名古屋鉄道 の歴史

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1894年創業の名古屋電気鉄道の郡部線を引き継ぎ1921年に設立、1935年に愛知電気鉄道を合併。明治村と名鉄百貨店、空港線、名古屋駅地区再開発までの沿革と経緯を執筆。

創業

1894年

創業者

創業地

愛知県名古屋市

直近売上高(2026/3)

6,916億円

名古屋鉄道:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2000年3月期2026年3月期
Q なぜ名鉄は1935年の合併で成立し、中小私鉄を束ねる形で路線網を築いたのか
A 中京圏では名古屋・岐阜方面を押さえた名岐系と、豊橋方面に強い愛電系が別々に路線を敷いており、都市間を一貫して結ぶには両系統を一社にまとめる必要があった。1935年8月に名岐鉄道が愛知電気鉄道を合併して商号を名古屋鉄道へ改め、東西の幹線がひとつの会社に束ねられて現在の名鉄が成立した。以後も瀬戸電気鉄道・三河鉄道・知多鉄道といった中小私鉄を吸収し、名古屋を中心に東西南北へ延びる路線網を組み上げた
Q なぜ1960年代に土川元夫氏は鉄道会社を多角化させたのか
A 鉄道は乗客がいて初めて収益になり、その需要を自ら生み出すには沿線に人の集まる目的地を設ける方が確実だった。1961年から1971年まで社長を務めた土川元夫氏は、この発想で輸送・不動産・レジャーを連ねるグループ経営を形づくり、後に『名鉄中興の祖』と呼ばれた。1965年に明治期の建築を移築保存する『博物館 明治村』を開村し、1967年には新名古屋駅に当時東洋一とされた名鉄バスターミナルビルを建て、鉄道が運ぶ人の流れを沿線の観光地や商業施設で受け止める形をつくった
Q なぜ名鉄はコロナ禍を機に持株会社体制への再編を進められたのか
A 地域に深く根を張ってきたぶん、名鉄は不採算でも地元の足である路線や事業から退きにくく、1999年には『リストラできない名門名古屋鉄道の苦悩』と報じられて事業整理が長く進まなかった。コロナ禍で交通事業が一斉に落ち込み、2021年3月期は連結売上高が前期比2割減、純損失288億円まで沈むと、先送りしてきた選択と集中を危機のもとで一気に進めた。中間持株会社を核とする体制へ移り、名鉄運輸とNX(日本通運)の特別積合せ貨物運送事業を統合し、2025年3月期は純利益377億円の過去最高水準へ回復した

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1894年〜 馬車鉄道に始まり、合併で築いた中京圏の私鉄網

  1. 1921年 名古屋鉄道設立 (1921年6月13日設立、資本金12百万円)
  2. 1921年 名古屋電気鉄道の郡部線事業を譲受け
  3. 1928年 バス営業の開始
  4. 1930年 商号を名岐鉄道に変更
  5. 1935年 新一宮・新笠松間開通により押切町・新岐阜間全通
  6. 1935年 愛知電気鉄道を吸収合併
  7. 1935年 名古屋鉄道に商号変更

電気軌道への転換で開いた都市交通

名鉄グループが創業の年とするのは、1894年6月に名古屋市内で馬車鉄道を敷く目的で設立された愛知馬車鉄道である。ところが日清戦争下の警戒感もあって資本が十分に集まらず、計画は当初の馬車鉄道から電気鉄道へと切り替わった。改組を経た名古屋電気鉄道が1898年に開業した路面電車は、日本で2番目の電気軌道とされる。名古屋の市街を走る都市交通として出発した点に、後の中京圏私鉄最大手の原型がある。名古屋鉄道はこの1894年を創業の年と位置づけ、2024年に創業130周年を迎えている。 [1][2][3]

  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [1]1894年6月 愛知馬車鉄道として創業(名鉄グループの起点)
    • [2]1898年 名古屋電気鉄道が日本で2番目の電気軌道を開業
    • [3]2024年に創業130周年(1894年起点)

市内電車を足がかりに、名古屋電気鉄道は郊外へ路線を伸ばした。都市の内と外を鉄道で結ぶという発想は、沿線人口の増加とともに輸送需要を押し上げ、鉄道を軸に地域を開発する後年の事業モデルへとつながる。市街地の路面電車で得た足場を、郊外へ延びる電車の建設へと広げていく形である。統合報告書は近代化に伴う鉄道建設への需要の高まりを背景に『地域の足を支える交通網の構築』[引用元]を進めた時期と整理している。名古屋という地方中枢都市を母市場に持ったことが、この会社の成長を長く支える条件になった。 [4]

  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [4]近代化に伴う鉄道需要を背景に郊外交通網を整備(創業〜1940年代)
  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [1]1894年6月 愛知馬車鉄道として創業(名鉄グループの起点)
    • [2]1898年 名古屋電気鉄道が日本で2番目の電気軌道を開業
    • [3]2024年に創業130周年(1894年起点)
    • [4]近代化に伴う鉄道需要を背景に郊外交通網を整備(創業〜1940年代)

相次ぐ合併がつくった現・名古屋鉄道

現在の法人につながる名古屋鉄道は、1921年6月に資本金12百万円で設立され、翌7月に名古屋電気鉄道の郡部線事業を譲り受けた。以後は近隣鉄道の合併で路線網を広げた。1925年に尾西鉄道、1929年に城北電気鉄道と尾北鉄道の事業を譲受し、1930年8月には美濃電気軌道を合併して同年9月に商号を名岐鉄道へ改めた。周辺の中小鉄道を一つずつ束ねながら、名古屋を中心とする路線網を組み上げていく過程だった。岐阜方面を押さえた名岐鉄道は、1935年に押切町から新岐阜までを全通させ、名古屋と岐阜を結ぶ幹線を手にした。 [5][6][7]

  • 名古屋鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1921年6月 名古屋鉄道株式会社設立(資本金12百万円)、7月に郡部線事業を譲受
    • [6]1930年8月 美濃電気軌道を合併、9月 商号を名岐鉄道に変更
    • [7]1925年 尾西鉄道、1929年 城北電気鉄道・尾北鉄道の事業を譲受

決定的だったのは1935年8月、豊橋方面に強い愛知電気鉄道を合併し、商号を名古屋鉄道へ改めた統合である。これにより名岐系と愛電系の路線がひとつの会社に束ねられ、現在の名鉄が成立した。会社はその後も瀬戸電気鉄道を1939年、三河鉄道を1941年、知多鉄道を1943年に合併し、中京圏の中小私鉄を吸収した。1944年には神宮前と新名古屋の間が開通して東西の路線が連絡し、1948年には豊橋から岐阜までの直通電車が走り出した。合併の積み重ねが、中京圏を東西南北に結ぶ路線網の骨格を形づくった。 [8][9][10]

  • 名古屋鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1935年8月 愛知電気鉄道を合併し商号を名古屋鉄道に変更(現・名鉄の成立)
    • [9]瀬戸電気鉄道(1939)・三河鉄道(1941)・知多鉄道(1943)を合併
    • [10]1944年 神宮前〜新名古屋間開通で東西線連絡、1948年 豊橋〜岐阜間の直通運転
  • 名古屋鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1921年6月 名古屋鉄道株式会社設立(資本金12百万円)、7月に郡部線事業を譲受
    • [6]1930年8月 美濃電気軌道を合併、9月 商号を名岐鉄道に変更
    • [7]1925年 尾西鉄道、1929年 城北電気鉄道・尾北鉄道の事業を譲受
    • [8]1935年8月 愛知電気鉄道を合併し商号を名古屋鉄道に変更(現・名鉄の成立)
    • [9]瀬戸電気鉄道(1939)・三河鉄道(1941)・知多鉄道(1943)を合併
    • [10]1944年 神宮前〜新名古屋間開通で東西線連絡、1948年 豊橋〜岐阜間の直通運転

1949年〜 株式上場と土川元夫が主導した多角化の時代

名古屋鉄道の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1949年 名古屋証券取引所に上場
  2. 1954年 東京証券取引所に上場
  3. 1957年 名鉄ビル全館完成
  4. 1965年 名鉄百貨店・明治村・バスターミナルを核とする多角化とグループ経営の構築 需要を自ら生むとは何だったか——土川元夫社長が鉄道の枠を超えて広げた事業
  5. 1967年 名鉄バスターミナルビル全館完成
  6. 1978年 瀬戸線の栄町乗入れ工事が完成
  7. 1978年 瀬戸線の栄町乗入れの営業を開始

上場と、鉄道を核にした事業の広がり

戦後の再出発のなか、名古屋鉄道は1949年5月に名古屋証券取引所へ、1954年12月には東京証券取引所へ上場した。戦災からの復旧と輸送需要の急増が重なるなかで、株式市場から資金を調達する道を開いた意味は大きい。輸送力の増強と沿線の開発を同時に進める余地が、そこから広がったからである。統合報告書は戦後復興から高度経済成長期にかけて、鉄軌道にタクシー・バス事業を加え、地域交通事業者としての地位を確立したと振り返る。名古屋という成長市場を背に、旅客輸送を軸としながら事業の裾野を広げた。 [11][12]

  • 名古屋鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1949年5月 名古屋証券取引所に上場、1954年12月 東京証券取引所に上場
  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [12]戦後、鉄軌道にタクシー・バスを加え地域交通事業者としての地位を確立

上場と前後して、名鉄の輸送は急速に伸びた。統合報告書によれば、沿線人口は1940年の436万人から1960年には584万人へ、年間の輸送人員は同じ期間に91百万人から292百万人へと3倍を超えて増えている。戦後の都市への人口集中と、通勤・通学の日常的な需要が、鉄道の利用をまとめて押し上げた。沿線が育てば鉄道が伸び、鉄道が伸びればさらに沿線の開発が進む。この好循環をどう太くするかが、鉄道の枠を超えた多角化へ名鉄が踏み出す土台となった。 [13]

  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [13]沿線人口は1940年436万人→1960年584万人、輸送人員は1940年91百万人→1960年292百万人
  • 名古屋鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1949年5月 名古屋証券取引所に上場、1954年12月 東京証券取引所に上場
  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [12]戦後、鉄軌道にタクシー・バスを加え地域交通事業者としての地位を確立
    • [13]沿線人口は1940年436万人→1960年584万人、輸送人員は1940年91百万人→1960年292百万人

「中興の祖」土川元夫の全国展開と観光・文化事業

高度成長期の多角化を主導したのが、1961年から1971年まで社長を務めた土川元夫氏である。土川元夫氏は一地方の鉄道会社を複合的な事業体へと変え、後に『名鉄中興の祖』と呼ばれた。鉄道は人が乗ってはじめて成り立つ事業であり、その需要を自ら生み出すという発想が根底にあった。沿線に観光資源を開発し、輸送・不動産・レジャーを連ねるグループ経営の形をつくったのも、そうした考え方の延長だった。名古屋を本拠にしながら、鉄道の枠を超えて事業を広げた点が、この時期の名鉄を特徴づけている。 [14]

象徴的なのが観光と文化の事業化だった。1965年には歴史的建造物を移築保存する『博物館 明治村』を開村し、1967年には新名古屋駅に当時東洋一の規模と呼ばれた名鉄バスターミナルビルを建設した。明治村は失われゆく明治期の建築を後世に残す文化事業であると同時に、沿線へ人を呼び込む集客装置でもあった。統合報告書は、この時期に不動産・トラック・レジャーなど多角的な事業を展開し、日本文化・芸術の継承にも貢献したと整理している。鉄道が運ぶ人の流れを、沿線の観光地や商業施設が受け止める。輸送と開発をかみ合わせるこの構図が、その後の名鉄グループの原型となった。 [15][16][17][18]

  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [15]1967年 名鉄バスターミナルビルは当時東洋一の規模と呼ばれた
    • [16]1965年 博物館 明治村を開村、1967年 名鉄バスターミナルビル完成
    • [18]戦後復興〜高度成長期に不動産・トラック・レジャーへ多角化
  • 名古屋鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1967年10月 名鉄バスターミナルビル全館完成
    • [14]土川元夫は1961〜1971年に社長を務め「名鉄中興の祖」と呼ばれた
  • 名鉄グループ統合報告書2024
    • [15]1967年 名鉄バスターミナルビルは当時東洋一の規模と呼ばれた
    • [16]1965年 博物館 明治村を開村、1967年 名鉄バスターミナルビル完成
    • [18]戦後復興〜高度成長期に不動産・トラック・レジャーへ多角化
  • 名古屋鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1967年10月 名鉄バスターミナルビル全館完成

1990年〜 バブル後の「名門の苦悩」と中部空港への賭け

名古屋鉄道の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1990年 名古屋本線神宮前・金山間複々線完成
  2. 1993年 犬山線と地下鉄鶴舞線との相互乗入れの営業開始
  3. 1997年 舞木定期検査場完成
  4. 1999年 不採算路線・多角化事業の見直しと分社化、中部圏への経営資源集中 地元利害と企業論理の板挟みのなか、名門名鉄はどこまで事業を畳んだか
  5. 1999年 中部圏への資源集中に着手
  6. 2000年 名鉄新一宮ビル全館完成
  7. 2005年 中部国際空港開港に合わせた空港線(常滑〜中部国際空港間)の新設 守りの再編を進める最中に、名鉄はなぜ空港直結への投資に踏み切ったか

2010年〜 構造改革とコロナ禍、持株会社体制への再編

名古屋鉄道の沿革1921〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
名古屋鉄道設立 (1921年6月13日設立、資本金12百万円)
名古屋電気鉄道の郡部線事業を譲受け★★
バス営業の開始
商号を名岐鉄道に変更
新一宮・新笠松間開通により押切町・新岐阜間全通
愛知電気鉄道を吸収合併★★
名古屋鉄道に商号変更
新名古屋駅開業
神宮前・新名古屋間の開通により東西線の連絡
神野金之助名古屋証券取引所に上場
千田憲三東京証券取引所に上場
千田憲三名鉄ビル全館完成
土川元夫名鉄百貨店・明治村・バスターミナルを核とする多角化とグループ経営の構築需要を自ら生むとは何だったか——土川元夫社長が鉄道の枠を超えて広げた事業 詳細を読む★★★
土川元夫名鉄バスターミナルビル全館完成
竹田弘太郎瀬戸線の栄町乗入れ工事が完成
竹田弘太郎瀬戸線の栄町乗入れの営業を開始
竹田弘太郎豊田線(赤池・梅坪間)の工事が完成
竹田弘太郎名古屋市交通局との相互乗入れの営業を開始
竹田弘太郎知多新線(富貴・内海間)全通
梶井健一羽島線(江吉良・新羽島間)営業開始
谷口清太郎名古屋鉄道金山駅の営業開始
谷口清太郎名古屋本線神宮前・金山間複々線完成
箕浦宗吉犬山線と地下鉄鶴舞線との相互乗入れの営業開始
箕浦宗吉舞木定期検査場完成
木村操不採算路線・多角化事業の見直しと分社化、中部圏への経営資源集中地元利害と企業論理の板挟みのなか、名門名鉄はどこまで事業を畳んだか 詳細を読む★★★
木村操中部圏への資源集中に着手★★
木村操名鉄新一宮ビル全館完成
木村操上飯田連絡線(上飯田・平安通間)の工事が完成
木村操小牧線と地下鉄上飯田線の相互乗入れの営業を開始
木村操中部国際空港開港に合わせた空港線(常滑〜中部国際空港間)の新設守りの再編を進める最中に、名鉄はなぜ空港直結への投資に踏み切ったか 詳細を読む★★★
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出典・参考

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