東急の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

広げた企業集団は返し、線路の上下の空間だけは返さなかった。1942年5月の関東の主要私鉄を一社へ統合した大東急の形成は陸上交通事業調整法による国策で、6年後に3社が分離される。自ら広げた側では、1966年4月に多摩田園都市の建設に着手し、1977年4月には玉川線に代えて地下新線の新玉川線を開業した。1968年から五島昇社長が流通・ホテル・観光・航空へ事業を多角化し、上場13社を含む企業集団を築いたが、地価の下落でこれらは不振に陥った。1995年3月に特別損失429億円を処理して非中核事業を整理し、2002年10月には日本エアシステムの経営統合を通じて航空事業から撤退した。整理の対象にならなかったのが鉄道用地で、2013年3月に東横線渋谷駅を地下化して地上に空いた軌道跡へ、2018年に渋谷ストリーム、2019年に渋谷スクランブルスクエア東棟を建てている。

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