東燃ゼネラル石油ゼネラル石油と東燃の合併による東燃ゼネラル石油の発足と、エクソンモービル国内体制への編入

同棲か、本当の夫婦か——同じ系列に並んだ販売会社と精製専業会社を、どこまで一つにするか

時期 2000年3月
意思決定者(推定) エクソンモービル コーポレーション(親会社)・ゼネラル石油/東燃 両社取締役会
論点 外資系列内に並立した販売会社と精製会社の統合
概要
2000年7月1日、ゼネラル石油が東燃を吸収合併し、商号を東燃ゼネラル石油に改めた。前年の米エクソンとモービルの合併を受け、日本で並立していたエッソ石油・モービル石油・ゼネラル石油・東燃の4社を機能別に組み替える再編の一環で、新会社はエクソンモービル コーポレーションの間接子会社となった。
背景
1996年4月の特石法廃止で石油製品の輸入が自由化され、ガソリンの粗利は1995年度下期の1リットル44円58銭から1998年度上期の27円33銭へ落ちた。同じ系列に販売会社3社と精製専業1社が別法人のまま残る体制は、コスト削減を急ぐうえで重荷になっていた。
内容
存続会社は東証一部上場のゼネラル石油、消滅会社は精製専業の東燃。発行済株式総数3億8,062万8,338株を2.7株につき1株の割合で無償併合して減資し、新株5億6,148万8,560株を発行した。同じ7月、マーケティング業務と管理統括業務をエクソンモービルの有限会社2社へ委任する契約を結んだ。
含意
合併の1年半前から両社は本社を同居させ、営業も卸価格も支店も統合していた。エッソ石油とモービル石油は資本金200億円・110億円のまま有限会社へ組織変更され、情報開示の義務は軽くなった。2002年6月には両社を含む4社が合併し、エクソンモービル有限会社が発足した。
筆者の見解

先に動いた実務に、法人の形を合わせた

エッソ石油とゼネラル石油の社員は、1999年7月から同じフロアで二つの会社の仕事を並行してこなし、相手の会社のために働いた時間を集計して相殺していた。名刺には二つのマークが並び、名乗るときも社名を二つ告げた。合併という手続きを踏む前に、実務だけが先に一つになっていた。看板の掛け替え費用を理由に合併しないと説明しながら、別々に残していたのは取締役会だけであった。2000年7月の合併は新たな決断というより、先に動いた実態へ法人の形を合わせる手続きであった。

合併後最初の通期に512億円あった経常利益は、翌2002年12月期には83億円まで落ちた。両社が2,400人の27%にあたる650人を減らし、四つ並んでいた法人を二つへ整理してもなお、業績は原油と製品市況に振られた。飽和した国内市場で規模と機能を組み替える手は、コストの下限を押し下げることはできても、値決めの主導権までは取り戻せなかった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

特石法廃止が崩した価格体系

1996年4月1日に特定石油製品輸入暫定措置法が廃止され、ガソリンと灯軽油の税抜き価格をそろえる国際価格体系への移行が始まった。四半世紀続いたガソリン独歩高を前提に、元売各社は系列給油所を争って増やしており、国内の給油所は約5万4,000か所に達していた。人口や国土面積から見れば、国際比較で異常に多い数である。輸入自由化は、この過剰を抱えたまま価格競争を呼び込んだ[1]

価格競争は採算を削った。末端価格から原油代金と税金を差し引いたガソリンの粗利は、特石法廃止直前の1995年度下期に1リットル44円58銭あったが、1998年度上期には27円33銭まで落ちた。石油業界29社の1998年9月中間期は60億円の赤字となる。元売各社は本社人員の削減や精製設備投資の抑制に踏み切り、東燃もそのなかにいた[2][3]

同じ系列に四つの会社が並んでいた

日本の石油市場では、外資系のエッソ石油とモービル石油、半外資系のゼネラル石油が、ガソリンでそれぞれ6〜8%前後の市場占有率を持ち、首位の日本石油の16%を追っていた。この3社と、3社へ石油製品を供給する精製専業の東燃が一つに統合されていれば、ガソリンの市場占有率は21%となり、断トツの首位企業であるはずだ——1997年の週刊東洋経済はそう書いている。統合の利は、当時から数字で見えていた[4]

四つの会社が分かれたまま残ったのは、資本の来歴が別々だったためである。ゼネラル石油は1958年11月にゼネラル物産と東亜燃料工業が折半出資して設立した会社で、1979年5月にエッソ・イースタンが第三者割当で発行済株式数の49%を取得した。過半に一歩届かない持分がそのまま続き、1997年7月に420万株を追加取得して所有割合が50.1%となり、ようやく子会社になった[5]

決断

合併せずに一体化した一年半

1999年1月、エッソ石油とゼネラル石油はサービス相互提供契約を結び、「管理」「財務企画」「ロジスティクス」「営業」「法務」の5分野で互いにサービスを提供し合うことを決めた。同年5月中旬にはエッソ石油の本社がゼネラル石油の入るビルへ移り、7月から両社一体で仕事を始めた。会社組織とマークは残したまま、二つの会社の社員が同じフロアで自社と相手の仕事を両方こなした[6]

社員の名刺には両社のマークが並び、名乗るときも二つの社名を告げた。相手の会社の仕事をした分は労働時間を集計して全社員分を相殺し、取締役会だけは別に置いた。いっそ一緒になればという声に、両社は給油所の看板を替えるだけでも相当の費用がかかると答えていた。その一方で同じ年、両社は合計2400人の従業員のうち27%にあたる650人の早期退職を、4月23日を期限として実施している[7][8]

一社に束ねる決定と、有限会社への組織変更

1999年12月、米エクソンとモービルが正式に合併した。これを受けて日本のグループは機能別の再編に入る。2000年1月、有限会社組織の販売会社と管理統括会社を日本に設立すると発表し、続いて東証一部上場のゼネラル石油と東燃を7月1日付で合併させ、新会社を東燃ゼネラル石油とすることを決めた。存続するのは販売側のゼネラル石油、消えるのは精製専業の東燃であった[9]

2000年2月中旬、エクソンモービルはエッソ石油(資本金200億円)とモービル石油(同110億円)を、減資せずに株式会社から有限会社へ組織変更した。有限会社なら取締役の数が少なくて済み、常任監査役も置かなくてよい。飽和した国内市場で、両社が設備投資のために株式公開や社債発行を行う見込みもなかった。赤字のとき米国親会社の損金へ算入できるという税務上の利点も指摘されている[10]

結果

東燃ゼネラル石油の発足と機能別の委任

2000年7月、ゼネラル石油は東燃を合併し、商号を東燃ゼネラル石油に改めた。合併にあたっては発行済株式総数3億8,062万8,338株を2.7株につき1株の割合で無償併合して減資し、新株5億6,148万8,560株を発行した。前年の米エクソンとモービルの合併と併せ、同社はエクソンモービル コーポレーションの間接子会社となり、国内の他の子会社との一体運営に入った[11]

合併と同じ月、東燃ゼネラル石油はエッソ石油が設立したエクソンモービルマーケティングにマーケティング業務を、エクソンモービルビジネスサービスに管理統括業務を委任する契約を結んだ。販売と管理の実務を機能別会社へ移す組み替えで、同年12月には連結の販売子会社11社が解散した。同じフロアで別会社のまま働いてきた体制は、こうして法人の側から整理された[12]

統合の完了と、その後の収益

合併後も吸収は続いた。2001年1月にゼネラル物産を、同年7月にキグナス石油精製を吸収合併し、精製と販売の機能を1社へ集めた。エクソンモービル側の整理も進み、2002年6月にはエッソ石油、モービル石油、エクソンモービルマーケティング、エクソンモービルビジネスサービスの4社が合併してエクソンモービル有限会社が発足した。並立していた法人は、2002年までに二つへ収まった[13]

収益はしかし、束ねただけでは安定しなかった。合併後最初の通期となる2001年12月期の連結売上高は2兆623億円、経常利益は512億円、当期純利益は206億円であった。翌2002年12月期は売上高が1兆9289億円へ減り、経常利益は83億円、当期純利益は85億円まで落ちる。原油と製品市況に業績が振られる構造は、法人を一つにしても変わらなかった[14]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号「21世紀の業界地図 石油 特石法廃止きっかけに再編加速」
  • 週刊東洋経済 1997年5月24日号「やっぱりシェア! 規制緩和型〔2〕石油精製・元売り 低ROEで民族系優位」
  • 週刊東洋経済 1999年2月20日号「石油再編 スピードが決める淘汰 2大勢力の誕生で加速する価格競争」
  • 週刊東洋経済 1999年6月12日号「当惑 エッソ・ゼネラル石油 同棲それとも本当の夫婦 二つの会社同居の現実」
  • 週刊東洋経済 2000年3月4日号「前代未聞 エクソンモービルが国内再編 資本金200億円の巨大「有限会社」誕生のワケ」
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書【沿革】
  • 東燃ゼネラル石油 有価証券報告書(2001年12月期・2002年12月期・連結)

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