福山通運 の歴史

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創業 1948年
創業者 渋谷昇
創業地 広島県福山市
創業
1948年9月13日、渋谷昇氏が広島県福山市で資本金110万円の福山貨物運送を設立した。源流は戦前に福山市周辺の運送業者12社が合同した備後陸運で、戦時の企業合同で広島県貨物自動車の福山支店となり、終戦後の改組でその支店が独立した。発足時は荷主ごとに車を仕立てる一般区域事業だったが、引き受けたのは不特定多数の荷主が出す雑貨で、貸切で運べば車は満たないまま走る。同社はまもなく路線事業へ主力を移し、1949年12月に尾道〜大阪間などの路線免許を受け、1950年4月に笠岡市〜大阪市間で特別積合せ(定期便)事業を始めた。同年8月には国鉄福山駅の通運事業免許を取得すると同時に、商号を福山通運へ変更した。
決断
自ら申請した区間より、他社から引き取った免許のほうが網を広げた。吉備運輸と新日本急送から2区間の路線を譲り受け、1956年10月に備南運輸ほか5社を吸収合併した。1960年3月には大阪〜東京間の特別積合せを始めて太平洋ベルト地帯を一本で貫き、1967年から1970年にかけて4社を合併して山陰・北九州・山口へ事業区域を広げた。東京以北には自前の路線を引かず、1973年10月から1985年2月まで、地域ごとの同名会社と七度にわたり連絡運輸を提携する。1985年からは四国・九州・近畿の3社を自ら設立し、2004年1月には北海道・関東・近畿の3社を株式交換で完全子会社化した。提携でつないだ網をのちに資本で取り込む順序が、免許を一区間ずつ積むより早く全国を覆わせた。
現況
売上の8割を運ぶ運送事業が、4事業の利益の半分を返していない。2026年3月期の連結売上高は3,185億円、営業利益93億円で、営業利益率は2.9%にとどまる。特別利益126億円を計上し、親会社株主に帰属する当期純利益は136億円となった。セグメントを開示した直近の2025年3月期では、運送事業が売上2,345億円・利益49億円、貸切事業が262億円・22億円、流通加工事業が223億円・32億円、国際事業が118億円・2億円で、運送事業の利益は4事業の合計107億円のうち46%にとどまる。連結従業員は22,501人、平均年齢45.9歳である。人手を大量に抱えて走らせる原価構造が、売上の伸びをそのまま利益へ通さない状態を残している。
競合
同業と路線を争うより、幹線を持ち寄る相手にしてきた。1970年時点の路線事業収益で福山通運は日本通運西濃運輸・日本運送に次ぐ第4位にあり、輸送トンキロで全国の約4分の1を占める関東圏では売上比率が約18%と、西濃運輸の約40%の半分程度にとどまった。関東圏の路線貨物ではヤマト運輸佐川急便のシェアも下回っている。2013年3月、その西濃運輸を傘下に持つセイノーホールディングスと戦略的物流システムで業務提携し、同一の配送先を集約する共同一括配送と幹線の共同運行を始めた。同じ月には日本貨物鉄道と提携して東京〜大阪間に専用貨物列車を走らせ、のちに4路線へ広げている。運転者の不足と2024年からの時間外労働の上限規制が、かつて免許を奪い合った同業を、車両と拠点を融通し合う相手へ変えた。
長期業績の推移 1950〜2026年
福山通運:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 貸切から定期便へ、他社の路線を継いで山陽道を東へ (1948年〜)

創業ストーリー(1)

広島県貨物自動車の福山支店から発足した福山貨物運送

福山通運の源流は、第二次世界大戦前に広島県福山市を中心として小規模に営業していた運送業者12社が合同して設立した備後陸運株式会社にある[1]。第二次世界大戦の勃発で広島県下のトラック業界は一様に企業合同を強いられ、備後陸運を含む7社が合同して広島県貨物自動車株式会社が設立され、備後陸運はそのなかで福山支店として残った[2]。終戦とともに広島県貨物自動車は合同前の地域的独立企業体へ改組還元され、福山支店は1948年9月13日、福山貨物運送株式会社として発足した[3]。設立時の資本金は1,100千円[4]。社長は渋谷昇氏が務めた[5]。明治37年9月の生まれである[6]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [1]福山通運の前身は、第2次世界大戦前に広島県福山市を中心に小規模に営業していた運送業者12社が合同して設立した備後陸運株式会社である
    • [2]第2次世界大戦の勃発で広島県下のトラック業界は一様に企業合同を強いられ、備後陸運を含む7社が合同して広島県貨物自動車株式会社が設立され、備後陸運はその中で福山支店として存在した
    • [3]終戦とともに広島県貨物自動車株式会社は合同前の地域的独立企業体に改組還元されることとなり、同社福山支店は昭和23年9月13日、福山貨物運送株式会社として発足した
    • [4]昭和23年9月13日、福山貨物運送株式会社として設立。資本金1,100千円(額面50円)
  • 日本経済新報 1962年
    • [5]渋谷昇は福山通運株式会社取締役社長。明治37年9月生れ
    • [6]渋谷昇は福山通運株式会社取締役社長。明治37年9月生れ

発足した福山貨物運送は、福山市を中心とする一般区域事業会社として運営された[7]。一般区域貨物自動車運送事業は、荷主と個別に契約して車両を仕立てる貸切トラック便を指す[8]。荷を出す側が一台分をまとめて用意できて初めて成り立つ商いである。ところが同社が発足以来引き受けてきたのは、特定の大口荷主の専属輸送ではなく、不特定多数の荷主を相手とする雑貨類の運搬だった[9]。行き先も出し手も散る小口の荷を貸切で運べば、車は満たないまま走る。同社はまもなく路線事業に重点を置き、路線網を広げ、営業所を各地に置いた[10]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [7]発足当時は福山市を中心とする一般区域事業会社として運営されていた
    • [8]一般区域貨物自動車運送事業は貸切トラック便である
    • [9]同社は発足以来、不特定多数の荷主を相手とする雑貨類の運搬を主体としている
    • [10]同社はまもなく路線事業に重点を置くべく、路線網の拡充と営業所の各地設置を行なった
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [1]福山通運の前身は、第2次世界大戦前に広島県福山市を中心に小規模に営業していた運送業者12社が合同して設立した備後陸運株式会社である
    • [2]第2次世界大戦の勃発で広島県下のトラック業界は一様に企業合同を強いられ、備後陸運を含む7社が合同して広島県貨物自動車株式会社が設立され、備後陸運はその中で福山支店として存在した
    • [3]終戦とともに広島県貨物自動車株式会社は合同前の地域的独立企業体に改組還元されることとなり、同社福山支店は昭和23年9月13日、福山貨物運送株式会社として発足した
    • [4]昭和23年9月13日、福山貨物運送株式会社として設立。資本金1,100千円(額面50円)
    • [7]発足当時は福山市を中心とする一般区域事業会社として運営されていた
    • [8]一般区域貨物自動車運送事業は貸切トラック便である
    • [9]同社は発足以来、不特定多数の荷主を相手とする雑貨類の運搬を主体としている
    • [10]同社はまもなく路線事業に重点を置くべく、路線網の拡充と営業所の各地設置を行なった
  • 日本経済新報 1962年
    • [5]渋谷昇は福山通運株式会社取締役社長。明治37年9月生れ
    • [6]渋谷昇は福山通運株式会社取締役社長。明治37年9月生れ
創業ストーリー(2)

笠岡市〜大阪市間の定期便と福山通運への商号変更

路線事業に踏み出すには、走る区間ごとに免許が要る。1949年12月、同社は尾道〜大阪間、大阪〜広島間などの路線免許を受けた[11]。1950年4月、笠岡市〜大阪市間で特別積合せ(定期便)事業を開始[12]。特別積合せは、複数の荷主の小口貨物を一台に積み合わせ、定めた区間を定めた時刻で走らせる運び方である。荷主が一台分を用意できなくても、集めれば一台になる。区域事業では荷主の都合が一便の中身を決めるのに対し、定期便では時刻表が先にあり、荷は後から載る。笠岡と大阪を結んだこの一本が、同社の主業を決めた[13]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [11]昭和24年12月、尾道~大阪間、大阪~広島間などの路線免許を受けた
    • [13]同社は以来一貫して路線事業に力を入れ、昭和45年3月期の営業収益に占める一般路線貨物自動車運送収益の割合は76.8%に達した
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1950年4月、笠岡市~大阪市間の特別積合せ(定期便)事業を開始

1950年8月、同社は国鉄福山駅における通運事業の免許を受けると同時に、商号を福山通運株式会社に変更した[14]。通運事業法に基づくこの事業は、国鉄の貨物駅で発着する荷の取次と集配を引き受けるものである[15]。自社の路線が届かない先へは鉄道が運び、駅から荷主までの端をトラックが埋める。路線を引くのに区間ごとの免許が要るように、国鉄の駅につなぐにもまた免許が要る。この免許は、国鉄の貨物網に自社のトラックをつなぐ許しにあたる。福山貨物運送の名から『貨物運送』が消え、『通運』が入ったのは、この免許と同じ月である[16]。設立から2年たたないうちに、同社は貸切だけの会社ではなくなった[17]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [14]昭和25年8月、国鉄福山駅における通運事業の免許を受けると同時に、商号を現在の福山通運株式会社に変更した
    • [15]同社の事業は道路運送法に基づく貨物自動車運送事業及び通運事業法に基づく通運事業ならびに損害保険代理業、娯楽施設の経営
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1950年8月、福山通運株式会社に商号を改称
    • [17]1948年9月の区域(貸切便)事業開始、1950年4月の特別積合せ(定期便)事業開始、1950年8月の商号改称
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [11]昭和24年12月、尾道~大阪間、大阪~広島間などの路線免許を受けた
    • [13]同社は以来一貫して路線事業に力を入れ、昭和45年3月期の営業収益に占める一般路線貨物自動車運送収益の割合は76.8%に達した
    • [14]昭和25年8月、国鉄福山駅における通運事業の免許を受けると同時に、商号を現在の福山通運株式会社に変更した
    • [15]同社の事業は道路運送法に基づく貨物自動車運送事業及び通運事業法に基づく通運事業ならびに損害保険代理業、娯楽施設の経営
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1950年4月、笠岡市~大阪市間の特別積合せ(定期便)事業を開始
    • [16]1950年8月、福山通運株式会社に商号を改称
    • [17]1948年9月の区域(貸切便)事業開始、1950年4月の特別積合せ(定期便)事業開始、1950年8月の商号改称
創業ストーリー(3)

他社路線の譲受と吸収合併で継いだ山陽道の網

路線を伸ばすには車と営業所が要る。同社は資本金を設立時の1,100千円から、1950年2月に2,750千円、同年6月に5,500千円、1951年8月に15,500千円、1952年2月に22,000千円へと積み増した[18]。4年で20倍である。一方で1955年6月には、山南・鞆・上下・小畑・油木の5営業所を分離し、資本金を18,960千円へ減資した[19]。分離した免許路線は合計243kmにのぼる[20]。同じ日に再評価積立金を資本へ組み入れて22,000千円に戻し、同年8月には従業員への第三者割当80,800株を加えて45,000千円とした[21]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [18]資本金は昭23.9.13に1,100千円、昭25.2.12に2,750千円、昭25.6.26に5,500千円、昭26.8.22に15,500千円、昭27.2.18に22,000千円
    • [19]昭30.6.20、営業所分離により22,000千円から18,960千円へ減資
    • [20]昭和30年、山南、鞆、上下、小畑、油木の5営業所を分離(分離した免許路線合計243km)
    • [21]昭30.6.20に再評価積立金の資本組入れで22,000千円、昭30.8.26に無償25円(再評価積立金の資本組入れ)と第三者割当80,800株(従業員)50円で45,000千円

広げ方は自前の免許取得だけではなかった。同社は吉備運輸から児島〜津山間の路線を引き取り、新日本急送から広島〜下関間の路線を譲り受けた[22]。備南運輸は1956年10月1日を合併期日として吸収合併し、株式会社と有限会社を合わせて5社を自社に取り込んでいる[23]。他社が敷いた区間を免許ごと引き取れば、申請から積み上げるより速く網がつながる。同社はこれと並行して、他社にさきがけて鉄筋コンクリート高層建ての近代的ターミナル施設を山陽道各地に建てた[24]。この施設が後年のトラックターミナルの基礎となった[25]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [22]吉備運輸株式会社から児島—津山間の路線を譲受け、新日本急送株式会社から広島—下関間の路線を譲受けた
    • [23]備南運送有限会社を吸収合併(合併期日31.10.1)。株式会社、有限会社合わせて5社を吸収合併するなど路線事業への躍進の基礎を築いた
    • [24]他社にさきがけて、鉄筋コンクリート高層建ての近代的ターミナル施設を山陽道各地に作った
    • [25]これが今日のトラックターミナルの基礎ともなっている

1959年11月、同社は大阪〜東京間の路線免許を取得した[26]。国道1号線に沿うこの区間には、当時の日本の貨物が最も濃く流れていた[27]。笠岡から大阪までは1950年に開いた定期便がすでに走っている[28]。そこへ大阪から東京までが継ぎ足され、山陽道を東へ走ってきた路線は大阪で終わらなくなった[29]。資本金は同じ1959年の6月30日に148,000千円[30]。設立時の1,100千円から11年で134倍である。合同を解かれた会社の一支店を引き継ぎ、貸切一本で始まった福山貨物運送は、この11年で路線事業者へ姿を変えた[31]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [26]昭和34年11月、大阪—東京間(国道1号線)の路線免許を取得した
    • [27]大阪—東京間(国道1号線)の路線免許を取得し、日本経済の動脈を手中に入れたことに起因する
    • [29]昭和34年11月、大阪—東京間(国道1号線)の路線免許を取得した
    • [30]昭34.6.30、資本金148,000千円
    • [31]同社は一貫して路線事業に力を入れ、路線事業の占める割合は76%に達し、路線事業者の中では第4位にある
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1950年4月、笠岡市~大阪市間の特別積合せ(定期便)事業を開始
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [18]資本金は昭23.9.13に1,100千円、昭25.2.12に2,750千円、昭25.6.26に5,500千円、昭26.8.22に15,500千円、昭27.2.18に22,000千円
    • [19]昭30.6.20、営業所分離により22,000千円から18,960千円へ減資
    • [20]昭和30年、山南、鞆、上下、小畑、油木の5営業所を分離(分離した免許路線合計243km)
    • [21]昭30.6.20に再評価積立金の資本組入れで22,000千円、昭30.8.26に無償25円(再評価積立金の資本組入れ)と第三者割当80,800株(従業員)50円で45,000千円
    • [22]吉備運輸株式会社から児島—津山間の路線を譲受け、新日本急送株式会社から広島—下関間の路線を譲受けた
    • [23]備南運送有限会社を吸収合併(合併期日31.10.1)。株式会社、有限会社合わせて5社を吸収合併するなど路線事業への躍進の基礎を築いた
    • [24]他社にさきがけて、鉄筋コンクリート高層建ての近代的ターミナル施設を山陽道各地に作った
    • [25]これが今日のトラックターミナルの基礎ともなっている
    • [26]昭和34年11月、大阪—東京間(国道1号線)の路線免許を取得した
    • [27]大阪—東京間(国道1号線)の路線免許を取得し、日本経済の動脈を手中に入れたことに起因する
    • [29]昭和34年11月、大阪—東京間(国道1号線)の路線免許を取得した
    • [30]昭34.6.30、資本金148,000千円
    • [31]同社は一貫して路線事業に力を入れ、路線事業の占める割合は76%に達し、路線事業者の中では第4位にある
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1950年4月、笠岡市~大阪市間の特別積合せ(定期便)事業を開始
創業ストーリー(4)

大阪から東京へ延ばした国道1号線の路線免許

福山通運は1959年11月、大阪〜東京間の路線免許を取得した[32]。国道1号線を走るこの免許で、1960年3月から大阪市〜東京都間の特別積合せ事業を始めた[33]。それまでの同社の路線は、1949年12月に受けた尾道〜大阪間、大阪〜広島間などを軸に山陽道を東西へ伸び、東の端は大阪で止まっていた[34]。東京まで届いたことで、路線は太平洋ベルト地帯を一本で貫いた[35]。営業収益は1960年3月期の9億630万円から1970年3月期の155億3,700万円へ、10年間で17倍に伸びた[36]。1970年3月期の営業収益に占める割合は、貨物自動車運送事業が99.4%、そのうち一般路線が76.8%を占めた[37]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [32]1959年11月に大阪〜東京間(国道1号線)の路線免許を取得した
    • [34]1949年12月に尾道〜大阪間、大阪〜広島間などの路線免許を受けた
    • [36]営業収益は1960年3月期の9億630万円から1970年3月期の155億3,700万円へ10年間で17倍に伸びた
    • [37]1970年3月期の営業収益に対する割合は貨物自動車運送事業99.4%、一般路線貨物自動車運送76.8%だった
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1960年3月、大阪市〜東京都間の特別積合せ事業を開始した
    • [35]1960年3月、大阪市〜東京都間の特別積合せ事業を開始した

東京と大阪は稼ぎ頭であると同時に、最も金のかかる場所でもあった[38]。1970年3月期には両支店で全支店の営業収益の43.5%を占め、直近5年間の設備投資額は大阪支店が14億5,000万円、東京支店が32億4,000万円に達した[39]。1965年頃から大阪・名古屋・東京の大都市に大ターミナルを建て、大量高速輸送の基地を置いた[40]。ターミナルは広域集配を前提とする大店所主義で規模が大きく、同社は他社との共同使用をいっさい行わず、外部の傭車の使用も極端に絞った[41]。理由として挙げたのは、積載効率の向上と管理費など間接費の節減である[42]。投資は借入で賄い、1970年3月期末の長期借入金は約108億円、総資産に占める固定資産の割合は79.3%と、同業他社平均の53.8%を大きく上回った[43]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [38]大阪・東京両支店で全支店の営業収益の43.5%を占め、最近5年間の設備投資額は大阪支店14億5,000万円、東京支店32億4,000万円に達した
    • [39]大阪・東京両支店で全支店の営業収益の43.5%を占め、最近5年間の設備投資額は大阪支店14億5,000万円、東京支店32億4,000万円に達した
    • [40]昭和40年頃から大阪・名古屋・東京等の大都市に大ターミナルを建造し、大量高速輸送の基地を確保した
    • [41]トラックターミナルは広域集配を原則とする大店所主義で規模が大きく、他社との共同使用をいっさいしておらず、外傭車使用も極端に少ない
    • [42]同社は共同使用しないメリットとして積載効率の向上と管理費等間接費の節減を挙げた
    • [43]1970年3月期末の長期借入金は約108億円、総資産に占める固定資産の割合は79.3%(同業他社53.8%)だった
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [32]1959年11月に大阪〜東京間(国道1号線)の路線免許を取得した
    • [34]1949年12月に尾道〜大阪間、大阪〜広島間などの路線免許を受けた
    • [36]営業収益は1960年3月期の9億630万円から1970年3月期の155億3,700万円へ10年間で17倍に伸びた
    • [37]1970年3月期の営業収益に対する割合は貨物自動車運送事業99.4%、一般路線貨物自動車運送76.8%だった
    • [38]大阪・東京両支店で全支店の営業収益の43.5%を占め、最近5年間の設備投資額は大阪支店14億5,000万円、東京支店32億4,000万円に達した
    • [39]大阪・東京両支店で全支店の営業収益の43.5%を占め、最近5年間の設備投資額は大阪支店14億5,000万円、東京支店32億4,000万円に達した
    • [40]昭和40年頃から大阪・名古屋・東京等の大都市に大ターミナルを建造し、大量高速輸送の基地を確保した
    • [41]トラックターミナルは広域集配を原則とする大店所主義で規模が大きく、他社との共同使用をいっさいしておらず、外傭車使用も極端に少ない
    • [42]同社は共同使用しないメリットとして積載効率の向上と管理費等間接費の節減を挙げた
    • [43]1970年3月期末の長期借入金は約108億円、総資産に占める固定資産の割合は79.3%(同業他社53.8%)だった
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1960年3月、大阪市〜東京都間の特別積合せ事業を開始した
    • [35]1960年3月、大阪市〜東京都間の特別積合せ事業を開始した
創業ストーリー(5)

近畿日本鉄道の傘下入りと、免許ごと引き受けた四社

1960年8月、福山通運は近畿日本鉄道と資本提携した[44]。同年11月2日、近畿日本鉄道への第三者割当で104万株を1株50円で発行し、資本金を1億4,800万円から2億円へ引き上げた[45]。増資はその後も重なり、1966年8月に3対2の割当増資で10億円、1968年9月に1対1の割当増資で20億3,000万円となり、1970年7月には吸収合併を挟んで20億5,000万円に達した[46]。1970年7月22日現在の株主構成は、近畿日本鉄道が66.7%、渋谷昇社長が11.0%、小丸法之専務が1.0%を持ち、上位10名で83.4%を占めた[47]

  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1960年8月に近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)と資本提携した
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [45]1960年11月2日、近畿日本鉄道への第三者割当1,040,000株(@50円)で資本金を148,000千円から200,000千円へ増やした
    • [46]1966年8月26日に3対2の割当で資本金10億円、1968年9月26日に1対1の割当で20億3,000万円、1970年7月15日の三次急送吸収合併時に20億5,000万円となった
    • [47]1970年7月22日現在の大株主は近畿日本鉄道66.7%、渋谷昇11.0%、小丸法之1.0%で、上位10名の合計は83.4%だった

路線と事業区域は、免許を持つ会社ごと引き受けて広げた[48]。1967年10月に日本急配運送を吸収合併して鳥取県一円の事業区域と山陰〜大阪間の路線免許を取り、1968年10月には若津トラックを吸収合併して福岡県一円と佐賀県の一部の事業区域を得た[49]。1969年4月には長北運輸から山口県一円の事業区域と下関〜長門〜萩〜山口間の路線免許を、1970年6月には三次急送から三次〜福山間の路線免許を、いずれも合併で受け継いだ[50]。一般区域貨物自動車運送事業の営業収益は、1968年3月期の20億6,861万円から1970年3月期の35億836万円へ増えた[51]。1970年3月期には福山〜松山間ほか2線340km、出雲〜山口間250km、東名高速道路の一宮〜東京間376kmの路線免許を新たに取得している[52]

  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [48]1967年10月に日本急配運送を吸収合併して鳥取県一円の事業区域と山陰〜大阪間の路線免許を、1968年10月に若津トラックを吸収合併して福岡県一円および佐賀県の一部の事業区域を取得した
    • [49]1967年10月に日本急配運送を吸収合併して鳥取県一円の事業区域と山陰〜大阪間の路線免許を、1968年10月に若津トラックを吸収合併して福岡県一円および佐賀県の一部の事業区域を取得した
    • [50]1969年4月に長北運輸を吸収合併して山口県一円の事業区域と下関〜長門〜萩〜山口間の路線免許を、1970年6月に三次急送を吸収合併して三次〜福山間の路線免許を取得した
    • [51]一般区域貨物自動車運送事業の営業収益は1968年3月期2,068,618千円から1970年3月期3,508,368千円へ増えた
    • [52]1970年3月期中に福山〜松山間外2線(340km)、出雲〜山口間(250km)、東名高速道路の一宮〜東京間(376km)の路線を新規取得した

1970年11月2日、福山通運は東京・大阪両証券取引所の市場第二部と広島証券取引所へ株式を上場した[53]。売り出しによる公開株数は東京2,500,000株、大阪2,500,000株、広島100,000株、公開価格は210円だった[54]。上場時の資本金は20億5,000万円、上場株式数は4,100万株[55]。路線事業収益で見た同業内の位置は、日本通運西濃運輸、日本運送に次ぐ第4位にあった[56]。上場から1年後、渋谷昇社長は近畿日本鉄道の持株比率を30%程度まで下げてほしいと述べ、近鉄が手放した150万株のうち70万株を従業員へ、80万株を証券会社を通じて市場へ出した[57]

  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [53]1970年11月、東京・大阪両証券取引所市場第二部および広島証券取引所へ株式を上場した
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [54]上場年月日は1970年11月2日、売出公開の公開株数は東京2,500,000株・大阪2,500,000株・広島100,000株、公開価格210円だった
    • [55]上場時の資本金は2,050,000千円、上場株式数は41,000千株だった
    • [56]路線事業収益では日本運送・西濃運輸・日本通運に次ぐ第4位にあった
  • 証券アナリストジャーナル 1971年12月号(渋谷昇)
    • [57]近畿日本鉄道から150万株を譲り受け、70万株を従業員に、80万株を証券会社を通じて市場へ放出した
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1960年8月に近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)と資本提携した
    • [53]1970年11月、東京・大阪両証券取引所市場第二部および広島証券取引所へ株式を上場した
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [45]1960年11月2日、近畿日本鉄道への第三者割当1,040,000株(@50円)で資本金を148,000千円から200,000千円へ増やした
    • [46]1966年8月26日に3対2の割当で資本金10億円、1968年9月26日に1対1の割当で20億3,000万円、1970年7月15日の三次急送吸収合併時に20億5,000万円となった
    • [47]1970年7月22日現在の大株主は近畿日本鉄道66.7%、渋谷昇11.0%、小丸法之1.0%で、上位10名の合計は83.4%だった
    • [48]1967年10月に日本急配運送を吸収合併して鳥取県一円の事業区域と山陰〜大阪間の路線免許を、1968年10月に若津トラックを吸収合併して福岡県一円および佐賀県の一部の事業区域を取得した
    • [49]1967年10月に日本急配運送を吸収合併して鳥取県一円の事業区域と山陰〜大阪間の路線免許を、1968年10月に若津トラックを吸収合併して福岡県一円および佐賀県の一部の事業区域を取得した
    • [50]1969年4月に長北運輸を吸収合併して山口県一円の事業区域と下関〜長門〜萩〜山口間の路線免許を、1970年6月に三次急送を吸収合併して三次〜福山間の路線免許を取得した
    • [51]一般区域貨物自動車運送事業の営業収益は1968年3月期2,068,618千円から1970年3月期3,508,368千円へ増えた
    • [52]1970年3月期中に福山〜松山間外2線(340km)、出雲〜山口間(250km)、東名高速道路の一宮〜東京間(376km)の路線を新規取得した
    • [54]上場年月日は1970年11月2日、売出公開の公開株数は東京2,500,000株・大阪2,500,000株・広島100,000株、公開価格210円だった
    • [55]上場時の資本金は2,050,000千円、上場株式数は41,000千株だった
    • [56]路線事業収益では日本運送・西濃運輸・日本通運に次ぐ第4位にあった
  • 証券アナリストジャーナル 1971年12月号(渋谷昇)
    • [57]近畿日本鉄道から150万株を譲り受け、70万株を従業員に、80万株を証券会社を通じて市場へ放出した
創業ストーリー(6)

国鉄のコンテナーと他社の連絡輸送でつないだ全国

長距離の幹線輸送は、自社のトラックから国鉄の貨車へ移った[58]。福山通運は国鉄が研究していたフレートライナーおよび長距離カーフェリーとの共同一貫輸送を進め、自社所有の10トンコンテナーを岡山〜東京間に毎日30両から32両、広島〜東京間に毎日10両前後、国鉄と共同で走らせた[59]国鉄の5トンコンテナーは自由に使えたため、北九州方面の貨物輸送にはこれを借りた[60]。建設省が道路事情を理由に10トンを超えるコンテナーを認めず、10トンコンテナーは同社が持つものが使われた[61]。1972年3月には、フレートライナーの利用による北海道向け輸送を始めた[62]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年12月号(渋谷昇)
    • [58]国鉄のフレートライナーおよび長距離カーフェリー等との共同一貫輸送を推進し、自社所有の10トンコンテナーで岡山〜東京間に毎日30両〜32両、広島〜東京間に毎日10両前後を配車した
    • [59]国鉄のフレートライナーおよび長距離カーフェリー等との共同一貫輸送を推進し、自社所有の10トンコンテナーで岡山〜東京間に毎日30両〜32両、広島〜東京間に毎日10両前後を配車した
    • [60]国鉄の5トンコンテナーは自由に使用できるため、北九州方面の貨物輸送に借用していた
    • [61]建設省は道路事情から10トンコンテナー以外を許可せず、10トンコンテナーは同社所有のものが使用されていた
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [62]1972年3月、フレートライナーの利用による北海道向け輸送を開始した

長距離運行をフレートライナーへ切り替えた効果は、運賃以外の場所に出た[63]。トラックを長距離輸送に使わなくなって車両の損耗が減り、2年で入れ替えていたものが3年もつようになって償却負担が軽くなった[64]。3泊4日におよぶ長時間労働から生じる事故も防げた[65]。1971年4月から9月までの営業収益は114億8,400万円、税引前利益は10億2,300万円となり、前年同期の97億5,500万円、2億9,100万円を上回った[66]。渋谷昇社長はこの伸びを、1966年から1969年にかけて会社の規模に不釣合いなほど大きな設備投資を行った成果だと説明した[67]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年12月号(渋谷昇)
    • [63]長距離運行をフレートライナーに切りかえた結果、自動車の損耗度が低くなり2年使用できるものが3年使用可能となって償却も減額された
    • [64]長距離運行をフレートライナーに切りかえた結果、自動車の損耗度が低くなり2年使用できるものが3年使用可能となって償却も減額された
    • [65]自動車による3泊4日の長時間労働から派生する事故も防止された
    • [66]1971年4月1日〜9月30日の営業収益は114億8,400万円、税引前利益10億2,300万円で、前年同期は97億5,500万円、2億9,100万円だった
    • [67]渋谷昇社長は業績向上を、1966年から1969年にかけて会社に不釣合いなほど大きな設備投資を行った成果だと説明した

東京以北に自前の路線は引かず、その地域の既存業者と提携して連絡輸送を行った[68]。利益の出る路線は広島以東で、大阪を中心とする地域が最も多く、次いで名古屋であり、設備の過剰な東京はまだ大きな利益を上げていなかった[69]。他社の路線と国鉄の貨車には荷を預けたが、荷を積み替える場所と運ぶ人は自前で抱え続けた[70]。ターミナルは他社と共用せず、各ターミナルの中か近くに2DKから3DKの家族住宅2,500戸を持ち、従業員の47%、東京〜姫路間の各支店では92%がそこに住んだ[71]。1972年8月、株式は東京・大阪両証券取引所の市場第一部へ指定された[72]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年12月号(渋谷昇)
    • [68]東京以北についてはその地域の既存業者と提携して連絡輸送を行っていた
    • [69]利益路線は広島以東で、大阪を中心とした地域が最も多く次いで名古屋、東京は設備過剰で大きな利益をあげるに至っていなかった
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [70]「職住一体化」を基本方針とし、各トラックターミナルの中または近くに2DK〜3DKの家族住宅2,500戸を保有し、全従業員の47%、東京〜姫路間の各支店では92%が利用していた
    • [71]「職住一体化」を基本方針とし、各トラックターミナルの中または近くに2DK〜3DKの家族住宅2,500戸を保有し、全従業員の47%、東京〜姫路間の各支店では92%が利用していた
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [72]1972年8月、東京・大阪両証券取引所市場第一部へ指定された
  • 証券アナリストジャーナル 1971年12月号(渋谷昇)
    • [58]国鉄のフレートライナーおよび長距離カーフェリー等との共同一貫輸送を推進し、自社所有の10トンコンテナーで岡山〜東京間に毎日30両〜32両、広島〜東京間に毎日10両前後を配車した
    • [59]国鉄のフレートライナーおよび長距離カーフェリー等との共同一貫輸送を推進し、自社所有の10トンコンテナーで岡山〜東京間に毎日30両〜32両、広島〜東京間に毎日10両前後を配車した
    • [60]国鉄の5トンコンテナーは自由に使用できるため、北九州方面の貨物輸送に借用していた
    • [61]建設省は道路事情から10トンコンテナー以外を許可せず、10トンコンテナーは同社所有のものが使用されていた
    • [63]長距離運行をフレートライナーに切りかえた結果、自動車の損耗度が低くなり2年使用できるものが3年使用可能となって償却も減額された
    • [64]長距離運行をフレートライナーに切りかえた結果、自動車の損耗度が低くなり2年使用できるものが3年使用可能となって償却も減額された
    • [65]自動車による3泊4日の長時間労働から派生する事故も防止された
    • [66]1971年4月1日〜9月30日の営業収益は114億8,400万円、税引前利益10億2,300万円で、前年同期は97億5,500万円、2億9,100万円だった
    • [67]渋谷昇社長は業績向上を、1966年から1969年にかけて会社に不釣合いなほど大きな設備投資を行った成果だと説明した
    • [68]東京以北についてはその地域の既存業者と提携して連絡輸送を行っていた
    • [69]利益路線は広島以東で、大阪を中心とした地域が最も多く次いで名古屋、東京は設備過剰で大きな利益をあげるに至っていなかった
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
    • [62]1972年3月、フレートライナーの利用による北海道向け輸送を開始した
    • [72]1972年8月、東京・大阪両証券取引所市場第一部へ指定された
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)
    • [70]「職住一体化」を基本方針とし、各トラックターミナルの中または近くに2DK〜3DKの家族住宅2,500戸を保有し、全従業員の47%、東京〜姫路間の各支店では92%が利用していた
    • [71]「職住一体化」を基本方針とし、各トラックターミナルの中または近くに2DK〜3DKの家族住宅2,500戸を保有し、全従業員の47%、東京〜姫路間の各支店では92%が利用していた

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沿革年表 1948〜2023年

福山通運の沿革1948〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1948〜1959年貸切から定期便へ、他社の路線を継いで山陽道を東へ福山貨物運送を設立し区域(貸切便)事業を開始★★★
笠岡市~大阪市間の特別積合せ(定期便)事業を開始★★★
福山通運に商号変更★★
1960〜1972年東へ延びた国道1号線と、近鉄・国鉄につないだ全国網大阪市~東京都間の特別積合せ事業を開始★★
近畿日本鉄道と資本提携★★
ボウリング事業を開始
東京・大阪・広島の各証券取引所に株式を上場
フレートライナーの利用による北海道向け輸送を開始
東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定
1973〜1994年自前で建てず、各地の福山通運とつないで全国を覆った東北福山通運と連絡運輸業務を提携
北海道福山通運と連絡運輸業務を提携
関東福山通運と連絡運輸業務を提携
小丸法之全店のオンラインシステムを完成★★
小丸法之VAN(輸送管理相互オンラインシステム)事業を開始★★
小丸法之国際航空貨物の取扱業務を開始
小丸法之近畿福山通運を設立
第二種利用運送事業(航空)を開始
全国輸送網の確立★★★
1995〜2026年提携で張った網を買い取り、また他社の網へつなぎ直す通関業務を開始
小丸成洋国際貨物の一貫輸送体制の確立★★
小丸成洋日立物流と業務提携★★
小丸成洋四国・山陰地区の事業場を地域2社に営業移管★★
小丸成洋株式交換で北海道・関東・近畿の福山通運3社を完全子会社化★★
小丸成洋王子運送とその子会社6社を子会社化★★
小丸成洋三統とその子会社3社を子会社化
小丸成洋セイノーホールディングスと業務提携★★★
小丸成洋東京~大阪間で専用貨物列車「福山レールエクスプレス号」の運行を開始★★
小丸成洋日本郵便に東京23区の個人宛荷物配送を委託★★
小丸成洋E.H.UTARA HOLDINGSとその子会社3社を子会社化★★
小丸成洋東京支店新社屋での業務を開始
小丸成洋全長25mのダブル連結トラックの運行を開始★★
小丸成洋PT.FUKUYAMA TRANSPORTING INDONESIAを設立
小丸成洋近鉄特急の貨客混載で大阪~名古屋間の当日配送を開始
小丸成洋東京証券取引所プライム市場に移行
小丸成洋北関東福山通運を吸収合併
小丸成洋浪速運送と幹線輸送の共同運行で業務提携★★
出典・参考 4件
出典・参考
  • 福山通運 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1971年12月号(渋谷昇)
  • 日本経済新報 1962年
  • 証券 1970年(新規上場会社紹介)

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