マブチモーター:高松の馬蹄型マグネットモーターから玩具用動力へ
1946年〜関西理科研究所と世界初の馬蹄型マグネットモーター
1946年6月、馬渕健一氏は香川県高松市で関西理科研究所を創立し、小型モーターの開発に入った。翌1947年には、直流モーターとして世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを完成させ、主に教材用の模型モーターとして売り出した。以後の需要を生んだのは、玩具・模型という用途である。当時この分野の動力はゼンマイで、巻き直すたびに手を止めなければならなかった。電池とマグネットモーターを組み合わせればその手間はなくなり、関西理科研究所の製品はゼンマイに代わる動力として玩具・模型の分野へ食い込んだ。創業からの30年間、同社は直流マイクロモーターの専門メーカーとして、品質の高い製品を安い価格で途切れなく届けることを目標に据え、製品の開発・改良と生産の合理化を重ねた。
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [1]1946年6月、馬渕健一が香川県高松市で関西理科研究所を創立し、小型モーターの開発を開始した
- [2]1947年、直流モーターでは世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを開発し、主に教材用の模型モーターとして販売を始めた
- [3]同研究所の小型マグネットモーターが、玩具・模型の動力源として既存のゼンマイ等に代わって使用されることになった
- 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
- [4]当社は創業以来30年、直流マイクロ・モーターの専門メーカーとして、よりよい製品をより安く安定的に供給することをモットーに、製品の開発・改良ならびに生産合理化の実現のため、ひたすら努力を続けてきた
馬渕健一氏は1926年11月、香川県高松市で金属加工業を営む家の長男に生まれ、小学校では蒸気機関の模型を自作して釜を爆発させている。強力で安全な動力があればと考えたのは、その時だったという。戦後はその着想を元に、1946年、学校教材用の小型モーターをスクールモーターと名付けて製造を始めた。弟たちを動員した手仕事で作り、関西一円の小・中学校を自ら訪ねて売る仕事は、約1年順調に伸びた。だが特許を申請していないと知った大阪の業者が資金力にものを言わせて同類品を量産し、手作りの家内工業は在庫を抱えて赤字に陥った。翌1947年に開発した、界磁に永久磁石を用いる馬蹄型の小型マグネットモーターでは、今度は先に特許を申請している。売れる製品を作ることと、その製品で稼ぎ続けることは別だという区別を、創業から数年のうちに一度の失敗から覚えた。
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「五百円握りしめ故郷高松から単身上京」(馬渕健一)
- [5]馬渕健一は1926年11月に香川県高松市で金属加工業を営む父・栄の九人兄弟の長男として生まれた
- [6]小学校六年の時、より強いパワーのスチームエンジンを求めて自作し、操作ミスで釜を爆発させてケガをした際に、強力で安全、操作し易い動力があればと夢見た
- [7]1946年、スクールモーターと名付けた学校教材用の小型モーターの製造を始めた
- [8]弟たちも動員した手仕事で作り、高松から関西一円まで出向いて小・中学校を訪ね売り込み、約一年間仕事は順調に伸びた
- [9]特許を申請していないことを知った大阪商人が豊富な資金力と材料にものをいわせて同類商品を大量生産・大量販売し、手作り家内工業では太刀打ちできず在庫を抱えて赤字に苦しんだ
- [10]その後開発した永久磁石を使った馬蹄型の小型マグネットモーターでは、しっかり特許を申請した
- 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
- [11]昭和22年に世界最初の高性能馬蹄型マグネット・モーターを開発し、その生産を開始した
馬蹄型マグネットモーターを広める先として、馬渕健一氏が1950年ごろに目を付けたのが玩具だった。当時の玩具の動力はゼンマイが常識で、輸出好況のさなかにあった業界は新しい動力を求めなかった。それから2年ほどで、安いが技術の裏付けのない日本製の玩具は海外で振るわなくなり、業界は不況に陥る。馬渕健一氏はこの時機に、馬蹄型マグネットモーターを内蔵した模型飛行機と自動車を試作して東京・蔵前の業界最大手へ持ち込んだ。返答の期限を切って高松へ引き揚げると、約2週間後に相手は独占取引を申し出て、20万円を現金で手付けした。注文は確実にさばけて工場はフル回転し、好況の2年が過ぎるあいだに製品の改良と量産化が進んだ。参入の時機を決めたのは自社の準備ではなく、買い手が動力を替える理由を持った瞬間だった。
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「五百円握りしめ故郷高松から単身上京」(馬渕健一)
- [12]1950年の頃、馬蹄型小型マグネットモーターの普及先として玩具市場に目をつけた
- [13]ゼンマイ仕掛けで輸出好況のさ中にあった玩具業界では見向きもされなかった
- [14]それから二年の間に玩具業界は不況に陥り、安いが技術の裏付けのないメイド・イン・ジャパンの玩具は海外でも見向きもされなくなった
- [15]馬蹄型小型マグネットモーターを内蔵した模型飛行機や自動車を試作し、東京・蔵前にある業界最大手の玩具会社に持ち込んだ
- [16]取引契約の日限を申し渡して高松へ引き揚げたところ、約二週間後に同社は独占取引を申し出て20万円を現金で手付けした
- [17]作ったモーターはその玩具会社で確実にさばけ、工場はフル回転して好況の二年が過ぎた
- 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
- [18]製品の開発・改良を重ねる一方、量産化にも成功した
参考文献[1]-[18]
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [1]1946年6月、馬渕健一が香川県高松市で関西理科研究所を創立し、小型モーターの開発を開始した
- [2]1947年、直流モーターでは世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを開発し、主に教材用の模型モーターとして販売を始めた
- [3]同研究所の小型マグネットモーターが、玩具・模型の動力源として既存のゼンマイ等に代わって使用されることになった
- 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
- [4]当社は創業以来30年、直流マイクロ・モーターの専門メーカーとして、よりよい製品をより安く安定的に供給することをモットーに、製品の開発・改良ならびに生産合理化の実現のため、ひたすら努力を続けてきた
- [11]昭和22年に世界最初の高性能馬蹄型マグネット・モーターを開発し、その生産を開始した
- [18]製品の開発・改良を重ねる一方、量産化にも成功した
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「五百円握りしめ故郷高松から単身上京」(馬渕健一)
- [5]馬渕健一は1926年11月に香川県高松市で金属加工業を営む父・栄の九人兄弟の長男として生まれた
- [6]小学校六年の時、より強いパワーのスチームエンジンを求めて自作し、操作ミスで釜を爆発させてケガをした際に、強力で安全、操作し易い動力があればと夢見た
- [7]1946年、スクールモーターと名付けた学校教材用の小型モーターの製造を始めた
- [8]弟たちも動員した手仕事で作り、高松から関西一円まで出向いて小・中学校を訪ね売り込み、約一年間仕事は順調に伸びた
- [9]特許を申請していないことを知った大阪商人が豊富な資金力と材料にものをいわせて同類商品を大量生産・大量販売し、手作り家内工業では太刀打ちできず在庫を抱えて赤字に苦しんだ
- [10]その後開発した永久磁石を使った馬蹄型の小型マグネットモーターでは、しっかり特許を申請した
- [12]1950年の頃、馬蹄型小型マグネットモーターの普及先として玩具市場に目をつけた
- [13]ゼンマイ仕掛けで輸出好況のさ中にあった玩具業界では見向きもされなかった
- [14]それから二年の間に玩具業界は不況に陥り、安いが技術の裏付けのないメイド・イン・ジャパンの玩具は海外でも見向きもされなくなった
- [15]馬蹄型小型マグネットモーターを内蔵した模型飛行機や自動車を試作し、東京・蔵前にある業界最大手の玩具会社に持ち込んだ
- [16]取引契約の日限を申し渡して高松へ引き揚げたところ、約二週間後に同社は独占取引を申し出て20万円を現金で手付けした
- [17]作ったモーターはその玩具会社で確実にさばけ、工場はフル回転して好況の二年が過ぎた
1954年〜東京科学工業の設立と葛飾への集約
東京へ工場を移す構想を、馬渕健一氏は父・栄氏に反対された。輸送費を下げられ情報も早いという理由からだったが、高松を離れたことのない父は首を縦に振らず、独りで行けと言って500円を渡した。高松から東京までの片道は連絡船と汽車を乗り継いで270円であり、東京に着いた時点で残っていたのは200円ほどだった。それでも上京したのは、手元に特許があったからである。蔵前の取引先へ直行し、東京進出のために来たと告げたうえで100万円の出資と工場の貸与を求め、いずれも受け入れられた。偵察に来た弟たちはそのまま東京に残り、1949年に関西理科研究所へ入っていた隆一氏は、1954年1月の東京科学工業への改組と同時に専務取締役に就いている。相手の事業が自社のモーターに依存している状態そのものを、資金の代わりに使った。
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「五百円握りしめ故郷高松から単身上京」(馬渕健一)
- [19]工場の東京進出を構想して父・栄に打ち明けたが反対された
- [20]輸送の点からもコストダウンができ東京の方が情報も早いと考えたが、父からは「どうしてもと言うのなら独りで行け」と言われ、渡された金が500円だった
- [21]高松・東京間の交通費は連絡船と汽車を乗り継いで270円で、東京に降り立った時は200円程度しか残っていなかった
- [22]無一文でも勝算があったのは「特許」という財産を持っていたからだった
- [23]蔵前の玩具会社へ行き100万円の出資と工場の貸与を求め、四十坪の倉庫をその金で二階建てにする条件で了承された
- [24]父に言われて偵察に来た弟たちは帰郷せずそのまま東京に残り、工場新設に取り組んだ
- 日経ビジネス 1993年3月1日号
- [25]馬渕隆一は1949年3月に高松工芸高校を中退して関西理科研究所に入所し、1954年1月の東京科学工業への改組と同時に専務取締役に就任した
借りた倉庫を二階建てに改める工事には3か月を要し、人手は職業安定所を通して集めた。1954年1月18日、東京都葛飾区に東京科学工業を設立し、小型マグネットモーターの本格的な製造と販売を開始した。葛飾を選んだのは、当時の玩具・模型メーカーがこの一帯に集中していたためである。東京科学工業は当初から製品を玩具・模型向けに売っていた。1940年代の終わりから1950年代にかけて玩具・模型の輸出が急速に伸びると、同社は短い期間で業容を広げ、この業界へ小型マグネットモーターを納める供給元としての地位を固めた。製品は玩具に組み込まれて海外へ渡ったため、海外で玩具・模型を手がけるメーカーにも早い時期から名が通った。やがて直接の輸出も始まった。
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「五百円握りしめ故郷高松から単身上京」(馬渕健一)
- [26]工場のオープンまでに三カ月ほどかかり、人手は職業安定所を通して集めた
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [27]1954年1月18日、東京都葛飾区に東京科学工業を設立(改組)し、小型マグネットモーター等の製造・販売を開始した
- [28]玩具・模型分野に本格的に進出するため、当時玩具・模型メーカーが集中していた東京都葛飾区に工場本社を設立した
- [29]昭和20年代の終りから昭和30年代にかけて玩具・模型が輸出製品として急速に増加し、同社は業容を急速に拡大するとともに、玩具・模型業界に対する小型マグネットモーターの供給者としての地位を強固なものとした
- [30]同社製品が玩具・模型の一部として海外に輸出されたことから、海外の玩具・模型メーカーにも早くから知られて製品を輸出することとなった
1955年8月には部品製造を目的とする日本科工を設立し、同じ月に自動巻線機を自社で開発して生産力の増強とコスト低減を実現した。1957年9月には輸出専門商社として馬渕商事を設立している。同社は1969年3月にマブチ国際通商へ商号を変更し、1972年12月に本体へ吸収合併された。モーターを作る機械を自分で作るという方針はこの時期に始まり、自動巻線機をはじめとする主要な生産機器は、以後も自社で開発・改良・製作した。生産ラインの自動化と省力化は、この自社製の機器を土台にして進んだ。機能を足すときに部門ではなく別の会社を立てたのが、この時期の型である。
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [31]1955年8月、小型マグネットモーターの部品製造を目的とする日本科工を設立した
- [33]1957年9月、小型マグネットモーターの販売を目的とする馬渕商事を設立した
- [34]馬渕商事は1969年3月に商号をマブチ国際通商へ変更し、1972年12月に同社へ吸収合併された
- 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
- [32]昭和30年8月に自動巻線機を自社開発し、生産力の増強とコスト低減に成功した
- [35]自動巻線機をはじめとして、使用される主要な生産機器は自社で開発、改良、製作を通じ独自のノウハウを生み出した
- [36]創業以来、生産ラインの自動化・省力化をはじめとする生産テクノロジーの開発に力を入れ、自社開発した生産機器の蓄積の上に自動化・省力化を進めて生産性の向上を実現してきた
参考文献[19]-[36]
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「五百円握りしめ故郷高松から単身上京」(馬渕健一)
- [19]工場の東京進出を構想して父・栄に打ち明けたが反対された
- [20]輸送の点からもコストダウンができ東京の方が情報も早いと考えたが、父からは「どうしてもと言うのなら独りで行け」と言われ、渡された金が500円だった
- [21]高松・東京間の交通費は連絡船と汽車を乗り継いで270円で、東京に降り立った時は200円程度しか残っていなかった
- [22]無一文でも勝算があったのは「特許」という財産を持っていたからだった
- [23]蔵前の玩具会社へ行き100万円の出資と工場の貸与を求め、四十坪の倉庫をその金で二階建てにする条件で了承された
- [24]父に言われて偵察に来た弟たちは帰郷せずそのまま東京に残り、工場新設に取り組んだ
- [26]工場のオープンまでに三カ月ほどかかり、人手は職業安定所を通して集めた
- 日経ビジネス 1993年3月1日号
- [25]馬渕隆一は1949年3月に高松工芸高校を中退して関西理科研究所に入所し、1954年1月の東京科学工業への改組と同時に専務取締役に就任した
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [27]1954年1月18日、東京都葛飾区に東京科学工業を設立(改組)し、小型マグネットモーター等の製造・販売を開始した
- [28]玩具・模型分野に本格的に進出するため、当時玩具・模型メーカーが集中していた東京都葛飾区に工場本社を設立した
- [29]昭和20年代の終りから昭和30年代にかけて玩具・模型が輸出製品として急速に増加し、同社は業容を急速に拡大するとともに、玩具・模型業界に対する小型マグネットモーターの供給者としての地位を強固なものとした
- [30]同社製品が玩具・模型の一部として海外に輸出されたことから、海外の玩具・模型メーカーにも早くから知られて製品を輸出することとなった
- [31]1955年8月、小型マグネットモーターの部品製造を目的とする日本科工を設立した
- [33]1957年9月、小型マグネットモーターの販売を目的とする馬渕商事を設立した
- [34]馬渕商事は1969年3月に商号をマブチ国際通商へ変更し、1972年12月に同社へ吸収合併された
- 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
- [32]昭和30年8月に自動巻線機を自社開発し、生産力の増強とコスト低減に成功した
- [35]自動巻線機をはじめとして、使用される主要な生産機器は自社で開発、改良、製作を通じ独自のノウハウを生み出した
- [36]創業以来、生産ラインの自動化・省力化をはじめとする生産テクノロジーの開発に力を入れ、自社開発した生産機器の蓄積の上に自動化・省力化を進めて生産性の向上を実現してきた
1958年〜馬渕工業への改組と高松木材との形式合併
マブチモーターが法人としての起点に数えるのは、1958年8月に設立された馬渕工業である。それまでモーターの完成品は東京科学工業、部品は日本科工と二つの会社に分かれていたが、この年に統合し直された。伸びる需要に見合う管理の体制を整えることが狙いで、馬渕工業は東京科学工業と日本科工の営業を引き受けた。商号はその後、1959年4月に東京科学、1971年3月にマブチモーターへと改まった。創業者の姓を冠した社名に行き着くまで、設立から13年を要したことになる。
- マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
- [37]1958年8月、馬渕工業として設立し小型モーターの生産販売を開始
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [38]東京科学工業は小型マグネットモーター等の製造・販売を、日本科工はその部品製造を目的として設立された
- [39]1958年8月、東京科学工業と日本科工の営業を引き継いで馬渕工業となった
- [40]増加する需要に対応する管理体制を確立するため、1958年8月に新たに馬渕工業を設立して東京科学工業と日本科工の営業を引き継いだ
- [41]商号を1959年4月に馬渕工業から東京科学に、1971年3月に現在のマブチモーターへ変更した
1963年10月1日には、株式額面変更のため東京科学が高松木材を存続会社として吸収合併された。高松木材は1926年3月13日に設立された別会社であり、この合併によって登記上の設立日は大正期まで遡る。ただし実質上の存続会社は被合併会社である東京科学のほうで、1987年の新規上場会社紹介も合併期日以前の記載は東京科学のものを載せている。会社概要が掲げる設立日は1954年1月18日、公式の創業年は1946年であり、会社の登記と事業の連続は、同じ年を指していない。有価証券報告書の沿革は1958年8月の馬渕工業設立から書き起こしており、高松木材との合併には触れていない。登記上の法人は、事業の履歴とは別に動いた。
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [42]1963年10月1日を合併期日として、株式額面変更のため東京科学(旧高松木材)に吸収合併された
- [43]設立年月日は昭和29年1月18日(形式上大正15年3月13日)
- [44]申請会社は昭和38年10月1日を合併期日として旧東京科学を吸収合併したが、実質上の存続会社は被合併会社である旧東京科学であるため、合併期日以前については旧東京科学について記載した
- [45]創業は1946年、設立年月日は1954年1月18日
- マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
- [46]有価証券報告書【沿革】の記載は1958年8月の馬渕工業設立から始まる
参考文献[37]-[46]
- マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
- [37]1958年8月、馬渕工業として設立し小型モーターの生産販売を開始
- [46]有価証券報告書【沿革】の記載は1958年8月の馬渕工業設立から始まる
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- [38]東京科学工業は小型マグネットモーター等の製造・販売を、日本科工はその部品製造を目的として設立された
- [39]1958年8月、東京科学工業と日本科工の営業を引き継いで馬渕工業となった
- [40]増加する需要に対応する管理体制を確立するため、1958年8月に新たに馬渕工業を設立して東京科学工業と日本科工の営業を引き継いだ
- [41]商号を1959年4月に馬渕工業から東京科学に、1971年3月に現在のマブチモーターへ変更した
- [42]1963年10月1日を合併期日として、株式額面変更のため東京科学(旧高松木材)に吸収合併された
- [43]設立年月日は昭和29年1月18日(形式上大正15年3月13日)
- [44]申請会社は昭和38年10月1日を合併期日として旧東京科学を吸収合併したが、実質上の存続会社は被合併会社である旧東京科学であるため、合併期日以前については旧東京科学について記載した
- [45]創業は1946年、設立年月日は1954年1月18日
出典・参考
5件
- マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
- 日経ビジネス 1993年3月1日号
- 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「五百円握りしめ故郷高松から単身上京」(馬渕健一)