ツガミ浙江省への津上精密机床設立による中国生産シフト
北米の現地生産を畳んだ直後に、なぜ中国へ工場を建てたか——CNC小型自動旋盤への集中と一国依存の始まり
- 概要
- 2003年9月、ツガミが中国・浙江省に津上精密机床(浙江)有限公司を設立した経営判断。同年4月に社長へ就いた西嶋尚生氏のもとで、CNC小型自動旋盤への事業集中と生産の中国移管が同時に進められた。
- 背景
- 1991年に買収した米ウェルドン社は現地生産が根づかず、2002年12月に清算を結了した。1990年代は設備投資の空白が続き、実質的な赤字体質に陥っていた。1999年に5%を出資した東京精密から西嶋氏が送り込まれ、立て直しに入っていた。
- 内容
- 当初はテストプラントの色が濃い進出だったが、2004年4月の津上工販吸収による製販一貫、2004年の中越地震を機とした5工場一斉の改造(総投資42億円)と重なり、日本と中国に生産を集める形が固まった。
- 含意
- 2010年代のスマートフォン部品量産で中国の生産能力は月産1,000台超へ拡大し、中国向け売上比率は1割程度から7割超へ動いた。2025年3月期の連結営業利益は過去最高の233億円に達した一方、収益の一国集中という課題も残した。
撤退の経験が、次の進出の設計を変えたのか
この判断の見どころは、北米で現地生産に失敗した会社が、その9カ月後に別の国で工場を立てた点にある。ウェルドン社の買収では、既存メーカーを丸ごと買って現地に生産を委ねる形をとり、11年で畳んだ。浙江では自前で工場を興し、経営を現地の人材に渡しながら、本体は生産技術とサービスの指導に回るという分け方をとっている。同じ「現地化」でも、何を渡して何を残すかの線が引き直されていたとみることができる。
もっとも、その線引きが成果を生んだのは、中国の量産需要がスマートフォンから電気自動車へと切れ目なく続いたためでもある。営業利益のほぼ全額が一つの市場から出る構成は、収益の厚さと裏腹の重さを抱える。マレーシア・ベトナム・インドへの拠点整備は、その重さへの備えにあたる。三井への依存を断って長岡へ移り、北米の生産を畳み、いま中国に深く根を張るというツガミの歩みは、寄せる相手を選び直しながら自立を保つ試みの連なりとして読めるのかもしれない。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
北米で現地生産が根づかなかった11年
ツガミの海外展開は、1989年11月のタイ現地法人に始まり、1991年5月には米国の工作機械製造会社ウェルドン社を買収してWMTコーポレーションへ改めた。2代目の創業から54年を経て、生産機能を含む北米拠点を初めて自社へ抱えたことになる。しかし現地生産は軌道に乗らず、2002年12月、WMTコーポレーションの清算が結了した。買収から11年で、北米に工場を持つという構えを畳んだ[1]。
国内の足元も傷んでいた。1975年に社長へ入った大山梅雄氏の倹約で財務は締まったが、後を継いだ大山竜一氏は倹約とともに設備投資まで抑えたため、好況期にも十分に稼げない循環に入った。投資の空白は20年以上に及び、1990年代には実質的な赤字体質へ落ちた。1999年、創業者がツガミ出身だった東京精密が5%を出資し、同社から西嶋尚生氏がツガミへ送り込まれる。西嶋氏の当初の肩書きは営業開発部長と津上工販常務取締役であった[2][3]。
小型自動旋盤という残った強み
立て直しの材料は、製品の側にあった。ツガミは1957年11月に主軸移動型自動旋盤の製造販売を始めており、長い棒材を送りながら削るこの機械は技術の難度が高く、手がける国内メーカーも限られていた。西嶋氏の前任にあたる野口光氏は、工場の技術者を直接顧客のもとへ差し向け、自動車向けの研削盤と、流体軸受け向けの小型自動旋盤という受注先を掘り起こした。微細加工を要する流体軸受けはハードディスク駆動装置の必須部品にあたり、この分野の小型旋盤でツガミは世界首位に立っていた[4][5]。
難度の高い注文が回ってくることは、西嶋氏自身が繰り返し語っている。よそのメーカーが断る高精度・難作の仕事ばかり来るのは、それをこなす力がもともとツガミにあったからであり、営々と受け継いできた機械の思想と生産技術がようやく表に出た、という受け止めであった。問題は、その力をどこで、だれに向けて量産するかであった。北米では現地生産が続かず、国内の工場だけでは価格の合う市場に届かない。製品の強みと生産の置き場所が噛み合っていなかった[6]。
決断
社長就任から5カ月での浙江省進出
2003年4月、西嶋尚生氏がツガミの代表取締役社長に就いた。同年9月、ツガミは中国・浙江省に津上精密机床(浙江)有限公司を設立する。北米の生産子会社を清算した9カ月後に、別の国で工場を立ち上げたことになる。西嶋氏は東京精密から送り込まれた外部の人でありながら、1999年から2000年にかけて営業開発の現場と販社の経営を経験し、その後も非常勤取締役としてツガミに関わっていた。社内の事情を知ったうえで着任した点が、就任直後の決断を支えたとみられる[7][8][9]。
進出そのものは、市場の拡大を中期で見込んだ布石であり、着手した時点ではテストプラントとしての意味合いが濃かった。中国の工作機械需要がリーマンショック後に想定を超えて伸び、そこへスマートフォン向けの市場が重なったのは、進出から数年を経てからである。中国を主力の生産地に据えるという性格が最初から決まっていたわけではなく、需要の伸びに合わせて拠点の役割が後から重くなった[10]。
製販一貫と、震災を使った生産設備の総入れ替え
中国進出は、単独の一手ではなく国内の組み替えと組で進んだ。2004年4月、ツガミは1974年に分けた販社の津上工販を吸収合併し、製販一貫の体制に戻した。同年10月には子会社のシマモト精工とツガミテクノ、ツガミハイテックとツガミマシナリーをそれぞれ合併させ、機能別に散っていた子会社群を整理した。中国で量産を受ける前に、日本側の意思決定と在庫・受注の流れを一本化しておく作業であった[11][12]。
2004年10月23日、震度6強の新潟県中越地震が主力の長岡工場を直撃した。建て屋は倒壊せず専門家も使用に耐えると見立てたが、西嶋氏は被災した建物をすべて取り壊すと決め、さらに長岡・高見・新潟・信州と中国・浙江省の5工場を同時に改造して最適生産体制をつくると宣言した。総投資額42億円は、年間投資が通常2億〜6億円の会社にとって桁の違う金額であった。2005年11月に工事が終わると生産能力は5割増え、年商450億円をこなせる体制になった[13][14]。
結果
スマートフォン量産が変えた拠点の重み
浙江の工場が主力へ変わったのは2010年代である。2010年11月には中国に浙江品川精密機械有限公司を加えて能力を積み増した。子会社の生産能力は2011年の月産600台から1,000台超へ引き上げられ、従業員は2008年の150人が2011年に600人、2012年には1,200人へ増えた。日本の工作機械メーカーの中国工場としては最大規模にあたる。牽引したのはスマートフォンやタブレット端末の筐体・部品を削る小型機で、他社が商慣習の違いを嫌って参入をためらうなか、ツガミは大手スマートフォンメーカーからの大型受注を取った[15][16]。
数字は素早く反応した。連結売上高はリーマンショック直後の2010年3月期に156億円まで落ち込んでいたが、2011年3月期359億円、2012年3月期357億円を経て、2013年3月期には528億円へ跳ねた。中国向けの売上比率は、2000年代前半の1割程度から現在の7割超へ移っている。2017年9月には中国事業を担う津上精密机床(香港)有限公司を香港市場へ上場させ、現地の資本市場ともつないだ[17][18][19]。
経営の現地化と、一国に寄った収益
中国での運営は、当初から現地の人材に委ねる形をとった。子会社の総経理は東京工業大学で博士号を取ったエンジニアの唐東雷氏が務め、ツガミ本社の取締役も兼ねた。その下に中国人の副総経理3名を置き、およそ30人の日本人駐在員は生産技術やアフターサービスの指導に回った。西嶋氏は日本人駐在員にも中国では総経理に仕えるよう伝えている。技術流出については、いずれ追いつかれると腹をくくったうえで、その前に中国の会社としてシェアを確保する、という言い方をしていた[20][21]。
2020年代に入っても中国が収益源であることは変わらない。2025年3月期の連結売上高は1,074億円、営業利益は233億円と過去最高で、営業利益率は21%に達した。中国では自動旋盤で7割以上のシェアを握り、営業利益のほぼ全額が中国市場から出ている。中国に3工場と3,000人弱のエンジニアを抱え、月1,500台超をつくる態勢にある。一方でツガミは2023年7月にマレーシア、10月にベトナムへ拠点を設け、インドでは鋳造から加工組立までを一貫でまかなう新工場を建てて、生産地の分散も進めている[22][23][24]。
- 週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」
- 週刊東洋経済 2012年9月21日号「【特集 中国炎上】 PART2 どうする日本企業 スマホ向けに自動旋盤が好調 中国で大増産に乗り出す 工作機械ツガミの賭け」
- 週刊東洋経済 2026年4月18日号「【特集 ハイテク中国】 第3章 日本企業の勝ち筋 小型自動旋盤(工作機械) ツガミ「中国全振り」で快進撃」
- ツガミ 有価証券報告書【沿革】
- ツガミ 有価証券報告書【役員の状況】
- ツガミ 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
- 株式会社ツガミ「沿革」(会社公式)