楽天グループ楽天グループ創業——興銀を辞した32歳が月5万円で開いた仮想商店街

阪神大震災で銀行員人生を見直した32歳・三木谷浩史 氏は、月額5万円の固定料金でインターネット上の仮想商店街をどう軌道に乗せたか

更新:

時期 1997年2月
意思決定者 三木谷浩史 氏 創業者
論点 インターネット上の仮想商店街の起業(個人商店主が出店できる低価格モールの構築)
概要
1997年2月、日本興業銀行を辞した32歳の三木谷浩史 氏が、東京都港区愛宕で資本金1,000万円の株式会社エム・ディー・エムを設立し、同年5月に楽天市場を出店わずか13店で開業した。月額5万円の固定料金で個人商店主を取り込み、半年分前払いの前受金型で運営費を抑え、2000年4月には日本証券業協会の店頭市場へ公開して約495億円を調達した。
背景
三木谷浩史 氏は一橋大学を卒業して日本興業銀行に入行し、同行派遣でハーバード・ビジネス・スクールに留学してMBAを取得した。1995年1月の阪神・淡路大震災で神戸市の親族数名を失い、銀行員として安定した経歴を続ける人生観を見直した。米国留学中に触れたインターネットの可能性を起業に重ね、1996年5月に興銀を退職して独立の道を選んだ。
内容
当時のバーチャルモールは百貨店系事業者が月100万円単位の出店料を取り、個人商店主には敷居が高すぎた。楽天市場は月額5万円の固定料金で出店の敷居を一桁下げ、プログラミング不要の編集ツール「RMS」で店主自身のショップ開設を可能にした。営業メンバーが商店街を1件ずつ訪ね歩く地道な営業で、出店数は13店から1999年12月に約1,800店へ広がった。
含意
契約時に半年分を前払いさせる前受金型は、外部資金に頼らずに運転資金を回し、1998年12月期から2期連続の経常黒字という数少ない実績を生んだ。2000年4月の店頭公開で約495億円を調達した楽天は、同年10月のヤフー!ショッピング台頭を受け、11月にインフォシークを90億円で子会社化して総合メディア企業への転回を進め、創業3年で楽天経済圏の原型を組み始めた。
筆者の見解

月5万円のモールが上場資金にたどり着くまで

この創業が示すのは、資金や技術ではなく料金設計と地道な営業が新しい市場を開いた経緯である。百貨店系モールが月100万円を求めていた市場で、月5万円という一桁低い固定料金は、インターネットに不慣れな個人商店主や農家までを出店者として引き込む入り口になった。半年分を前払いさせる前受金型の収益構造が、外部資金に頼らずに黒字を保つ運転資金を生み、無名のベンチャーが2期連続の経常黒字という数少ない実績を築く支えになっていたとみられる。

もう一つ見えてくるのは、店頭公開で得た約495億円が、独走の終わりと同時に総合メディア企業への転回を促した点である。ヤフー!ショッピングの台頭という後発の追い上げに直面した楽天は、利益重視の路線を一度曲げて赤字のインフォシークを取り込み、モール単体からポータルの集客力を抱え込む事業体へと形を変えていった。月5万円の仮想商店街から始めた三木谷 氏の試みが、上場で得た資金を梃子に楽天経済圏の原型を組み上げていく初期の数年であったと読める。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

興銀のバンカーから起業家へ

三木谷浩史 氏は1965年に神戸市で生まれ、1988年に一橋大学商学部を卒業して日本興業銀行に入行した[1]。1991年から1993年にかけて同行派遣でハーバード・ビジネス・スクールに留学してMBAを取得し、帰国後は本店企画部などに在籍している。1995年1月の阪神・淡路大震災では神戸市の親族数名を失い、銀行員として安定した経歴を続ける人生観を見直すきっかけを得た[2]。米国留学中に触れたインターネットの可能性を、氏は起業の構想へと重ねていった。

三木谷 氏は1995年に外資系コンサルティング会社のクリムゾングループを設立して副業として始動し、1996年5月に興銀を退職した[3]。翌1997年2月7日、氏は東京都港区愛宕で資本金1,000万円の株式会社エム・ディー・エムを設立している[4]。社名のM・D・Mには Make Direct Marketing などの解釈があり、創業構想の中心は当初からインターネット上の仮想商店街に置かれていた。安定したバンカーの職を辞し、氏は無店舗の電子商取引という当時ほとんど実績のない領域に挑んでいる。

決断

月5万円で開いた楽天市場

1997年5月1日、楽天市場のサービスが出店わずか13店で開業した[5]。当時のバーチャルモール市場では百貨店系の事業者が月100万円単位の出店料を取っており、インターネットやパソコンの知識に乏しい個人商店主には敷居が高すぎる状況であった。楽天市場は月額5万円の固定料金という当時としては破格の水準を提示し、出店の敷居を一桁下げている。業界誌は後年この料金設定を「価格破壊と言っていいほどの料金設定だった」(日経ビジネス 2000/10/23)と振り返り、無名のベンチャーが個人商店主を広く取り込む触媒になったと記録している[6]

楽天市場は複雑なプログラミング技術を必要としない編集ツール「RMS(Rakuten Merchant Server)」を出店者に提供し、店主自身がオンラインショップを開設できる仕組みを整えた[7]。初年度の出店獲得は、営業メンバーが商店街の店主を1件ずつ訪ね歩く地道な営業に支えられている。取り込んだ相手は東京下町の中小零細店主にとどまらず、全国の農家や蔵元にまで広がった。出店数は1997年5月の13店から1998年12月に約320店、1999年12月に約1,800店へと急増している[8]

結果

前受金モデルと店頭公開

楽天市場のビジネスモデルは、出店者が契約時点で半年分のシステム利用料を一括で支払う前受金型を採った[9]。出店数が増えるほどサービス提供前に得られる利用料の総額も増える設計であり、サーバ運用のほかに大きな追加費用を抱えずに運営できている。同時期の多くのネットベンチャーが赤字を計上するなか、楽天は1998年12月期から2期連続の経常黒字を達成した[10]。1999年6月には、サービス名と社名を統一するためエム・ディー・エムから楽天株式会社へ商号を変更している[11]

2000年4月19日、楽天は日本証券業協会の店頭市場へ株式を公開した[12]。創業から3年2ヶ月、楽天市場の開業からは3年という、当時のネット企業として異例の早さでの公開であった。公募・売り出しにより約495億円を調達し、2000年1〜6月の売上高11億2,700万円という事業規模に対して突出した資金額であった[13]。2期連続の経常黒字を出した数少ない優良ネット企業という評価と、ITバブル相場の追い風が、この調達額を押し上げた。

総合メディア企業への転回

独走に見えた楽天市場だったが、2000年10月の米ニールセン・ネットレイティングス調査で、ヤフー!ショッピングが利用者数で楽天市場を抜いて首位に立った[14]。当時の楽天市場は月300〜400店の新規出店を集め、退店は月15〜20店にとどまる先発の優位を保っていた。それでもポータルサイトの集客力を背景にした後発の追い上げは、三木谷 氏に危機感を抱かせている。店頭公開で得た資金の使途について、常務の山田善久 氏は当初「カネは使えばいいというものではない」(日経ビジネス 2000/10/23)と慎重な見方を示していた[15]

しかし2000年11月末、楽天はポータルサイト「Infoseek」を運営するインフォシークを90億円で完全子会社化すると発表した[16]。インフォシークは前期に経常損益6億5,000万円の損失を計上した赤字企業で、利益重視を掲げてきた楽天にとって路線の転換をともなう判断であった。三木谷 氏は買収の狙いを「ショッピングを核にした総合メディア企業を目指す」(日経ビジネス 2000/12/11)と語り、店頭公開で得た資金でヤフーとの集客力の差を埋める意図を示している[17]。買収後は森学 氏が再建責任者に抜擢され、2002年6〜9月期に営業黒字へ転換させた。

出典・参考
  • 有価証券報告書(沿革)
  • 日経ビジネス 2000/10/23
  • 日経ビジネス 2000/12/11
  • 日経ビジネス 2003/02/10
  • 日経ビジネス 2004/03/22

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