日本通運のルーツは1872年に設立された陸運元会社にある。江戸時代に飛脚問屋・和泉屋の支配人を務めた佐々木荘助が中心となり、明治政府の郵便制度整備に合わせて近代的な運輸会社を立ち上げた。1875年に内国通運会社へ改称し、鉄道貨物の発着両端輸送を担う『通運』事業の原型を築いた。鉄道が全国に延伸するにつれ、駅から届け先までの『最後の1マイル』を担う通運業者の役割はなった。通運は鉄道網と一体で成立する装置産業であり、全国の駅を押さえた事業者が強い立場を持つ。内国通運は早い段階から全国網を構築し、後の日本通運の広域ネットワークの原型を形づくった。 [1][2][3]
1928年に国際通運株式会社として発足した後、1937年10月、日中戦争下の戦時物資輸送を目的に『日本通運株式会社法』に基づく国策会社として日本通運が設立された。国際通運に同業6社の資産を統合し、政府と国鉄共済組合が資本の過半を出資した。1941年には東京合同運送ほか56社を合併し、全国の通運業者を一元的に束ねた。戦時体制で日本の陸上物流を独占的に担う巨大組織が成立した。この国策会社化は、通運業界の零細事業者を一社に集約した点で画期的であり、戦後の民営化後も日本通運は全国の駅頭拠点と集配網を丸ごと継承した。競合が一から全国網を敷く必要に迫られたのに対し、同社は設立時から全国規模の拠点数を抱える構造になった。 [4][5][6]
1950年、日本通運株式会社法の廃止と通運事業法の施行により、日本通運は民間会社として再出発し、東京証券取引所に上場した。政府出資は解消され、純然たる民間企業となったが、全国に張り巡らされた鉄道貨物の集配ネットワークはそのまま引き継いだ。1951年にはコンテナの試験輸送や美術品輸送業務を開始し、通運業者から総合物流企業への転換を模索し始めた。国内の貨物輸送は鉄道から自動車・船舶・航空へと多様化が進み、通運業者は駅頭集配だけでは荷主の需要に応えられなくなっていた。民営化とほぼ同時に多角化の種を蒔いたことが、後年の事業構成の幅を決めた。 [7][8]
1955年に国内航空貨物の混載業務、1957年に国際航空貨物の混載業務を開始し、航空フォワーディング事業に参入した。1964年には東京オリンピックの公式運搬を担当し、フランスから『ミロのヴィーナス』を輸送するプロジェクトを担った。1970年の大阪万博、1972年の札幌冬季オリンピックでも運搬業務を受託した。イベント物流での連続的な実績は日本通運のブランドを高め、美術品輸送や精密機器輸送といった高付加価値分野の基盤になった。鉄道貨物の通運から始まった事業は、航空貨物・イベント物流・特殊輸送へと広がり、『何でも運べる』総合物流企業という性格が定着した。この事業構成が、その後の海外展開でも日系顧客を多業種でまとめて受ける武器となる。 [9][10][11][12][13]
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|---|---|---|---|---|
| 1872〜1961年国策会社の誕生から民間企業としての再出発へ | 陸運元会社を設立 | ★ | ||
| 内国通運会社に商号変更 | ★ | |||
| 国際通運として発足 | ★ | |||
| 日本通運法に基づき設立 | ★★ | |||
| 東京合同運送ほか56社を合併 | ★★ | |||
| 民間会社として再出発・上場 | ★ | |||
| 「日本通運法を廃止する法律」の施行により一般商事会社に | ★★ | |||
| コンテナ試験輸送・美術品業務開始 | ★ | |||
| 観光業務・国内航空貨物混載業務開始 | ★ | |||
| 国際航空貨物混載業務開始 | ★ | |||
| 1962〜2021年海外展開の広がりとペリカン便撤退が残した教訓 | 米国日通を設立 | ★ | ||
| 米国日本通運設立 | ★ | |||
| 東京オリンピックの運搬を担当 | ★ | |||
| 大阪万博の運搬を担当 | ★ | |||
| オランダ日通設立 | ★ | |||
| ペリカン便開始 | ★★ | |||
| オランダ日本通運設立 | ★ | |||
| 香港日本通運設立 | ★ | |||
| ドイツ日通設立 | ★ | |||
| 海外拠点200突破 | ★ | |||
| 天宇客貨運輸服務有限公司(現・NX国際物流有限公司)設立 | ★ | |||
| 郵政事業庁との宅配便連合構想と共通ブランド協議 2000年秋、日本通運は宅急便で独走するヤマト運輸に対抗するため、郵政事業庁(後の日本郵政公社)との宅配便事業の連合を構想し、ペリカン便とゆうパック事業の統合や共通ブランドの検討にまで踏み込んだ。だが構想は正式な提携合意には至らず、9年後の2009年のJPエクスプレス設立まで持ち越された。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 本社を汐留地区に移転 | ★ | |||
| 本社を移転 | ★ | |||
| 日通キャピタル設立 | ★ | |||
| JPエクスプレス設立・ペリカン便統合 | ★★ | |||
| ペリカン便撤退・宅配便事業から撤退 | ★★ | |||
| 欧州日本通運設立 | ★ | |||
| 南アジア・オセアニア日本通運 設立 | ★ | |||
| 日通NECロジスティクス株式取得 | ★ | |||
| ワンビシアーカイブズ株式取得 | ★ | |||
| 2022〜2024年欧米メガフォワーダーへの挑戦と持株会社体制 | 齋藤充 | 持株会社体制への移行 ── NIPPON EXPRESSホールディングス設立 2022年1月4日、日本通運は単独株式移転により持株会社『NIPPON EXPRESSホールディングス』を設立し、持株会社体制へ移行した経営判断。初代社長には齋藤充氏が就任し、グループブランド『NX』を導入した。 詳細を読む | ★★★ | |
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| 堀切智 | 基幹システム開発失敗をめぐるアクセンチュア提訴と124億円賠償請求 2023年7月12日、日本通運は基幹システム開発の失敗を理由に、開発を受託していたアクセンチュアを東京地方裁判所に提訴し、約124億9100万円の損害賠償を求めた。 詳細を読む | ★★★ | ||
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