この判断の中心にあるのは、天然繊維一本足という構造的な限界に、武藤絲治氏が正面から向き合った点である。イタリアへ自ら飛んでナイロン技術を持ち帰るという個人的な行動力に始まり、防府工場と化粧品販売網へ大型投資を続けたGK計画は、"大鐘紡"の再興を急いだ経営判断だったと思われる。化粧品・食品を戦前の事業へ結びつけて説明した点にも、多角化を思いつきの拡大ではなく、鐘紡の歴史の延長線上に位置づけようとする意図がうかがえる。
もっとも、この多角化は繊維事業の縮小を伴わない"上乗せ"であり、伊藤淳二氏が引き継いだペンタゴン経営もまた、化粧品事業だけが単独で競争優位に立つ一本足構造を残したままだった。強い事業の利益で弱い事業を支え続ける仕組みは、1975年の無配転落を経てもなお続き、2003年に発覚する粉飾決算という遠い帰結にまで、その根はつながっていたのだろう。規模を拡大すること自体は、必ずしも事業構造の強さを意味しない。半世紀を経てなお、この判断はその問いを残しているといえる。