石炭液化分野へ進出(1976年・東燃ゼネラル石油の決断)

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東燃ゼネラル石油:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
石油精製専業からの多角化と、エンジニアリング事業の立ち上げ1976年、東亜燃料工業は石油ショック後の緊急避難で固めた財務のうえに、石炭液化・エンジニアリング・石油化学など石油精製以外の分野へ事業を広げる方針を打ち出した。設備投資を減価償却の範囲に抑えて利益を社内に残し、その余力を精製の外側へ向ける構想であった。

何をなぜ決めたか:石油精製専業からの多角化と、エンジニアリング事業の立ち上げ

概要

1976年、東亜燃料工業は石油ショック後の緊急避難で固めた財務のうえに、石炭液化・エンジニアリング・石油化学など石油精製以外の分野へ事業を広げる方針を打ち出した。設備投資を減価償却の範囲に抑えて利益を社内に残し、その余力を精製の外側へ向ける構想であった。

背景

石油ショック後、政府の価格凍結と円安により石油業界は巨額の赤字を抱えた。東亜燃料工業はガソリン比率の高い製品構成と軽い金利負担で黒字を保ち、業界では『東燃研究』という言葉が流行するほど収益力が際立っていた。

内容

直接脱硫装置の建設中止をはじめ設備投資を減価償却の範囲に抑え、利益を社内に残して財務を固めたうえで、エクソンの石炭液化、東燃テクノロジーによる保全管理・地盤改良・医療機器、東燃石油化学へと事業を広げる方針を示した。

含意

石油ショック後に設備投資を止めて残した余力を、精製の外側へ向けた判断であった。ただし1980年代前半の収益を支えたのは割安なサウジ原油を調達できるアラムコ系という位置であり、石炭液化も医療機器もまだ試行の段階にとどまった。

いつ何が起きたか6件
筆者考察
考察

考察:守りを固めた者だけが、先に手を伸ばせた

キャンセル料を払ってまで直接脱硫装置の建設を取りやめた1974年の決定が、1976年の構想を支えていた。250億円の見積りが資材の高騰で700億〜800億円へふくらむはずだった投資を負わずに済み、金利と償却の重荷を抱えないまま利益を内部に残せた。石炭液化から医療機器までを一度に並べられたのは、守りを固めた後に手元が空いていたからであろう。業界全体が逆ざやに沈んでいた年に、この会社は次の投資先を選ぶ側に立っていた。

1980年代前半に東燃の収益を支えたのは、石炭液化でも医療機器でもなく、割安なサウジ原油を調達できるアラムコ系という位置であった。1981年度上期にアラムコ系12社が2,567億円の黒字を計上し、非アラムコ系22社が3,282億円の赤字を計上した事実は、この時期の石油会社の成績が、原油をどこから買えるかでほぼ決まっていたことを示している。エクソンの石炭液化も東燃テクノロジーの医療機器も、この時点ではまだ試行の段階にとどまり、精製の外に置いた事業は収益の当てにならなかった。多角化が実を結ぶかどうかは、その先の経営に委ねられた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考

  • 証券アナリストジャーナル 1976年6月号(中原伸之・東亜燃料工業常務取締役、日本証券アナリスト協会企業分析部会 1976年4月23日講演要旨)
  • 日経ビジネス 1976年1月5日号
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「石油-第二次石油ショックと業界再編」
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書【沿革】

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