田嶋一雄
ミノルタ・元千代田光学精工の設立とともに社長
社長就任 1937年9月
生年月日 1899年1月1日
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自
創業者である。1899年11月に和歌山県海南に生まれ、慶應義塾に学んだのち、貿易商だった父の田嶋商店で貿易実務に携わった。写真機の製造を志し、父から出された5,000円と生家の漆器商の番頭からの借金で資金をつくり、1928年11月11日、満29歳の誕生日を前に兵庫県武庫川畔で個人経営の日独写真機商店を興した。従業員約30人の町工場だった。資本を継いだのではなく、父の会社を出て自分で工面して起こした事業である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1931年7月にモルタ合資会社へ改組した直後、技術を頼みにしていたドイツ人のハイレマン氏とノイマン氏が相次いで離れ、日本人工員も引き抜かれた。田嶋氏は1932年4月に仕上・旋盤・シャッター・塗装の各部と総務課を置いて生産を組織化し、日本人だけで作る体制へ移した。日華事変後の戦時経済に合資会社では対応できないと判断し、1937年9月に株式会社へ改組して社名を千代田光学精工と改め、自ら社長に就任した。技術と組織を自ら組み直したうえでの就任だった。
在任中の主な施策
施策
1933年にブランド名を冠した速写型カメラ「ミノルタ」を発売し、二眼レフの「ミノルタフレックス」も送り出した。1937年には大阪府堺市にレンズ専門の工場を建設している。1962年、フレンドシップ7号に搭載された「ハイマチック」で名が世界に伝わったのを機に、社名を千代田光学精工からミノルタカメラへ改めた。売上高は1971年3月期の236億円から、社長として最後の期にあたる1982年3月期には1,323億円になった。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1899〜1982年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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