五島昇
東急・元代表取締役社長
社長就任 1954年5月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部
出自 —
社長就任までの出自
社長に選ばれた経緯
抜擢
1954年5月、38歳で東京急行電鉄の取締役社長に就任した。前任は鈴木幸七氏である。父・五島慶太氏は1951年8月に公職追放を解かれて復帰し、1952年5月に代表取締役会長へ移っていた。同じ役員欄に並ぶ副社長・田中勇氏は1926年の目黒蒲田電鉄入社から副社長まで43年、専務・馬淵寅雄氏は1926年の東京横浜電鉄入社から専務まで40年を要している。1945年の入社から9年での就任は、年功ではなく創業家の継承として決まったとみられる。
在任中の主な施策
施策
在任は33年に及んだ。父が構想した多摩丘陵の面的開発を引き継ぎ、1959年の川崎市野川地区を皮切りに55地区3,204ヘクタールの区画整理を進め、多摩田園都市として宅地の販売益で鉄道の投資を回収する構造を築いた。1977年4月には路面電車の玉川線に代えて新玉川線を開業させ、都心へ直通させた。流通・ホテル・観光・航空へも事業を広げ、1986年時点で上場13社の企業集団となった。単体売上高は1954年3月期の41億円から1985年3月期の2,010億円へ伸びた。 日本エアシステムへ統合
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1945〜1987年
在任中の業績
就任前(FY53)41億円
退任時-
変化-
就任前(FY53)14.5%
退任時-
変化-
参考文献 3件
- 日本企業要覧 1969年版
- 日本企業要覧 1972年版
- 日経ビジネス 1979年7月号「編集長インタビュー」略歴欄