鉄道の地下化で生んだ跡地への集中投資による渋谷ターミナルの再開発
東横線と田園都市線を都心へ潜らせた東急は、地上に空いた軌道跡と駅街区をどうオフィス・商業の中核資産へ作り替えたか
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- 概要
- 2012年の渋谷ヒカリエから2018年の渋谷ストリーム、2019年の渋谷スクランブルスクエア第I期まで、東急が渋谷駅周辺で続けた面的な再開発の判断。東横線渋谷駅の地下化で地上に空いた軌道跡と、駅街区の一体再開発の機会をとらえ、渋谷を保有前提の中核資産と定めてオフィス・商業へ集中投資した。野本弘文社長・髙橋和夫社長の代にまたがる。
- 背景
- 2003年の田園都市線と東武伊勢崎線、2004年の東横線とみなとみらい線の相互直通運転で、渋谷を通り抜ける人の流れは太くなった一方、駅で乗り換える必然は薄れた。2000年代前半に東急は渋谷を保有前提の資産と定め、非中核事業の整理で集中投資の財務的な下地を整えていた。
- 内容
- 2012年に旧東急文化会館跡地へ渋谷ヒカリエが開業し、2013年3月の東横線渋谷駅地下化で地上の軌道跡が再開発用地になった。2018年に旧軌道跡へ渋谷ストリーム(投資額約680億円)が開業してGoogle日本法人が入居し、2019年に渋谷スクランブルスクエア第I期(東棟、投資額約498億円)が駅直上に開業した。
- 含意
- 線路を地下へ送り、地上に空いた鉄道用地を自ら不動産へ転用する手法は、他の私鉄には見られない特徴である。多摩丘陵で確立した「線路と土地の一体経営」が、渋谷という都心の一点で結実した。都市間競争のなかで、鉄道会社から街づくりを収益源とする企業への性格の変化を映す判断とみられる。
「線路と土地の一体経営」が結実した一点
この一連の再開発は、1922年の目黒蒲田電鉄の設立以来、東急が続けてきた「線路を敷いて沿線の土地で稼ぐ」という型を、渋谷という都心の一点へ凝縮した判断とみることができる。多摩丘陵では、まだ何もない丘に鉄道を通し、区画整理で生んだ宅地を売って投資を回収した。渋谷では逆に、すでに動脈となった線路を地下へ送り、地上に空いた鉄道用地を自ら不動産へ変えて長く保有する。面を外へ広げる開発から、都心の一等地を深く掘り下げる開発への移り変わりが、そこにうかがえる。
鉄道の跡地を賃料の生まれる床へ変える手法は、都市間競争と沿線人口の頭打ちに直面する私鉄が、鉄道の外に稼ぎ手を求める動きとも重なる。渋谷への集中投資は、2019年に鉄軌道業を東急電鉄として分社し、本体を不動産・生活サービスの持株会社へ改めた組織の造り替えとも符合していた。もっとも、保有する床の価値は入居する企業の需要に左右され、在宅勤務の広がりやオフィスの空室という問いから自由ではない。「100年に一度」とされる渋谷の造り替えが何を残すのかは、次の10年の使われ方のなかで測られていくとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
相互直通が太らせた流れと、薄れる乗り換え拠点
2003年3月に田園都市線が半蔵門線を介して東武伊勢崎線と相互直通運転を始め、翌2004年2月には東横線がみなとみらい線と直通した。渋谷を貫く鉄道網が首都圏の各方面へ伸び、渋谷を通り抜ける人の流れは太くなった。もっとも、直通が広がるほど渋谷駅で乗り換えて地上へ降りる必然は薄れ、通過されるだけの駅になりかねない懸念も生じた。駅街区そのものの吸引力を高めることが、沿線経営の次の課題として浮かび上がった[1]。
同じころ、東急は渋谷を長く手元に置く中核資産と定め、渋谷エリアの物件は保有を前提とし、その他のエリアでは資産の回転で稼ぐという二層の不動産方針を固めた。前提となったのが非中核事業の整理である。2001年に石油販売事業を終え、2002年には旧東亜国内航空の流れをくむ日本エアシステムの経営統合で航空事業から退き、バブル期に膨らんだリゾートや百貨店も縮めた。渋谷への集中投資を支える財務の下地が、2000年代前半に整えられた[2]。
線路の地下化が生む再開発用地
渋谷駅周辺で東急が動かせる余地を広げたのが、鉄道そのものの造り替えであった。2013年3月、東急は東横線渋谷駅を地下化し、東京メトロ副都心線・東武東上線・西武線との相互直通運転を始めた。地上を走っていた線路と駅は役目を終え、駅前の一等地に細長い軌道跡が空いた。列車の直通で沿線の利便を高める工事が、同時に再開発の用地を生み出す。鉄道会社にしか描けない再開発の下ごしらえであった[3]。
渋谷駅街区は東急・JR東日本・東京メトロが乗り入れる要衝で、一社の判断だけでは造り替えられない。線路の付け替えで生じた東急の用地と、三社にまたがる駅街区の一体再開発とが時期を重ね、渋谷を面で作り替える機会が巡ってきた。相互直通で首都圏の鉄道網の結節点となった渋谷の位置を、床と賃料を生む不動産へ転じる筋道が、こうして開かれていった[4]。
決断
鉄道資産を不動産へ振り向けたヒカリエ
集中投資の口火を切ったのが、2012年に開業した渋谷ヒカリエである。旧東急文化会館の跡地を建て替えた物件で、東横線渋谷駅の地下化と連動した渋谷再開発の第1弾に当たる。従来の駅ビルとは異なり、商業に加えてオフィスやミュージカル劇場、イベントホールを高層に積み、来街者を呼び込む複合施設とした。渋谷を面で作り替える一連の投資の最初の一手が、駅の東側に据えられた[5]。
東急がとった手法は、線路の地下化と付け替えで空いた鉄道用地を、そのままオフィスビルへ転用することであった。駅と線路という鉄道資産を不動産開発へ振り向ける点は、他の私鉄には見られない特徴である。渋谷を保有前提の中核資産と定めた以上、生み出した床は売り切らず長く保有して賃料を得る。多摩丘陵で宅地を売って回した開発利益還元の型に対し、渋谷では都心の床を持ち続けて稼ぐ構えをとった[6]。
跡地への集中投資――ストリームとスクランブルスクエア
2018年9月、旧東横線の地上を走っていた軌道の跡地に渋谷ストリームが開業した。投資額は約680億円で、地上35階の高層棟のオフィス階には、Googleの日本法人が入居した。渋谷から一度は本社を移していた同社の呼び戻しは、跡地に生まれたオフィスが世界的なIT企業の需要を満たす水準にあることを示した。地下化で不要になった線路の跡が、賃料を生む大企業のオフィス床へ姿を変えた[7]。
2019年11月、渋谷駅の直上に渋谷スクランブルスクエア第I期の東棟が開業した。渋谷エリアで最も高い約230メートル・地上47階の複合施設で、投資額は約498億円に上る。開発は東急のほか東日本旅客鉄道・東京地下鉄の3社が組み、鉄道の要衝そのものを高層ビルへ立ち上げた。低層に商業、中高層にオフィスを収め、屋上には展望施設「SHIBUYA SKY」、15階には産業交流施設「SHIBUYA QWS」を置いた[8][9]。
結果
渋谷の顔の刷新と、最終章へ向かう駅街区
渋谷ヒカリエから渋谷ストリーム、渋谷スクランブルスクエア第I期へと続いた一連の投資で、駅周辺の床面積と賃貸オフィスのストックは拡大した。地下へ送った線路の跡地と駅街区が、賃料を生むオフィス・商業に置き換わり、渋谷の駅前の風景は数年で刷新された。多摩丘陵の宅地開発が沿線の乗客を育てたのに対し、渋谷では保有する床が賃料という別の収益源を東急にもたらした[10]。
再開発は東棟の開業では終わらない。東急は2025年5月、渋谷駅街区の計画を「100年に一度」の大規模再開発と呼び、2030年度に駅と歩行者ネットワークが概成し、翌2031年度に渋谷スクランブルスクエア第II期の中央棟・西棟が完成すると示した。産業交流施設の「SHIBUYA QWS」が象徴するように、渋谷を新しい産業が生まれる街とする狙いも掲げる。2023年に社長へ就いた堀江正博社長は、「イノベーション、新産業が生まれる街づくりを[12]!」と語っている[11]。
- 東急 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
- 東急株式会社 ニュースリリース(2019年7月4日)「渋谷スクランブルスクエア第Ⅰ期(東棟)、2019年11月1日(金)に開業決定」
- 東急株式会社 プレスリリース(2025年5月9日)「『100年に一度』の大規模再開発、渋谷駅街区計画、最終章へ」
- 財界オンライン(2023年)「東急新社長・堀江正博の『イノベーション、新産業が生まれる街づくりを!』」
- 東京急行電鉄 有価証券報告書(2012年3月期・連結)