京王電鉄 の歴史

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創業 1910年
創業者 井上篤太郎
創業地 東京都
創業
1910年9月、京王電気軌道株式会社が資本金125万円で設立された。新宿から八王子への電気鉄道を構想しながら、認可の通りやすい軌道条例に基づく路面電車として出発し、1913年4月に笹塚〜調布間で営業を始めている。都心側の起点は新宿駅前ではなく追分にとどまった。八王子までの路線も自前の延伸ではなく、1926年12月の玉南電気鉄道の合併で取り込んだものである。1944年5月、陸上交通事業調整法により東京急行電鉄へ合併されて社名が消え、1948年6月に京王線・井の頭線とバス3営業所を承継する京王帝都電鉄として資本金5,000万円で分離独立した。1998年7月に京王電鉄へ商号を改めている。
決断
沿線の外へ出る手段に選んだのは、線路ではなくホテルだった。戦時統合から与えられた二路線を収益へ変える仕組みは、まず新宿の駅上に置かれた。1961年に京王百貨店、1969年に京王プラザホテルを設立し、1971年6月には47階建ての日本初の超高層ホテルを新宿西口へ開業して副都心の開発を先導する。百貨店では1994年11月に問屋依存の仕入れを自主MDへ切り替えた。1990年3月の相模原線橋本延伸を最後に路線は延びず、2017年に京王プレリアホテル京都、2018年に同札幌を設立し、2020年には飛騨高山の高山グリーンホテルを取得した。2026年3月期にホテル業は交通業・不動産業と並ぶ報告セグメントとなり、営業利益101億円を計上している。
現況
売上が過去最高を更新した期に、営業利益はむしろ前期を下回った。2026年3月期の連結売上高は4,969億円と前期から9.7%伸びた一方、営業利益は523億円で18億円減った。同期に報告セグメントを組み替え、交通業が売上1,322億円・利益132億円、生活サービス業が1,363億円・58億円、不動産業が1,147億円・171億円、ホテル業が596億円・101億円、建設設備業が538億円・74億円となり、利益では不動産業が29%で最大を占める。減益の出どころは交通業で、設備投資を477億円と前期の1.5倍へ増やした結果、減価償却費が20億円増えて利益は25億円減った。ここにJR東日本と共同で新宿駅西南口へ総事業費3,000億円を投じる計画が重なり、建設費の高騰で工期は現在も定まっていない。
競合
同じ多摩ニュータウンへ二社が線路を引き、先へ延ばしたのは京王だけである。小田急電鉄は1974年6月に新百合ヶ丘〜小田急永山、1975年4月に小田急多摩センターまで多摩線を延ばしたが、1990年3月の唐木田で止まっている。京王は同じ1990年3月に相模原線の南大沢〜橋本間を開通させ、橋本でJR横浜線・相模線へ接続する経路を得た。小田急の多摩線が東京都多摩市の唐木田で完結するのに対し、京王の相模原線は都県境を越えて神奈川県の橋本へ達している。両社は新宿でも西口に百貨店を並べてきたが、京王は2024年7月に商業施設運営事業を京王SCクリエイションへ承継し、2030年度に京王百貨店と統合して店舗運営を一本化する。
京王電鉄:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 路面電車としての出発と大東急時代の四年間 (1910年〜)

玉南電気鉄道合併で骨格を得た新宿〜八王子

1910年9月、京王電気軌道は資本金125万円で設立された。新宿から八王子への電気鉄道を構想していたが、軌道条例に基づく路面電車として東京府の認可を受けての開業を選んだ。1913年4月に笹塚から調布までの約12キロの区間で電車営業を始め、同時に新宿から笹塚まで、そして調布から国分寺までの区間で路線バスも走らせている。鉄道とバスの併走は、沿線の交通需要がまだ乏しい時期に面的なネットワークを敷くことで広く集客を図ろうとする独自の判断であった。都心と郊外を結ぶ幹線鉄道としての地位はまだ得ておらず、開業当初は都心側の起点も新宿駅前ではなく追分にとどまる、慎ましい滑り出しだった。郊外への人口移動の波を、京王はまだ一事業者として遠くから眺めていた段階にすぎない。 [1][2][3]

  • 京王電鉄 有価証券報告書 第○期【沿革】(当時:京王電気軌道)
    • [1]1910年9月 京王電気軌道を資本金125万円で設立
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王電気軌道)
    • [2]1913年4月 笹塚〜調布間で電車営業開始・同時に新宿〜笹塚間/調布〜国分寺間で路線バス営業開始
    • [3]軌道条例に基づく路面電車として東京府の認可を受けて開業(幹線鉄道ではなく軌道)

1928年5月には新宿から東八王子までの直通運転を開始した。府中から東八王子までの区間は、関連会社の玉南電気鉄道が1925年にすでに開業しており、1926年に京王が玉南を合併することで八王子方面への路線を取り込んだ。現在の京王線の骨格は、自前の路線延伸ではなく、関連会社の合併によって得られた。八王子方面への進出は、後年の路線網の土台を形づくったといえる。 [4][5]

  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王電気軌道)
    • [4]1928年5月 新宿〜東八王子間の直通運転を開始
    • [5]府中〜東八王子間は玉南電気鉄道が1925年に開業済み・1926年に京王が玉南を合併して八王子方面路線を取り込み(現京王線の骨格)
  • 京王電鉄 有価証券報告書 第○期【沿革】(当時:京王電気軌道)
    • [1]1910年9月 京王電気軌道を資本金125万円で設立
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王電気軌道)
    • [2]1913年4月 笹塚〜調布間で電車営業開始・同時に新宿〜笹塚間/調布〜国分寺間で路線バス営業開始
    • [4]1928年5月 新宿〜東八王子間の直通運転を開始
    • [3]軌道条例に基づく路面電車として東京府の認可を受けて開業(幹線鉄道ではなく軌道)
    • [5]府中〜東八王子間は玉南電気鉄道が1925年に開業済み・1926年に京王が玉南を合併して八王子方面路線を取り込み(現京王線の骨格)

戦時統合に取り込まれた井の頭線の素地

1933年に渋谷から井ノ頭公園までの区間で帝都電鉄が開業し、1934年4月に渋谷から吉祥寺までの全線が開通した。この路線は戦時統合を経て京王帝都電鉄に承継され、京王の二大路線の一つを担う存在である。京王線が新宿から八王子へ向かう郊外放射路線であるのに対し、井の頭線は渋谷から吉祥寺へと、山手線南西部と中央線を短絡する横断路線の性格を持つ。性格の異なる二路線を抱える構造は、京王が戦後に再独立する以前の戦前段階から潜在的に用意されていた。郊外放射と都市内横断の二つを併せ持つ私鉄は限られており、この組み合わせがのちの沿線戦略における選択肢を広げる素地となった。鉄道史のうえでも、二つの異質な旅客流動を一社で受け持つ会社は独自の存在感を放ってきた。 [6][7][8]

    • [6]1933年 帝都電鉄が渋谷〜井ノ頭公園間を開業(井の頭線の素地)
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1934年4月 渋谷〜吉祥寺間 全線開通(井の頭線)
    • [8]井の頭線は戦時統合を経て京王帝都電鉄に承継され京王の二大路線の一つ(渋谷〜吉祥寺の都市内横断路線)

1944年5月、陸上交通事業調整法により京王電気軌道は東京急行電鉄に吸収合併されている。小田急電鉄や京浜急行電鉄とともに大東急体制に組み込まれ、井上篤太郎は東急相談役の立場に退いた。戦後、旧京王の従業員を中心に分離独立の機運が高まり、1948年6月に東急から分離する形で京王帝都電鉄が資本金5千万円で設立された。京王線と井の頭線、そしてバス3営業所を引き継ぐ形での再出発である。社名に残った『帝都』の二文字は大東急時代の東京急行電鉄に由来するもので、半世紀後の1998年まで使われ続けた。戦後の小田急・京急・京王の三社独立は、日本の私鉄史のうえでも節目とされる出来事である。 [9][10][11][12]

  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王電気軌道)
    • [9]1944年5月 陸上交通事業調整法により京王電気軌道が東京急行電鉄に吸収合併(大東急)
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】
    • [10]小田急電鉄・京浜急行電鉄とともに大東急体制に組み込まれた
    • [12]社名の「帝都」は大東急時代の東京急行電鉄に由来し1998年まで使われた/戦後の小田急・京急・京王の三社独立
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王帝都電鉄)
    • [11]1948年6月 東急から分離し京王帝都電鉄を資本金5,000万円で設立(京王線・井の頭線・バス3営業所を承継)
    • [6]1933年 帝都電鉄が渋谷〜井ノ頭公園間を開業(井の頭線の素地)
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1934年4月 渋谷〜吉祥寺間 全線開通(井の頭線)
    • [8]井の頭線は戦時統合を経て京王帝都電鉄に承継され京王の二大路線の一つ(渋谷〜吉祥寺の都市内横断路線)
    • [10]小田急電鉄・京浜急行電鉄とともに大東急体制に組み込まれた
    • [12]社名の「帝都」は大東急時代の東京急行電鉄に由来し1998年まで使われた/戦後の小田急・京急・京王の三社独立
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王電気軌道)
    • [9]1944年5月 陸上交通事業調整法により京王電気軌道が東京急行電鉄に吸収合併(大東急)
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王帝都電鉄)
    • [11]1948年6月 東急から分離し京王帝都電鉄を資本金5,000万円で設立(京王線・井の頭線・バス3営業所を承継)

新宿西口に出現した日本初の超高層ホテル

1949年5月に東京証券取引所に上場し、京王帝都電鉄は戦後復興期の成長軌道に乗った。1955年に不動産業の営業を始め、沿線の宅地開発にも着手した。1961年には京王百貨店を設立し、新宿駅直結の百貨店として流通業セグメントの中核に据えた。新宿という日本最大のターミナル立地が強みで、流通業の売上高は2010年3月期に1,704億円、営業利益47億円を計上している。戦後の鉄道会社が沿線とターミナルを一体で運営する経営モデルを、京王も踏襲した時期にあたり、運賃収入だけに頼らない収益基盤の準備を、京王は地味なかたちで積み重ねた。鉄道事業単独では稼ぎにくい時代を見越した、多角化の助走期だったといえる。 [13][14][15]

  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王帝都電鉄)
    • [13]1949年5月 東京証券取引所に上場
    • [14]1955年 不動産業の営業開始
    • [15]1961年 京王百貨店を設立(新宿駅直結・流通業セグメントの中核)

1967年に高尾線の北野から高尾山口までの区間が開通し、高尾山への観光アクセスを得た。高尾山はミシュラン・グリーンガイドで三つ星の評価を受ける観光地であり、京王にとって沿線で最大の観光資源である。1969年には京王プラザホテルを設立し、新宿西口に1971年6月、47階建ての日本初の超高層ホテルを開業した。新宿副都心の開発を引き寄せる役割を担い、後の高層ビル群の先陣を切った建物である。鉄道ターミナルでの百貨店とホテル、沿線での不動産と観光という事業構造は、1960年代後半に原型を持った。鉄道単独では稼ぎにくい時代を見越した多角化の柱が、ここで揃った。 [16][17][18]

  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王帝都電鉄)
    • [13]1949年5月 東京証券取引所に上場
    • [14]1955年 不動産業の営業開始
    • [15]1961年 京王百貨店を設立(新宿駅直結・流通業セグメントの中核)
    • [16]1967年 高尾線(北野〜高尾山口間)開通・高尾山への観光アクセスを確保
    • [17]高尾山はミシュラン・グリーンガイドで三つ星評価の観光地
    • [18]1969年 京王プラザホテルを設立し1971年6月に新宿西口で47階建ての日本初の超高層ホテルを開業

都営新宿線直通で多摩〜都心が一本に

1978年10月、新宿から笹塚までの区間に京王新線が開通し、複々線化を完了した。新宿駅の地下に新たな路線を建設するこの工事は、都営地下鉄新宿線との相互乗り入れを見据えた先行投資の性格も併せ持っていた。1980年3月には都営新宿線との相互乗り入れが始まり、京王線の利用者は新宿から先の岩本町・馬喰横山方面へ乗り換えなしで直通する経路を得た。都心への直通ルートの確保は沿線の通勤利便性を引き上げ、多摩地域からの旅客需要を支える経営の土台ともなった。京王の路線が新宿の先の山手線内まで直接つながったことで、沿線の価値は次の段階へと引き上げられた。多摩ニュータウンの急速な拡大と歩調を合わせる動きでもあった。 [19][20]

  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王帝都電鉄)
    • [19]1978年10月 京王新線(新宿〜笹塚間)開通・複々線化完了
    • [20]1980年3月 京王線と都営地下鉄新宿線の相互乗り入れ開始

1990年3月に相模原線の南大沢から橋本までの区間が開通し、調布から橋本までの全線が通じた。多摩ニュータウンへのアクセス路線として、沿線人口の増加を支える主要な役割を担った。セグメント別にみると、2019年3月期は運輸業が売上高1,299億円・営業利益147億円、不動産業が472億円・94億円、レジャー・サービス業が762億円・70億円で、運輸業を主力としつつ不動産とレジャー・サービスがそれぞれ利益を稼ぐ多角的な収益構造に到達している。1998年7月、社名を京王帝都電鉄から京王電鉄へと改めた。大東急時代の名残である『帝都』の二文字を、ようやく半世紀ぶりに社名から外し、戦時統合の最後の痕跡をようやく整理した節目でもある。 [21][22]

  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王帝都電鉄)
    • [21]1990年3月 相模原線(南大沢〜橋本間)開通・調布〜橋本間の全線開通
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1998年7月 京王帝都電鉄から京王電鉄に社名変更(「帝都」の二文字を外す)
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】(当時:京王帝都電鉄)
    • [19]1978年10月 京王新線(新宿〜笹塚間)開通・複々線化完了
    • [20]1980年3月 京王線と都営地下鉄新宿線の相互乗り入れ開始
    • [21]1990年3月 相模原線(南大沢〜橋本間)開通・調布〜橋本間の全線開通
  • 京王電鉄 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1998年7月 京王帝都電鉄から京王電鉄に社名変更(「帝都」の二文字を外す)

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京王電鉄の沿革1910〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1910〜1947年路面電車としての出発と大東急時代の四年間京王電気軌道を設立
笹塚〜調布間で電車開通、路線バス営業開始
玉南電気鉄道を合併★★
新宿〜東八王子間の直通運転開始
渋谷〜吉祥寺間全線開通(井の頭線)
陸上交通事業調整法により東京急行電鉄に合併(大東急)★★
1948〜1997年新宿ターミナルの百貨店・ホテルと多摩への複々線化三宮四郎東京急行電鉄から分離し京王帝都電鉄を設立★★
三宮四郎東京郊外自動車・笹塚自動車工業の株式取得
三宮四郎東京証券取引所に上場
三宮四郎京王帝都観光協会を設立
三宮四郎不動産業の営業開始★★
井上定雄奥多摩振興の株式取得
井上定雄京王食品を設立
井上定雄京王百貨店を設立★★
井上定雄高尾線開通(北野〜高尾山口間)
小林甲子郎高速バス運行開始★★
小林甲子郎京王プラザホテルを設立★★
小林甲子郎京王ハウジングを設立
井上正忠京王新線開通、新宿〜笹塚間の複々線化
井上正忠京王線と都営地下鉄新宿線の相互乗入れ開始
箕輪圓京王プラザホテル札幌を設立
桑山健一京王アートマンを設立
桑山健一新本社屋完成、多摩市に移転
桑山健一相模原線全線開通(調布〜橋本間)
西山廣一京王百貨店の構造改革——自主MD化と専門大店化

1993年6月に京王ストア社長から転じた川村六郎氏が京王百貨店社長に就任し、94年下期から、仕入れから販売までを自社で手掛ける『自主MD』への転換と、地域の客層に品ぞろえを絞る『専門大店』化を柱とする構造改革に着手した経営判断である。

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★★★
1998〜2020年リビタ買収とホテル全国展開で築いた三本柱三枝正幸京王電鉄に商号変更
三枝正幸京王プレッソインを設立
加藤奐自動車事業を京王電鉄バスに営業譲渡
永田正永田正が代表取締役社長に就任
永田正リビタの株式取得
紅村康紅村康が代表取締役社長に就任
紅村康京王プレリアホテル京都を設立
紅村康高山グリーンホテルの株式取得
紅村康初の経常赤字・純損失を計上★★
都村智史都村智史が代表取締役社長に就任
都村智史新宿駅西南口地区の再開発、JR東日本との共同事業と総事業費3000億円の投資

京王電鉄は2022年4月、JR東日本と共同で新宿駅西南口地区(北街区=京王百貨店新宿店の敷地、南街区=JR東日本グループ商業施設の敷地)の再開発計画を公表し、2023年8月の取締役会で総事業費約3000億円・自社負担約920億円の事業推進を決定した。だが2025年3月、建設する施工会社が固まらず、南街区の完成予定を『未定』に変更した。

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★★★
出典・参考

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