サイゼリヤ 中国・上海への進出 低価格モデルの海外移植とアジア利益柱への反転
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何をなぜ決めたか
- 概要
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2003年、サイゼリヤが中国・上海に独資の子会社を設立し、国内で磨いた低価格と製造直販の型を華人圏へ移した経営判断。当初は赤字が続いたが、赤字を織り込んで出店の密度を積み上げ、20年を経てアジア(中国中核)がグループの収益源へ育った。
- 背景
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立地と味を動かさず価格を変数に絞ったサイゼリヤは、食材の調達から加工までを自社で握る製造直販で国内の営業利益率を16%台まで高めた。国内市場が成熟に近づくなか、標準化した店舗運営と共通食材の大量調達を人件費の安い海外の都市圏へ移せるかが問いとなった。
- 内容
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2003年6月に上海薩莉亜餐飲有限公司を設立し、同年12月に上海へ海外1号店を出店した。当初赤字でも出店を緩めず、模倣店が並ぶ前に面で密度を作る方針で上海の店舗数が二十を超えたころ黒字化した。以後、台湾・北京・香港・シンガポールへ現地法人を設立した。
- 含意
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コロナ後に国内の外食事業が営業赤字に沈むなか、アジアは黒字を保ち、2024年8月期はアジアの営業利益116億円が連結営業利益の約八割を占めた。円安が海外利益を押し上げる一方で国内の原価を圧迫する両面性と、中国依存という課題を残した。
いつ何が起きたか 7件
筆者の見解
国内で生まれた型を、次はどこへ展開するか
この判断の性格は、海外へ売り場を広げたことよりも、国内で磨いた原価設計をそのまま別の市場へ移せると見切った点にある。立地と味を動かさず価格を変数として絞り込み、食材の調達から加工までを自社で握るという国内の型は、賃料も人件費も為替も異なる中国で作り替えずに通用した。参入から20年、国内が薄利に沈むあいだにアジアが利益の中核へ回ったのは、模倣店が並ぶ前に密度を作るという当初の読みが、値づけと出店の両面で持ちこたえたからといえる。
もっとも、利益の重みが海外へ寄ったことは、新しい課題も連れてきた。1970年代の円安が割高な輸入食材で競合の参入を抑えたのに対し、いまの円安は海外利益の円換算額を膨らませる一方、国内の食材原価を内側から押し上げる。同じ為替が、参入障壁から原価圧力へと逆に働く。国内の低採算をどう立て直し、中国に寄った収益をどこまで分散できるか。国内で生まれた型が海外で実を結んだこの決断は、次の成長をどこに置くかという課題を残した。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- サイゼリヤ 有価証券報告書【沿革】
- サイゼリヤ 有価証券報告書(セグメント情報)