メイテックグループホールディングス上海現地法人の設立による中国エンジニア育成・供給事業への進出

顧客の製造業が中国へ移るとき、技術者を送る会社は何を持ち込めるのか

時期 2003年9月
意思決定者(推定) 西本甲介 社長
論点 海外展開と事業多角化
概要
2003年、メイテックが上海に明達科(上海)諮詢有限公司を設立し、中国での技術者育成・人材紹介事業へ進出した経営判断。国内の客先常駐型派遣で築いた研修の型を、日系製造業の中国拠点向けに移そうとする試みであった。
背景
顧客の大手製造業が生産と開発の一部を中国へ移し、現地で戦力となる技術者の確保に苦しんでいた。国内では1993年の大量人員削減の記憶から、派遣本体に依存しない事業の柱づくりが急がれていた。
内容
2003年3月に株式会社メイテックグローバルソリューションズを設立し、同年9月に上海へ現地法人を置いた。2004年以降は浙江・大連・広州・西安・成都と合弁の人材育成会社を重ね、グローバル事業として独立したセグメントを構成した。
含意
グローバル事業の売上高は2009年3月期の10億66百万円が最大で、区分開示のあった各期はいずれも営業損失であった。2016年に成都・西安、2019年3月に上海の各社が清算を結了し、中国での事業は16年で畳まれた。
筆者の見解

移せたものと、移せなかったもの

この進出でメイテックが持ち込もうとしたのは、設備でも製品でもなく、技術者を育てて客先に置くという方法そのものであった。日本での強さは、研修施設と長い雇用、そして顧客の設計部門との深い関係が組み合わさって初めて成り立っている。中国では、育成した技術者を引き止める仕組みも、常駐を受け入れる商習慣も、日本と同じようには揃わなかったとみられる。教育と人材紹介から入るという慎重な設計は理にかなっていたが、慎重であるがゆえに規模が育たず、損失を出しながら十数年を過ごした。

それでも、この海外展開が同社に残したものはある。顧客の製造業が海外へ出るとき、技術者を供給する側が同じ速さで追随できるとは限らないという事実が、数字とともに社内に記録された。撤収後のメイテックグループは、売上の99%超をエンジニアリングソリューション事業が占める単一事業の構造へ収斂し、成長の源泉を国内のエンジニア社員数と稼動率、そして対価の引き上げに求めている。海外に出るか、国内で深く掘るか——この二択に対する同社の回答は、16年をかけた撤収のなかで固まったとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

顧客が中国へ動いた

メイテックの事業は、顧客である大手製造業の研究所と設計部門に技術者を常駐させることで成り立つ。したがって顧客の開発拠点が動けば、事業の置き場所も動く。2000年代初頭、日本の電機・自動車各社は生産だけでなく設計や評価の一部も中国へ移し、現地で採用した技術者をどう戦力にするかという課題を抱えた。西本甲介社長はのちに、中国へ進出した企業が最も困っているのは戦力となる人材を採用できない、育てられない、定着させられないことだと語っている。顧客の困りごとがそのまま、日本で研修に資金を投じてきた会社の商機に見えた[1][2]

国内側の事情も進出を後押しした。1993年、顧客の研究開発費削減を受けて契約を打ち切られたメイテックは最終赤字に転落し、正社員の約半数にあたる約3000名を削減している。1999年に社長へ就いた西本氏は、この削減を再演しない会社づくりを掲げ、技術者派遣の一本足から抜け出す事業構成を探した。2003年3月には株式会社メイテックグローバルソリューションズを設立し、設計開発技術やコンピュータソフトウェアの輸出入に関わる業務を担わせている。海外は、その探索のなかで開かれた方向のひとつであった[3][4]

決断

派遣ではなく、育成から入る

2003年9月、メイテックは上海に明達科(上海)諮詢有限公司を設立した。同社は2005年8月にライセンス変更の認可を受けて明達科(上海)科技有限公司へ組織を改め、中国における技術と人材のコンサルテーション事業を担うことになる。国内で確立した客先常駐の派遣をそのまま持ち込むのではなく、中国人技術者の育成と研修、そして人材紹介から入ったところに、この進出の性格が表れている。労働者派遣の制度が異なる国では、日本で磨いた研修の型のほうが移しやすい資産であった[5][6]

拠点は現地企業との合弁で重ねられた。2004年7月に浙江浙大網新科技股份有限公司との合弁で浙江明達科網新科技培訓有限公司、同年11月に大連信華信息有限公司との合弁で明達科(大連)科技培訓有限公司、2005年12月に公興和投資顧問有限公司との合弁で明達科(広州)科技培訓有限公司を設立し、2006年に西安、2007年に成都、2008年6月に上海精才人力資源有限公司との合弁で明達科(上海)人才服務有限公司を置いた。これらはグループ全体の構想「Global Vision21」の第三の柱、グローバル事業に区分され、2008年3月期までに1,000億円企業グループを目指す計画の一角を担った[7][8][9]

結果

一度も黒字にならなかったセグメント

グローバル事業がセグメントとして区分開示された各期の数字は、いずれも営業損失を示している。2007年3月期は売上高2億90百万円に対し営業損失2億1百万円、2008年3月期は6億18百万円に対し4億5百万円、最大となった2009年3月期でも10億66百万円に対し4億75百万円であった。リーマンショック後の2010年3月期には売上高5億15百万円へ半減し、損失は5億91百万円へ広がる。国内の派遣事業が売上800億円規模で二桁の営業利益率を保っていたのに対し、中国事業は規模でも収益でも桁が違ったまま推移した[10][11]

縮小は静かに進んだ。2011年3月、国内で海外事業の窓口を担っていたメイテックグローバルソリューションズがメイテック本体へ吸収合併され、グローバル事業の売上高は2012年3月期に28百万円まで落ちる。2015年7月に上海阿波馬可科技有限公司、2016年3月に成都、同年8月に西安の各社の清算が結了し、2019年3月には明達科(上海)科技有限公司と明達科(上海)人才服務有限公司の清算が結了した。上海に法人を置いてから16年、中国での事業は跡形なく畳まれ、以後のメイテックグループは国内のエンジニアリングソリューション事業へ収斂した[12][13]

出典・参考

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