福山通運の源流は、第二次世界大戦前に広島県福山市を中心として小規模に営業していた運送業者12社が合同して設立した備後陸運株式会社にある[1]。第二次世界大戦の勃発で広島県下のトラック業界は一様に企業合同を強いられ、備後陸運を含む7社が合同して広島県貨物自動車株式会社が設立され、備後陸運はそのなかで福山支店として残った[2]。終戦とともに広島県貨物自動車は合同前の地域的独立企業体へ改組還元され、福山支店は1948年9月13日、福山貨物運送株式会社として発足した[3]。設立時の資本金は1,100千円[4]。社長は渋谷昇氏が務めた[5]。明治37年9月の生まれである[6]。
発足した福山貨物運送は、福山市を中心とする一般区域事業会社として運営された[7]。一般区域貨物自動車運送事業は、荷主と個別に契約して車両を仕立てる貸切トラック便を指す[8]。荷を出す側が一台分をまとめて用意できて初めて成り立つ商いである。ところが同社が発足以来引き受けてきたのは、特定の大口荷主の専属輸送ではなく、不特定多数の荷主を相手とする雑貨類の運搬だった[9]。行き先も出し手も散る小口の荷を貸切で運べば、車は満たないまま走る。同社はまもなく路線事業に重点を置き、路線網を広げ、営業所を各地に置いた[10]。
路線事業に踏み出すには、走る区間ごとに免許が要る。1949年12月、同社は尾道〜大阪間、大阪〜広島間などの路線免許を受けた[11]。1950年4月、笠岡市〜大阪市間で特別積合せ(定期便)事業を開始[12]。特別積合せは、複数の荷主の小口貨物を一台に積み合わせ、定めた区間を定めた時刻で走らせる運び方である。荷主が一台分を用意できなくても、集めれば一台になる。区域事業では荷主の都合が一便の中身を決めるのに対し、定期便では時刻表が先にあり、荷は後から載る。笠岡と大阪を結んだこの一本が、同社の主業を決めた[13]。
1950年8月、同社は国鉄福山駅における通運事業の免許を受けると同時に、商号を福山通運株式会社に変更した[14]。通運事業法に基づくこの事業は、国鉄の貨物駅で発着する荷の取次と集配を引き受けるものである[15]。自社の路線が届かない先へは鉄道が運び、駅から荷主までの端をトラックが埋める。路線を引くのに区間ごとの免許が要るように、国鉄の駅につなぐにもまた免許が要る。この免許は、国鉄の貨物網に自社のトラックをつなぐ許しにあたる。福山貨物運送の名から『貨物運送』が消え、『通運』が入ったのは、この免許と同じ月である[16]。設立から2年たたないうちに、同社は貸切だけの会社ではなくなった[17]。
路線を伸ばすには車と営業所が要る。同社は資本金を設立時の1,100千円から、1950年2月に2,750千円、同年6月に5,500千円、1951年8月に15,500千円、1952年2月に22,000千円へと積み増した[18]。4年で20倍である。一方で1955年6月には、山南・鞆・上下・小畑・油木の5営業所を分離し、資本金を18,960千円へ減資した[19]。分離した免許路線は合計243kmにのぼる[20]。同じ日に再評価積立金を資本へ組み入れて22,000千円に戻し、同年8月には従業員への第三者割当80,800株を加えて45,000千円とした[21]。
広げ方は自前の免許取得だけではなかった。同社は吉備運輸から児島〜津山間の路線を引き取り、新日本急送から広島〜下関間の路線を譲り受けた[22]。備南運輸は1956年10月1日を合併期日として吸収合併し、株式会社と有限会社を合わせて5社を自社に取り込んでいる[23]。他社が敷いた区間を免許ごと引き取れば、申請から積み上げるより速く網がつながる。同社はこれと並行して、他社にさきがけて鉄筋コンクリート高層建ての近代的ターミナル施設を山陽道各地に建てた[24]。この施設が後年のトラックターミナルの基礎となった[25]。
1959年11月、同社は大阪〜東京間の路線免許を取得した[26]。国道1号線に沿うこの区間には、当時の日本の貨物が最も濃く流れていた[27]。笠岡から大阪までは1950年に開いた定期便がすでに走っている[28]。そこへ大阪から東京までが継ぎ足され、山陽道を東へ走ってきた路線は大阪で終わらなくなった[29]。資本金は同じ1959年の6月30日に148,000千円[30]。設立時の1,100千円から11年で134倍である。合同を解かれた会社の一支店を引き継ぎ、貸切一本で始まった福山貨物運送は、この11年で路線事業者へ姿を変えた[31]。
福山通運は1959年11月、大阪〜東京間の路線免許を取得した[32]。国道1号線を走るこの免許で、1960年3月から大阪市〜東京都間の特別積合せ事業を始めた[33]。それまでの同社の路線は、1949年12月に受けた尾道〜大阪間、大阪〜広島間などを軸に山陽道を東西へ伸び、東の端は大阪で止まっていた[34]。東京まで届いたことで、路線は太平洋ベルト地帯を一本で貫いた[35]。営業収益は1960年3月期の9億630万円から1970年3月期の155億3,700万円へ、10年間で17倍に伸びた[36]。1970年3月期の営業収益に占める割合は、貨物自動車運送事業が99.4%、そのうち一般路線が76.8%を占めた[37]。
東京と大阪は稼ぎ頭であると同時に、最も金のかかる場所でもあった[38]。1970年3月期には両支店で全支店の営業収益の43.5%を占め、直近5年間の設備投資額は大阪支店が14億5,000万円、東京支店が32億4,000万円に達した[39]。1965年頃から大阪・名古屋・東京の大都市に大ターミナルを建て、大量高速輸送の基地を置いた[40]。ターミナルは広域集配を前提とする大店所主義で規模が大きく、同社は他社との共同使用をいっさい行わず、外部の傭車の使用も極端に絞った[41]。理由として挙げたのは、積載効率の向上と管理費など間接費の節減である[42]。投資は借入で賄い、1970年3月期末の長期借入金は約108億円、総資産に占める固定資産の割合は79.3%と、同業他社平均の53.8%を大きく上回った[43]。
1960年8月、福山通運は近畿日本鉄道と資本提携した[44]。同年11月2日、近畿日本鉄道への第三者割当で104万株を1株50円で発行し、資本金を1億4,800万円から2億円へ引き上げた[45]。増資はその後も重なり、1966年8月に3対2の割当増資で10億円、1968年9月に1対1の割当増資で20億3,000万円となり、1970年7月には吸収合併を挟んで20億5,000万円に達した[46]。1970年7月22日現在の株主構成は、近畿日本鉄道が66.7%、渋谷昇社長が11.0%、小丸法之専務が1.0%を持ち、上位10名で83.4%を占めた[47]。
路線と事業区域は、免許を持つ会社ごと引き受けて広げた[48]。1967年10月に日本急配運送を吸収合併して鳥取県一円の事業区域と山陰〜大阪間の路線免許を取り、1968年10月には若津トラックを吸収合併して福岡県一円と佐賀県の一部の事業区域を得た[49]。1969年4月には長北運輸から山口県一円の事業区域と下関〜長門〜萩〜山口間の路線免許を、1970年6月には三次急送から三次〜福山間の路線免許を、いずれも合併で受け継いだ[50]。一般区域貨物自動車運送事業の営業収益は、1968年3月期の20億6,861万円から1970年3月期の35億836万円へ増えた[51]。1970年3月期には福山〜松山間ほか2線340km、出雲〜山口間250km、東名高速道路の一宮〜東京間376kmの路線免許を新たに取得している[52]。
1970年11月2日、福山通運は東京・大阪両証券取引所の市場第二部と広島証券取引所へ株式を上場した[53]。売り出しによる公開株数は東京2,500,000株、大阪2,500,000株、広島100,000株、公開価格は210円だった[54]。上場時の資本金は20億5,000万円、上場株式数は4,100万株[55]。路線事業収益で見た同業内の位置は、日本通運、西濃運輸、日本運送に次ぐ第4位にあった[56]。上場から1年後、渋谷昇社長は近畿日本鉄道の持株比率を30%程度まで下げてほしいと述べ、近鉄が手放した150万株のうち70万株を従業員へ、80万株を証券会社を通じて市場へ出した[57]。
長距離の幹線輸送は、自社のトラックから国鉄の貨車へ移った[58]。福山通運は国鉄が研究していたフレートライナーおよび長距離カーフェリーとの共同一貫輸送を進め、自社所有の10トンコンテナーを岡山〜東京間に毎日30両から32両、広島〜東京間に毎日10両前後、国鉄と共同で走らせた[59]。国鉄の5トンコンテナーは自由に使えたため、北九州方面の貨物輸送にはこれを借りた[60]。建設省が道路事情を理由に10トンを超えるコンテナーを認めず、10トンコンテナーは同社が持つものが使われた[61]。1972年3月には、フレートライナーの利用による北海道向け輸送を始めた[62]。
長距離運行をフレートライナーへ切り替えた効果は、運賃以外の場所に出た[63]。トラックを長距離輸送に使わなくなって車両の損耗が減り、2年で入れ替えていたものが3年もつようになって償却負担が軽くなった[64]。3泊4日におよぶ長時間労働から生じる事故も防げた[65]。1971年4月から9月までの営業収益は114億8,400万円、税引前利益は10億2,300万円となり、前年同期の97億5,500万円、2億9,100万円を上回った[66]。渋谷昇社長はこの伸びを、1966年から1969年にかけて会社の規模に不釣合いなほど大きな設備投資を行った成果だと説明した[67]。
東京以北に自前の路線は引かず、その地域の既存業者と提携して連絡輸送を行った[68]。利益の出る路線は広島以東で、大阪を中心とする地域が最も多く、次いで名古屋であり、設備の過剰な東京はまだ大きな利益を上げていなかった[69]。他社の路線と国鉄の貨車には荷を預けたが、荷を積み替える場所と運ぶ人は自前で抱え続けた[70]。ターミナルは他社と共用せず、各ターミナルの中か近くに2DKから3DKの家族住宅2,500戸を持ち、従業員の47%、東京〜姫路間の各支店では92%がそこに住んだ[71]。1972年8月、株式は東京・大阪両証券取引所の市場第一部へ指定された[72]。
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|---|---|---|---|---|
| 1948〜1959年貸切から定期便へ、他社の路線を継いで山陽道を東へ | 福山貨物運送を設立し区域(貸切便)事業を開始 | ★★★ | ||
| 笠岡市~大阪市間の特別積合せ(定期便)事業を開始 | ★★★ | |||
| 福山通運に商号変更 | ★★ | |||
| 1960〜1972年東へ延びた国道1号線と、近鉄・国鉄につないだ全国網 | 大阪市~東京都間の特別積合せ事業を開始 | ★★ | ||
| 近畿日本鉄道と資本提携 | ★★ | |||
| ボウリング事業を開始 | ★ | |||
| 東京・大阪・広島の各証券取引所に株式を上場 | ★ | |||
| フレートライナーの利用による北海道向け輸送を開始 | ★ | |||
| 東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定 | ★ | |||
| 1973〜1994年自前で建てず、各地の福山通運とつないで全国を覆った | 東北福山通運と連絡運輸業務を提携 | ★ | ||
| 北海道福山通運と連絡運輸業務を提携 | ★ | |||
| 関東福山通運と連絡運輸業務を提携 | ★ | |||
| 小丸法之 | 全店のオンラインシステムを完成 | ★★ | ||
| 小丸法之 | VAN(輸送管理相互オンラインシステム)事業を開始 | ★★ | ||
| 小丸法之 | 国際航空貨物の取扱業務を開始 | ★ | ||
| 小丸法之 | 近畿福山通運を設立 | ★ | ||
| 第二種利用運送事業(航空)を開始 | ★ | |||
| 全国輸送網の確立 | ★★★ | |||
| 1995〜2026年提携で張った網を買い取り、また他社の網へつなぎ直す | 通関業務を開始 | ★ | ||
| 小丸成洋 | 国際貨物の一貫輸送体制の確立 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | 日立物流と業務提携 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | 四国・山陰地区の事業場を地域2社に営業移管 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | 株式交換で北海道・関東・近畿の福山通運3社を完全子会社化 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | 王子運送とその子会社6社を子会社化 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | 三統とその子会社3社を子会社化 | ★ | ||
| 小丸成洋 | セイノーホールディングスと業務提携 | ★★★ | ||
| 小丸成洋 | 東京~大阪間で専用貨物列車「福山レールエクスプレス号」の運行を開始 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | 日本郵便に東京23区の個人宛荷物配送を委託 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | E.H.UTARA HOLDINGSとその子会社3社を子会社化 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | 東京支店新社屋での業務を開始 | ★ | ||
| 小丸成洋 | 全長25mのダブル連結トラックの運行を開始 | ★★ | ||
| 小丸成洋 | PT.FUKUYAMA TRANSPORTING INDONESIAを設立 | ★ | ||
| 小丸成洋 | 近鉄特急の貨客混載で大阪~名古屋間の当日配送を開始 | ★ | ||
| 小丸成洋 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 小丸成洋 | 北関東福山通運を吸収合併 | ★ | ||
| 小丸成洋 | 浪速運送と幹線輸送の共同運行で業務提携 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(福山通運)