ分担が長く続いた。日米それぞれの親会社が自国と周辺の市場を握り、一つの製品群を地域ごとに分けて売る形が、半世紀にわたり事業の土台となってきた[1]。
出資の比率は、途中で一度動いている。2001年、業績の低迷したゼロックスが持ち分の一部を手放し、富士写真フイルムが買い取って出資比率を75%へ引き上げ、富士ゼロックスを連結子会社とした。以後、複写機や複合機を扱うドキュメント事業は、縮む写真フィルムを補う富士フイルムの主力の一つとなった。日米合弁でありながら、経営の主導権は富士フイルム側へ移っていた[2]。
複合機市場の縮小と一体経営の必要
2010年代に入ると、紙の書類を扱う複写機・複合機の市場は世界的に縮んでいった。オフィスの印刷需要が細り、価格競争も激しくなるなかで、日本・アジア太平洋と欧米に分かれたままの二頭体制では、開発や生産の重複を避けにくい。富士フイルムは、富士ゼロックスと米ゼロックスを一つの経営のもとにまとめ、事務機事業を立て直す道を探った。統合後には、事務機部門で世界最大手に立つ計算であった[3]。
決断
史上最大級のM&A構想
2018年1月31日、富士フイルムは米ゼロックスを買収し、富士ゼロックスと統合する構想を公表した。富士フイルムがゼロックスの第三者割当増資に応じて株式の50.1%を握り、そのゼロックスが富士ゼロックスを完全子会社とする。統合後の売上高はおよそ3兆3000億円に達し、事務機部門では米ヒューレット・パッカードを抜いて世界最大手になるとされた。ゼロックスは社名を富士ゼロックスに改め、古森重隆氏が会長に就く計画であった[4]。
この構想の巧妙さは、富士フイルムが手元の現金をほとんど使わずに巨大企業を傘下へ収める仕組みにあった。まず富士ゼロックスが、富士フイルムの持つ富士ゼロックス株を買い取る。富士フイルムはその代金でゼロックスの新株を引き受け、過半の株式を得る。古森氏は、この組み立てを「当社グループとして現金流出がない」と説明した。写真フィルムで蓄えた資金を損なわずに、事務機の世界最大手を築こうという狙いであった[5]。
物言う株主の反発と破談
構想は、ゼロックスの大株主から強い反対に遭った。筆頭株主の投資家カール・アイカーン氏と、第3位株主のダーウィン・ディーソン氏は、この統合が自社を過小に評価していると批判し、委任状争奪と訴訟で計画に対抗した。2018年4月27日、ニューヨーク州の裁判所は取引の差し止めを命じた。当時のジェイコブソンCEOが自らの地位を守るために利益相反のまま交渉を進めた、というのが裁判所の判断であった[6]。
2018年5月13日、米ゼロックスは富士フイルムとの契約を破棄した。表向きの理由は、富士ゼロックスの監査済み決算が期限までに提出されなかったことである。同じ日、ゼロックスはアイカーン氏・ディーソン氏と和解して取締役会を入れ替え、ジェイコブソンCEOも退いた。富士フイルムはこれを一方的な契約違反とみなし、6月に10億ドル超の損害賠償を求めてゼロックスを提訴した[7][8]。
結果
合弁解消と完全子会社化
グローバルな統合構想が消えても、富士フイルムには別の道が残っていた。2019年11月5日、富士フイルムは米ゼロックスとの合弁契約を解消すると発表した。米ゼロックスが持つ富士ゼロックス株の25%などを23億ドル、日本円でおよそ2500億円で買い取り、完全子会社とする。1962年に始まった日米合弁は、富士フイルムがすべての株式を握る単独出資の会社へと姿を変え、いったん描いた世界最大手の構想には区切りがついた[9]。
完全子会社化は、富士ゼロックスに二つの自由をもたらした。一つは販売地域の制約が外れたことで、日本・アジア太平洋に限られていた事業を、欧米を含む全世界へOEM供給として広げられる。米ゼロックスとの製品供給や技術の提携そのものは、契約を結び直して残した。そして2021年4月、富士ゼロックスは社名を富士フイルムビジネスイノベーションへ改め、半世紀以上ともにしてきたゼロックスの名から離れた[10][11]。
- 日本経済新聞(2018年1月31日)「富士フイルム 米ゼロックスを買収 子会社と統合 事務機世界最大手に」
- 東洋経済オンライン(2018年2月1日)「富士フイルムが名門ゼロックスを買えた理由 古森会長『当社グループとして現金流出ない』」
- Harvard Law School Forum on Corporate Governance(2018年5月29日)「The Xerox Takeover Saga」
- Xerox Corporation プレスリリース(2018年5月13日)「Xerox Terminates Transaction Agreement with Fujifilm and Enters into New Agreement with Carl Icahn and Darwin Deason」
- 日本経済新聞(2018年6月19日)「富士フイルム、ゼロックスを提訴 損害賠償10億ドル超」
- 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、ゼロックスと合弁解消 富士ゼロ全株取得」
- 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、米ゼロックスと合弁解消 提携は維持」
- M&A Online(2020年1月6日)「富士ゼロックスが社名変更、2021年4月『富士フイルムビジネスイノベーション』に」