竹田弘太郎

名古屋鉄道・元取締役社長

Takeda Kotaro(敬称略)

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社長就任 1971年
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1938年3月に早稲田大学商学部を出て、同年5月に名古屋鉄道へ入社した。1963年11月に取締役、1966年11月に常務取締役、1967年11月に取締役副社長と進み、入社から33年、副社長4年で社長に就任した。社長就任の時点で名鉄マリーナホテルの社長を兼ね、愛知県地方労働委員会の委員も務めた。合併各社からの入社ではなく、名古屋鉄道に直接入った生え抜きである。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1971年11月、土川元夫氏が取締役会長へ移り、竹田弘太郎氏が取締役社長に就任した。同じ月に副社長の舟橋一雄氏・竹内外茂氏・余合俊一氏・神野三男氏の4人がそろって取締役相談役へ退いている。舟橋氏と竹内氏は1965年11月、余合氏・神野氏と竹田氏は1967年11月に副社長へ就任した顔ぶれで、同格に並んだ副社長のうち1人が社長へ進み、残る4人が相談役へ回る交代だった。

在任中の主な施策
施策

在任の10年は路線の延伸と相互直通に重なる。1978年8月に瀬戸線の栄町乗入れ工事が完成して営業を始め、1979年7月には豊田線(赤池・梅坪間)が完成し、名古屋市交通局との相互乗入れが始まった。1980年6月に知多新線(富貴・内海間)が全通している。前任が広げたグループでは名鉄不動産・中部開発・名鉄ストアーの会長、太平洋沿海フェリー・中部伊勢志摩開発・名古屋空港ビルディングの社長を兼ね、1976年3月に名古屋商工会議所副会頭へ就任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1971〜1981年
在任中の業績
就任前(FY70)302億円
退任時-
変化-
就任前(FY70)22.5%
退任時-
変化-
参考文献 2件

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