京成電鉄の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

国鉄と並走する路線の不利を、鉄道の外に置いた資産で埋めてきた。1960年12月に都営地下鉄1号線との相互直通運転を開始して押上どまりの不便を薄める一方、同年7月には三井不動産などとの共同出資でオリエンタルランドを設立し、浦安沖の埋立地開発へ参入した。副業利益の比重は1960年ごろの3割足らずから1964年には8割近くへ高まる。その副業が石油危機で不振に陥り、150億円を投じた成田空港線が未稼働のまま金利を生んだ結果、1977年に経営は行き詰まった。1979年6月には主力9行との協議のもとで334人の希望退職を含む人員合理化を実施し、川崎千春氏が社長を退任した。1983年の東京ディズニーランド開業で、並走の不利を補う手段は副業の利益から保有株の含み益へ移った。

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