カプロラクタムの量産化と、スペイン・タイ現地生産によるナイロン原料の世界供給網の構築

枯れゆく石炭の次を、なぜ量産化学品の世界展開に賭けたのか——国内増設か、海外現地生産か

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時期 1997年5月
意思決定者 中安閑一(社長)ほか歴代経営陣
論点 量産化学品の主力化と海外展開
概要
1955年12月に宇部カプロラクタム工場を新設して6ナイロン原料の量産に踏み込み、1994年のスペイン取得と1997年のタイ一貫生産で宇部・スペイン・タイの三極供給網を築いて、カプロラクタムで世界3位の規模へ至った量産化学品の世界展開。
背景
エネルギー革命で祖業の石炭が採算を失うなか、「有限の石炭から無限の工業へ」の理念を化学で具現化する主力として量産化学品を選んだ。1989年の宇部エチレンセンター新設構想は、成熟素材の弱さと過剰投資リスクから見送られ、国内増設に代わって海外取得・現地生産に活路を求めた。
内容
1994年9月にスペインのカプロラクタム会社を取得して欧州拠点を置き、1997年5月にタイでカプロラクタム・ナイロンの一貫生産を始めた。円高と国内コストの劣位を背景に、宇部・スペイン・タイの三極でラクタム38万トン・ナイロン6の9.6万トンの生産能力を持ち、田村浩章社長のもとでラクタム-ナイロン強化を掲げた。
含意
中国・アジア需要で2008年3月期に連結売上高7,042億円まで伸びたものの市況依存は残り、2020年代後半にはタイ・日本の量産を順次停止する計画へと転じた。石炭の次の柱として始めた量産化学品を世界規模へ広げ、そして畳む転換に至った。
筆者の見解

有限の石炭から、無限のはずだった工業へ

この判断の核心は、枯れていく石炭に代わる次の柱として量産化学品を選び、それを国内の二極からスペイン・タイの三極へと世界規模に広げた点にある。エネルギー革命という市場の激変に、量産の規模で応えたこの選択は、カプロラクタム世界3位という到達点を生み、一時は連結売上7,000億円台の好業績を支えた。もっとも、規模を世界へ広げるほど、収益は世界の市況とNIES勢の供給に左右される度合いを増していった。参入の当初に「過大評価は禁物」と評された市況依存の性格は、世界展開を経てもなお、この事業の芯に残り続けたようにみえる。

今日、その量産化学品そのものが順次停止へと向かい、脱炭素とスペシャリティ化学への転換が新たな主題に据えられている。石炭の恩恵を無限の工業へ転じようとした会社が、その工業自体を有限のものとして畳む場面に立っている。初代社長・渡辺祐策氏が掲げた「有限の石炭から無限の工業へ」の理念にとって、次の「無限の工業」をスペシャリティや循環型の材料に見いだせるかどうかが、いまの試金石になっているとみることができる。世界へ広げた量産の記憶を次の柱へどう引き渡すかに、この転換の成否がかかっているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

石炭の次の柱としての量産化学品

エネルギー革命で祖業の石炭が採算を失っていくなか、宇部興産は次の主力を量産化学品に求めた。1951年1月に中央研究所を開設し、1955年12月には宇部カプロラクタム工場を新設して、6ナイロンの原料であるカプロラクタムの量産に踏み込んだ。販売先には合成繊維を手がける日本レイヨンを据え、研究所・プラント・販売先の三つを四年ほどで同時に手当てした。合成繊維ブームに後れを取るまいとする、速度を優先した参入であった[1]

この量産化は、創業以来の理念を化学の分野で形にする試みでもあった。初代社長・渡辺祐策氏が掲げた「有限の石炭から無限の工業へ」の思想は、石炭の恩恵を将来の工業へ転じることを説いており、中安閑一氏も後年これを「限りある石炭から無限の事業を起こして子孫に伝える」と整理していた。カプロラクタムはその具体化の中心に置かれ、1968年の時点で年産10万4,000トンと、世界のトップクラスの規模に達していた。石炭を掘るのではなく、石炭に続く量産品で世界と競う構えが、1960年代の後半にはかたちを見せていた[2]

市況に握られた量産事業と国内二極

もっとも、量産化学品の収益は、はじめから市況に左右される性格を帯びていた。1955年の参入直後、新聞は宇部興産を「問題株」として取り上げ、ラクタム生産の成果は販売先である日本レイヨンのナイロンが売れるかどうか次第であり、過大評価は禁物だと伝えた。単一の川下需要に採算を握られる構造は、量産事業が抱える弱さそのものであった。規模を追う戦略は、この市況依存とつねに背中合わせに置かれていた[3]

量産の拠点は、宇部の外へも広がった。1964年10月に千葉石油化学工場、1967年4月に堺工場を新設し、石炭副産物やアンモニアに依存する宇部の化学とは別に、輸入ナフサを原料とする石油化学の系統を国内に築いた。中安閑一氏は「石油化学は、これからの化学工業の本命ですからネ。さしあたり、まず千葉の増強を図っていきます」と語り、主力を石炭由来からナフサ由来へ移す意図を明かしていた。ただし千葉と宇部に量産の二極を抱える構造は、市況が振れれば両拠点の損益を同時に押し下げる弱さも内に含んでいた[4]

決断

国内増設という攻めと、成熟素材の弱さ

1980年代の終わり、宇部興産は攻めの投資に転じようとした。1989年、本拠地である山口県宇部市の自社所有地に、三井東圧化学・大阪石油化学と共同で年産50万トンクラスのエチレンセンターを新設する構想を打ち上げた。石炭撤退後に量産化学品を主力へ据えた同社にとって、基礎原料のエチレンまで自前で握る垂直統合は、成熟した素材事業を底上げする一手であった。清水保夫社長は「本当に必要なものは断固としてやる」と述べ、NIES勢の最新プラントに対抗するために新設は欠かせないと押した[5][6]

だが、この構想は同社の体質と釣り合っていなかった。成熟した素材商品が事業の中心を占め、誘導品の品揃えは総合化学各社に見劣りし、自前主義で重ねた過去の設備投資のツケも残っていた。エチレンセンター構想は誘導品まで含めれば1,300億〜1,700億円の規模に達する見込みで、供給が過剰に振れれば「かつての悪夢が再現される恐れ」があると評された。規模で攻める構想は、市況の反転に弱い量産事業の宿命と、正面から向き合わざるをえなかった[7]

国内増設から海外取得・現地生産への転換

結局、大型の国内増設は見送られた。1990年代に入って円高が進み、国内で量産する採算が細るなかで、同社は自前のエチレンセンターで規模を積む道ではなく、海外の拠点取得と現地生産に活路を求めた。1994年9月、スペインのProductos Quimicos del Mediterraneo S.A.の経営権を取得し、現在のUBE CORPORATION EUROPE S.A.U.として欧州にカプロラクタムの拠点を置いた。国内を増やすのではなく、海外の生産で競争力を補う路線が、ここで選ばれた[8]

続く1997年5月、タイでThai CaprolactamとUBE Nylon (Thailand)を立ち上げ、アジアにカプロラクタムからナイロンまでの一貫生産体制を築いた。原料から重合までを現地で一気に通す布陣で、宇部・スペイン・タイの三極が輸出競争力を補い合う供給網が姿を見せた。円高と国内コストの劣位が、量産化学品の投資先を日本の外へと押し出した格好であった。地元4社の自己統合から生まれた総合会社は、主力の量産化学で国境を越える体制へと移っていた[9]

結果

世界3位のラクタム-ナイロンとアジア需要の追い風

三極の供給網は、カプロラクタムで世界3位という規模へ同社を押し上げた。2005年6月に社長へ就いた田村浩章氏は、カプロラクタム-ナイロンを基盤事業と位置づけ、その強化を最優先の課題に掲げた。宇部・タイ・スペインの3拠点でラクタム38万トン・ナイロン6が9.6万トンの生産能力を持ち、ナイロン6の能力を15万トンへ引き上げ、ラクタムの自己消費率を前期の25%から40%へ高める方針を示した。量産で得た規模を、より川下のナイロンで取り込む方向へ動いていた[10]

世界展開は、中国・アジアの需要拡大という追い風を受けた。カプロラクタム・ナイロンの需要増と原燃料市況の上昇に支えられ、2008年3月期の連結売上高は7,042億円、営業利益は559億円と、連結ベースでも屈指の好業績に届いた。ただしこの回復は市況の上昇に支えられており、市況が反転した翌期には営業利益が311億円へ落ち込んだ。規模を世界へ広げてもなお、量産化学品は市況依存から抜け出せていなかった[11]

量産からの撤退へ

世界規模まで広げた量産と世界展開は、2020年代の後半に畳む段階へ入った。決算説明会の説明によれば、タイのカプロラクタム生産停止を従来の2027年3月から2026年3月へ前倒しし、日本のカプロラクタム・ナイロンポリマーは2027年3月、アンモニアの国内生産は2028年3月に停止することが確定した。1955年と1968年に始めた量産化学品を、順に止めていく計画である。市況に翻弄され続けた量産事業を、脱炭素という別の要請のもとで整理する判断であった[12]

撤退は、脱炭素とスペシャリティ化学への転換と一体で進められた。泉原雅人社長は「アンモニアチェーンの国内製造停止時期を計画より2年早め、2027年度末に前倒しする。スペシャリティ化学企業への転換を加速する[13]」と語った。石炭の次の柱として1955年に育て始めた量産化学品を、70年をかけて世界規模へ広げ、そして手放す決定に、同社はたどり着いた。量産の規模で競う時代を、自ら閉じにかかった段階といえる。

出典・参考
  • 読売新聞 1955年6月4日「問題株の診断・宇部興産」
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • ダイヤモンド 1965年1月1日号「合理化コスト低下こそ第一」
  • 日経ビジネス 1989年7月3日号「宇部興産 エチレン新設で攻めにスタディ」
  • 週刊東洋経済 2005年12月3日号「トップの履歴書 世界3位のラクタム-ナイロン強化、宇部新世紀を拓く」
  • 宇部興産 有価証券報告書【沿革】
  • 宇部興産 有価証券報告書(連結)
  • UBE 有価証券報告書(事業等の状況)
  • 化学工業日報(2025年)「UBE・泉原雅人社長、投資の成果出す勝負の1年」