キャンセル料を払ってまで直接脱硫装置の建設を取りやめた1974年の決定が、1976年の構想を支えていた。250億円の見積りが資材の高騰で700億〜800億円へふくらむはずだった投資を負わずに済み、金利と償却の重荷を抱えないまま利益を内部に残せた。石炭液化から医療機器までを一度に並べられたのは、守りを固めた後に手元が空いていたからであろう。業界全体が逆ざやに沈んでいた年に、この会社は次の投資先を選ぶ側に立っていた。
1980年代前半に東燃の収益を支えたのは、石炭液化でも医療機器でもなく、割安なサウジ原油を調達できるアラムコ系という位置であった。1981年度上期にアラムコ系12社が2,567億円の黒字を計上し、非アラムコ系22社が3,282億円の赤字を計上した事実は、この時期の石油会社の成績が、原油をどこから買えるかでほぼ決まっていたことを示している。エクソンの石炭液化も東燃テクノロジーの医療機器も、この時点ではまだ試行の段階にとどまり、精製の外に置いた事業は収益の当てにならなかった。多角化が実を結ぶかどうかは、その先の経営に委ねられた。