私鉄の多角化という言葉でくくると、この時期の名鉄は不動産やレジャーに参入した同業各社の一例に映る。だが土川元夫氏が据えた芯は、鉄道の需要は自ら生み出すという一点にあった。交通機関は百年足らずで移り変わるという危機感から、百貨店・バスターミナル・明治村という異業種の集客装置を沿線に並べ、鉄道へ人を呼び込む仕掛けそのものを事業にした。採算を無視すると否決された明治村を押し通したところに、その発想の徹底ぶりがうかがえる。
もっとも、需要を自ら生むというその発想が、後年の名鉄を縛る面もあった。地域に密着した多角化は撤退を難しくし、バブル後の"名門の苦悩"や、2026年の名鉄百貨店の閉店と子会社解散へと尾を引いていく。土川元夫氏の多角化が正しかったと言い切れるのは、その厚みが会社を支えた時期を知っているからにすぎない。築いた収益源をいつ組み替えるかまで含めて経営の質が問われるとすれば、名鉄の多角化はその長い試金石になったのだろう。