土川元夫

名古屋鉄道・元取締役社長

Tsuchikawa Motoo(敬称略)

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社長就任 1961年
生年月日 —
学歴 京都帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1928年3月に京都帝国大学法学部を出て、同年5月に名古屋鉄道へ入社した。1946年5月に取締役、1949年6月に常務取締役、1953年2月に専務取締役、1955年1月に取締役副社長へ進み、入社から33年で社長に就任した。副社長時代の1955年4月に名鉄不動産の社長、1956年9月に学校法人名鉄学園の理事長、1961年5月に木曽川観光開発の社長を兼ねており、鉄道本体の外側を任される立場が社長就任前から続いていた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1961年11月、千田憲三氏が取締役会長へ退き、同じ月に土川元夫氏が取締役社長へ就任した。土川氏は1955年1月から6年半にわたり代表取締役副社長を務めていた。1960年版の役員欄で副社長の席は土川氏と佐藤英雄氏の2つで、佐藤氏が愛知電気鉄道からの合併入社であるのに対し、土川氏は1928年に名古屋鉄道へ直接入った生え抜きだった。同じ1961年11月には竹田直氏が副社長、舟橋一雄氏と竹内外茂氏が専務取締役へ就任し、役員の顔ぶれが入れ替わっている。

在任中の主な施策
施策

10年の在任で、鉄道の外側に人を集める施設を並べた。1965年3月に犬山へ博物館明治村を開業し、1967年10月には新名古屋駅に名鉄バスターミナルビルを全館完成させた。名鉄不動産・名鉄百貨店・東海テレビ放送・全日本空輸・千代田火災海上の各社の役員を兼ね、名古屋空港ビルディングの社長も務めた。1971年11月に取締役会長へ移り、名古屋商工会議所会頭・中部開発センター会長として中京の財界を代表した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1961〜1971年
在任中の業績
就任前(FY60)100億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件

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