この進出でメイテックが持ち込もうとしたのは、設備でも製品でもなく、技術者を育てて客先に置くという方法そのものであった。日本での強さは、研修施設と長い雇用、そして顧客の設計部門との深い関係が組み合わさって初めて成り立っている。中国では、育成した技術者を引き止める仕組みも、常駐を受け入れる商習慣も、日本と同じようには揃わなかったと思われる。教育と人材紹介から入るという慎重な設計は理にかなっていたが、慎重であるがゆえに規模が育たず、損失を計上しながら十数年を過ごした。
それでも、この海外展開が同社に残したものはある。顧客の製造業が海外へ出るとき、技術者を供給する側が同じ速さで追随できるとは限らないという事実が、数字とともに社内に記録された。撤収後のメイテックグループは、売上の99%超をエンジニアリングソリューション事業が占める単一事業の構造へ収斂し、成長の源泉を国内のエンジニア社員数と稼動率、そして対価の引き上げに求めている。海外に出るか、国内で深く掘るか——この二択に対する同社の回答は、16年をかけた撤収のなかで固まったのだろう。