利根コカ・コーラボトリング株式会社を設立
醤油市場の成熟とコカ・コーラの日本展開が生んだ参入機会
1950年代後半、キッコーマンは国内醤油市場で高いシェアを確保し安定局面に入っていた。一方で食生活の変化に伴い調味料需要の成長率は鈍化しており、将来の売上成長は海外展開や新分野への進出に委ねられつつあった。事業ポートフォリオの拡張が経営上の選択肢として現実味を帯びていた時期であった。
同時期、日本では清涼飲料水市場が急成長していた。コカ・コーラは米国で確立されたブランド力と販売モデルを背景に日本市場への本格展開を進めていたが、自社で製造・販売を行うのではなく、地域ごとにボトラーを設置する方式を採用していた。製造設備・物流・地域密着の販売網を持つ企業にとっては、ボトラーとして参入する余地がある構造であった。
一族の人的ネットワークを活かしたボトリング事業への参入
1962年2月、キッコーマンは利根コカ・コーラボトリングを設立し、コカ・コーラのボトリング事業に参入した。出資比率は50.0%で、千葉・栃木・茨城をテリトリーとする地域ボトラーとして位置づけられた。参入の背景には、キッコーマン一族に連なる高梨家がコカ・コーラ事業に先行して関与していたという人的ネットワークの存在があった。
この判断は自社ブランドの創出ではなく、既存の強力なブランドを活用する選択であった。キッコーマンは製造管理、物流、地域販売といった自社の強みを活かしつつ、製品やマーケティングはコカ・コーラ本社の指針に従う役割を担った。調味料メーカーが飲料分野に踏み出す契機として、リスクを抑えた参入形態が選ばれた。
飲料事業の経験蓄積とポートフォリオの拡張
ボトリング事業への参入は、キッコーマンに調味料以外の消費財事業の運営経験をもたらした。製造工程の管理、物流網の整備、地域販売体制の構築といった実務を通じて、醤油事業で培った能力が飲料分野でも応用可能であることが確認された。
ただし、ボトリング事業はコカ・コーラ本社の方針に従う下請け的な性格を持ち、キッコーマン自身の製品開発やブランド構築には直結しなかった。2009年に株式の一部を譲渡して連結対象外としたことは、ボトリング事業の位置づけが長期的には変化したことを示している。飲料分野への本格参入は、後の紀文フードケミファ買収による豆乳事業の強化へと軸足が移っていった。