{
  "title": "武富士の歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1966,
      "end_year": 1983,
      "main_title": "板橋の一室から全国網へ——「サラ金地獄」批判と規制立法が営業の型を決めるまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "銀行が貸さない層に小口を貸すという一点",
          "text": "1966年1月、武井保雄氏は東京都板橋区で個人向け金融の貸出業務を始めた。埼玉県深谷の生まれで、団地に住む主婦を相手に小口の金を貸す商売からの出発である。1968年6月に有限会社武富士商事を設立し、1974年11月にこれを組織変更して株式会社武富士商事とした。板橋・京橋・新橋・新宿・神田の首都圏5店舗と札幌支店、あわせて6店舗での営業開始だった。翌12月に商号を株式会社武富士に改めている。無担保・無保証で個人に小額を貸すという業態は、当時「団地金融」と呼ばれていた。担保も保証人も取らないかわりに、貸す相手を見極める目と、滞った先から取り立てる手順の巧拙がそのまま損益に出る商売である。\n\n事業の輪郭は創業時から単純だった。銀行が相手にしない勤め人へ、担保も保証人も取らずに小額を貸す。武井保雄氏は後年、従業員30人以下の企業に勤める人が全労働者の7割前後を占め、その割合は自身が業界に入ってから変わっていないと述べ、そこに存在価値があると説明している。貸す相手を選ぶのではなく、選ばれずに残っていた層をそのまま市場として引き受けた形になる。ただしこの層は返済能力の把握が難しく、貸倒れの管理ができなければ商売にならない。武富士が磨いたのは金利の高さではなく、小口を大量に扱うための審査と回収の手順だった。\n\n店舗の増やし方は速い。1975年3月に仙台・名古屋、7月に新潟、10月に福岡を開き、1976年2月に広島、4月に大阪・神戸、1977年2月に高松へと店を出した。創業から11年で東北・中部・北陸・九州・中国・関西・四国を一巡している。1976年1月には店内業務の効率化のためコンピュータを導入した。1977年12月には株式の額面変更と組織の一元化を目的に、ユタカ・ヤマトローンサービス・東宝ローンサービスの3社を吸収合併し、西荻・船橋・赤羽・横浜の4店舗を取得した。1978年2月からは店舗の呼称に「￥en shop　武富士」を用いている。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "武井保雄",
              "role": "武富士会長",
              "date": "1999",
              "text": "日本の全労働者のうち、従業員数が三〇人以下の企業に勤めている人の割合は七〇％前後で、これは私がこの業界に入ってからあまり変わっていない。こういう層には銀行はなかなかカネを貸さない。ここに武富士の存在価値があります。\n事業はそんなに難しくないんです。貸付には「ご来店を心からお待ち申し上げます」という丁寧な姿勢が本当に大切なのです。昔、私が貸付をしたとき、（怖がって）手を震わせて申込書を書いていた人がいたんです。これではダメだ、いつかは分かってもらおう、と。これで武富士は成功したんです。",
              "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "武井保雄氏は1966年1月に東京都板橋区で個人向け金融の貸出業務を開始した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1966年1月、武井保雄氏は東京都板橋区で個人向け金融の貸出業務を始めた。"
              },
              {
                "fact": "武井保雄氏は1930年に埼玉県深谷で生まれ、1966年に東京・板橋区で金融業を開業した。「団地金融」から一代で消費者金融業の首位に立った",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "埼玉県深谷の生まれで、団地に住む主婦を相手に小口の金を貸す商売からの出発である。"
              },
              {
                "fact": "1968年6月に有限会社武富士商事を設立し、1974年11月に株式会社武富士商事へ組織変更、首都圏5店舗と札幌支店の計6店舗で営業を開始した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1968年6月に有限会社武富士商事を設立し、1974年11月にこれを組織変更して株式会社武富士商事とした。"
              },
              {
                "fact": "1974年12月に商号を株式会社武富士へ変更した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "翌12月に商号を株式会社武富士に改めている。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "武井保雄氏は「日本の全労働者のうち、従業員数が三〇人以下の企業に勤めている人の割合は七〇％前後で、これは私がこの業界に入ってからあまり変わっていない。こういう層には銀行はなかなかカネを貸さない。ここに武富士の存在価値があります」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "武井保雄氏は後年、従業員30人以下の企業に勤める人が全労働者の7割前後を占め、その割合は自身が業界に入ってから変わっていないと述べ、そこに存在価値があると説明している。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1975年3月に仙台・名古屋支店、7月に新潟支店、10月に福岡支店を開店し、1976年2月に広島、4月に大阪・神戸、1977年2月に高松へ進出した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
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                "genbun": "1975年3月に仙台・名古屋、7月に新潟、10月に福岡を開き、1976年2月に広島、4月に大阪・神戸、1977年2月に高松へと店を出した。"
              },
              {
                "fact": "1976年1月に店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
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                "genbun": "1976年1月には店内業務の効率化のためコンピュータを導入した。"
              },
              {
                "fact": "1977年12月にユタカ・ヤマトローンサービス・東宝ローンサービスを吸収合併し、西荻・船橋・赤羽・横浜の4店舗を取得した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1977年12月には株式の額面変更と組織の一元化を目的に、ユタカ・ヤマトローンサービス・東宝ローンサービスの3社を吸収合併し、西荻・船橋・赤羽・横浜の4店舗を取得した。"
              },
              {
                "fact": "1978年2月に店舗の呼称として「￥en shop　武富士」を採用した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1978年2月からは店舗の呼称に「￥en shop　武富士」を用いている。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "サラ金地獄批判のあとに残った、費用の四指標という規律",
          "text": "1983年から1984年にかけて、消費者金融は存立そのものを問われた。高金利と過酷な取り立てが「サラ金地獄」として社会的批判を浴び、貸金業規制二法が施行され、資金の出し手だった銀行が一斉に引き揚げた。ヤタガイクレジットの倒産をはじめ、業界は壊滅的な打撃を受けている。武富士も1983年12月、貸金業の規制等に関する法律により貸金業者として登録した。武井保雄氏は1999年の取材で、業界に入ってから33年のうち目標を達成できなかったのは1983年の一度だけだったと語っている。批判の年が、この会社にとっても唯一の未達年だった。\n\n規制のもとで生き残るために、この会社が握ったのは費用の四指標だった。広告宣伝費・人件費・調達金利・貸倒れの四つを、それぞれ営業収益に対する比率で管理する。広告宣伝費は営業収益の5%以内、人件費は13〜14%まで。武井保雄氏は、同業には広告宣伝費に15%を使う会社があると指摘し、その理由を、給料の差し押さえのような回収をすればイメージが落ちて広告費が高くつくからだと説明している。取り立てを緩めることと広告費を抑えることが同じ勘定でつながっている、という理解である。人員についても、武富士が4人で回す支店を12人でやっている会社があると述べた。金利水準ではなく費用比率が競争の場だった。\n\n機械化も同じ年に始まっている。1983年11月に全国支店網オンラインシステムが稼働し、1985年8月にはATMシステムが48台で動き出した。1988年1月には第2次オンラインシステムに移っている。1984年7月には外資系消費者金融のジャパン・ハワイ・ファイナンスの全株式を取得した。批判と規制で業界が縮んだ時期に、武富士は店を減らさずに情報処理の側を作り替えていたことになる。1989年8月には年利13.5%から17.5%の目的ローンを7種類発売し、金利の低い商品にも手を伸ばした。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1983〜84年に高金利や過酷な取り立てが「サラ金地獄」として社会的批判を浴び、貸金業規制二法が施行され、資金源の銀行が一斉に引き揚げた結果、ヤタガイクレジット等が倒産するなど業界は壊滅的な打撃を受けた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040303/1999040303/backContentsTop",
                "genbun": "高金利と過酷な取り立てが「サラ金地獄」として社会的批判を浴び、貸金業規制二法が施行され、資金の出し手だった銀行が一斉に引き揚げた。"
              },
              {
                "fact": "1983年12月に貸金業の規制等に関する法律により貸金業者として登録した（関東財務局長(1)第00020号）",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "武富士も1983年12月、貸金業の規制等に関する法律により貸金業者として登録した。"
              },
              {
                "fact": "武井保雄氏は「私がこの業界に入ったのは１９６６（昭和４１）年で、今年は三三年目になりますが、目標を達成できなかったのは（「サラ金地獄」が社会問題化した）８３年一回だけです」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "武井保雄氏は1999年の取材で、業界に入ってから33年のうち目標を達成できなかったのは1983年の一度だけだったと語っている。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "武井保雄氏は広告宣伝費・人件費・調達金利・貸し倒れの四つを重要な指標とし、広告宣伝費は営業収益の5%以内、人件費は13〜14%程度に抑えると述べた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "広告宣伝費は営業収益の5%以内、人件費は13〜14%まで。"
              },
              {
                "fact": "武井保雄氏は同業他社に広告宣伝費を15%使う会社があるとし、その理由を「業者の中には、借りているお客様の給料を差し押さえたりするところがある。これだと貸したおカネの回収はできても、広告宣伝費が高くつくんです」と説明した。また支店運営について「うちが四人でやっているところを一二人でやっていたりする」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "武井保雄氏は、同業には広告宣伝費に15%を使う会社があると指摘し、その理由を、給料の差し押さえのような回収をすればイメージが落ちて広告費が高くつくからだと説明している。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1983年11月に全国支店網オンラインシステムが稼働し、1985年8月にATMシステムが稼働した（設置台数48台）。1988年1月に第2次オンラインシステムが稼働した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1983年11月に全国支店網オンラインシステムが稼働し、1985年8月にはATMシステムが48台で動き出した。"
              },
              {
                "fact": "1984年7月に外資系消費者金融会社ジャパン・ハワイ・ファイナンスの全株式を取得した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1984年7月には外資系消費者金融のジャパン・ハワイ・ファイナンスの全株式を取得した。"
              },
              {
                "fact": "1989年8月に低金利無担保の目的ローンを7種類（年利13.5％〜17.5％）発売した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1989年8月には年利13.5%から17.5%の目的ローンを7種類発売し、金利の低い商品にも手を伸ばした。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1984,
      "end_year": 1999,
      "main_title": "無人契約機と株式公開——銀行が貸さない層への融資が最高益を生んだ15年",
      "subsections": [
        {
          "title": "対面をやめた契約と、提携で広がった入出金の窓口",
          "text": "1990年代の消費者金融を変えたのは無人自動契約機だった。第一号は1993年7月にアコムが設置した「むじんくん」で、武富士が「￥enむすび」を導入したのは1995年10月にあたる。この機械を最初に置いたのは武富士ではない。それでも影響は大きかった。対面の審査がなくなったことで来店の心理的な壁が下がり、夜間や土日にも契約できるようになって、借金に抵抗の薄い若い層が新たに開拓された。1995年12月には金融機関・信販会社とのCD・ATM提携も始まり、入出金の窓口は自社の店舗の外へ広がっている。1992年5月には本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目に竣工して移転した。\n\n貸出の上限をどこに引くかは、この時期の各社を分けた論点だった。武富士は無人契約機での貸出を1口座50万円に抑えていた。1998年前半から他社が100万円、200万円、300万円と上限を引き上げると、社内の本部長までが緩和を求めてきたという。武井保雄氏はこれを退け、年率27.375%で50万円を貸せば月々の元利返済は約2万1000円だが、300万円なら月12万6000円になると示して、その額を回収できるのかと問い返している。1998年8月には一人あたりの貸付上限を170万円（優良顧客は230万円）と定めた。同じ年、自己破産者は10万人を超えている。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "無人自動契約機は1993年7月にアコムが「むじんくん」で第一号を設置し、それまで対面で審査された顧客が顔を合わせず、夜間や土日に利用できるようになって、借金に抵抗感の薄い若者層が開拓された",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040303/1999040303/backContentsTop",
                "genbun": "第一号は1993年7月にアコムが設置した「むじんくん」で、武富士が「￥enむすび」を導入したのは1995年10月にあたる。"
              },
              {
                "fact": "1995年10月に無人契約機「￥enむすび」を導入し、1995年12月に金融機関・信販会社とのCD・ATM提携を開始した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1995年12月には金融機関・信販会社とのCD・ATM提携も始まり、入出金の窓口は自社の店舗の外へ広がっている。"
              },
              {
                "fact": "1992年5月に本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目に竣工し移転した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1992年5月には本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目に竣工して移転した。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "武井保雄氏は無人契約機での貸出を1口座50万円に抑え、他社が100万〜300万円へ引き上げるなか「今（年率二七・三七五％で）五〇万円貸すと、通常一カ月の元利合計の返済金が二万一〇〇〇円だぞ。もし、三〇〇万円貸したらこれが月一二万六〇〇〇円だ。君たちは本当にこんなおカネをお客様から回収できるのか」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "武井保雄氏はこれを退け、年率27.375%で50万円を貸せば月々の元利返済は約2万1000円だが、300万円なら月12万6000円になると示して、その額を回収できるのかと問い返している。"
              },
              {
                "fact": "1998年8月に一人あたり170万円以上は貸さない（過去に実績のある優良顧客は230万円まで）と決めた。1998年には自己破産者が一気に10万人を突破した",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "1998年8月には一人あたりの貸付上限を170万円（優良顧客は230万円）と定めた。同じ年、自己破産者は10万人を超えている。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "店頭公開から東証一部へ、そして外資からの調達",
          "text": "1996年8月、武富士は株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録した。1998年12月には東京証券取引所市場第一部へ上場し、2000年3月にはロンドン証券取引所にも上場している。1999年3月期の経常利益は1696億円に達し、時価総額は都銀中堅のさくら銀行・東海銀行に迫った。貸出残高は1兆円を超え、武井保雄氏は次の目標を2003年の自己資本1兆円と語っている。当時の自己資本は4664億円だった。「三％で調達し、二五％で貸す」という差し引き22%の利ざやが、この産業の収益の源泉である。銀行が小口の無担保融資に踏み込まないあいだ、その利ざやは競争によって削られずに残った。\n\n調達の側でも外資への依存を深めていた。長期借入金に占める外資の比率は1999年3月期で28%に高まっている。子会社の特別目的会社を通じて自社債権を担保に3000億円の枠内で借入と返済を繰り返せる米バンカーストラストとのスキームは、新しい調達手段として注目された。1999年6月には金融業者の貸付業務のための社債の発行等に関する法律により特定金融会社等として登録し、使途を限定されない社債の発行にも道が開いている。1998年9月にはアイルランドに再保険業のTSR CO.,LTD.を設立した。銀行から締め出された1983年の記憶が、調達先を一つに寄せない構えを作らせたとみてよい。\n\n好調の裏で、株式公開は別の負債も残していた。1996年の公開前後には、野村総合研究所の顧問への未公開株譲渡が問題となり、含み損を抱えたファミリー企業の土地を武富士本体が高値で買い上げる処理も行われている。さらに公開を前にした1996年8月ごろ、右翼などからの妨害を排除するため、山口組系の組長や右翼団体の会長に処理を依頼していた事実は、のちに元渉外部長が起こした報酬請求訴訟で司法の認定を受けた。東京高裁は2003年6月にこれを真実と認め、未払い報酬4億円の支払いを命じ、判決は同年9月に最高裁で確定している。公開によって得た信用の下に、公開のために作った関係が残った。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1996年8月に株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録し、1998年12月に東京証券取引所市場第一部へ上場、2000年3月にロンドン証券取引所へ上場した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1996年8月、武富士は株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録した。"
              },
              {
                "fact": "1999年3月期の経常利益は1696億円で、消費者金融最大手の武富士の時価総額は都銀中堅のさくら銀行・東海銀行に迫った。貸出残高1兆円を達成し、次の目標は2003年の自己資本1兆円（当時4664億円）とされた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "1999年3月期の経常利益は1696億円に達し、時価総額は都銀中堅のさくら銀行・東海銀行に迫った。"
              },
              {
                "fact": "消費者金融の仕組みは「三％で調達し、二五％で貸す」であり、差し引き22％が利ざやとなる",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040303/1999040303/backContentsTop",
                "genbun": "「三％で調達し、二五％で貸す」という差し引き22%の利ざやが、この産業の収益の源泉である。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "武富士では調達のリスク分散を図り、長期借入金に占める外資の比率が1999年3月期で28％に高まった。子会社のSPCを通じて自社債権を担保に3000億円の枠内で自由に資金を借りたり返したりできる米バンカーストラストとのスキームが注目された",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040303/1999040303/backContentsTop",
                "genbun": "長期借入金に占める外資の比率は1999年3月期で28%に高まっている。"
              },
              {
                "fact": "1999年6月に金融業者の貸付業務のための社債の発行等に関する法律により特定金融会社等として登録した（関東財務局長第3号）。1998年9月にアイルランドに再保険業のTSR CO.,LTD.を設立した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "1999年6月には金融業者の貸付業務のための社債の発行等に関する法律により特定金融会社等として登録し、使途を限定されない社債の発行にも道が開いている。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1996年の公開前後に野村総研の顧問・徳田博美氏（当時）への未公開株譲渡問題が浮上し、巨額の含み損を抱えていたファミリー企業の土地も武富士本体が高値で買い上げた",
                "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
                "genbun": "1996年の公開前後には、野村総合研究所の顧問への未公開株譲渡が問題となり、含み損を抱えたファミリー企業の土地を武富士本体が高値で買い上げる処理も行われている。"
              },
              {
                "fact": "武富士は1996年8月の株式公開を前に右翼などから妨害を受け、山口組系山健組と関わりのある企業経営者、山口組系後藤組の組長、稲川会系右翼団体・大行社の会長などに処理を依頼していた。東京高裁は2003年6月にこれを真実と認め、元渉外部長への未払い報酬4億円の支払いを命じ、判決は同年9月に最高裁で確定した",
                "source": "週刊東洋経済 2003/11/29",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003112900/DCL0101000200311290020031129TKW004/20031129TKW004/backContentsTop",
                "genbun": "東京高裁は2003年6月にこれを真実と認め、未払い報酬4億円の支払いを命じ、判決は同年9月に最高裁で確定している。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2000,
      "end_year": 2005,
      "main_title": "高株価でなければ支配が保てない——一族の資本構造が招いた盗聴事件と買収攻防",
      "subsections": [
        {
          "title": "創業者の社長復帰と、息子二人の昇格が示した継承の意思",
          "text": "2000年6月29日付で池田正人社長が退任し、創業者の武井保雄会長が社長を兼務した。会長の社長復帰はこれで二度目にあたる。同時に長男の武井俊樹常務（34歳）が専務へ、次男の武井健晃取締役（30歳）が常務へ昇格し、俊樹氏の役員序列は7位から3位に上がった。前年の連結ROEは20.2%と大企業では突出して高い。実績があるからこそ同族の経営が許されるという関係のもとで、継承を進めるほどワンマンの度合いを強めねばならない構図に入っていた。1993年に健晃氏、1995年に俊樹氏が入社しており、この昇格は二人の入社から数年後の配置換えにあたる。\n\n継承は計画どおりには進まなかった。財務部門を歩んだ俊樹氏は2001年に退任している。香港での株取引で損失を出したことが理由とされたが、後継者としての重圧に耐えられなくなったのだろうと元社員は述べた。営業部門の健晃氏は1999年に営業統括本部長へ就くと取り巻きを重く用い、現場の情報が武井保雄氏に届かなくなったという証言がある。ある元社員は、健晃氏の指揮下で顧客第一から業績優先へ変わり、ノルマ達成のための無理な貸付が増えたと語っている。同じ時期、古参幹部の退職が相次いだ。一族へ渡すために強めた集権が、渡す前に組織を痩せさせていた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "武富士の池田正人社長は2000年6月29日付で退任し、創業者の武井保雄会長（70歳）が社長を兼務した。カムバックは二度目。長男の武井俊樹常務（34歳）が専務に、次男の武井健晃取締役（30歳）が常務に昇格し、俊樹氏の役員序列は7位から3位に上がった",
                "source": "週刊東洋経済 2000/6/24",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2000062400/DCL0101000200006240020000624008/20000624008/backContentsTop",
                "genbun": "2000年6月29日付で池田正人社長が退任し、創業者の武井保雄会長が社長を兼務した。"
              },
              {
                "fact": "武富士の連結ROE（株主資本利益率）は2000年3月期で20.2％と、大手企業としては突出して高かった",
                "source": "週刊東洋経済 2000/6/24",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2000062400/DCL0101000200006240020000624008/20000624008/backContentsTop",
                "genbun": "前年の連結ROEは20.2%と大企業では突出して高い。"
              },
              {
                "fact": "1993年に次男の武井健晃氏、1995年に長男の武井俊樹氏が武富士に入社した",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "1993年に健晃氏、1995年に俊樹氏が入社しており、この昇格は二人の入社から数年後の配置換えにあたる。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "武井俊樹氏は主に財務部門に携わり2000年に専務へ昇格したが、翌2001年に退任した。香港での株取引で損失を出したことが原因と言われ、元社員は「後継者としての重圧に耐えられなくなったのだろう」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "財務部門を歩んだ俊樹氏は2001年に退任している。"
              },
              {
                "fact": "武井健晃氏は1999年に営業統括本部長に就任し、取り巻きを重用する人事で現場の情報が武井保雄氏に届かなくなった。元社員は「健晃氏の総指揮下でお客様第一主義が業績優先主義に変わり、ノルマ達成のため無理な貸し付けが増えた」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "営業部門の健晃氏は1999年に営業統括本部長へ就くと取り巻きを重く用い、現場の情報が武井保雄氏に届かなくなったという証言がある。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "発行済株式の6割が担保に入るという資本の構え",
          "text": "2000年11月20日、武富士の株価は前週末比1000円安の7450円でストップ安をつけた。翌21日にアナリスト説明会を開いて巨額損失発生説を否定したものの売りは止まらず、21日も6450円の売り気配で終えている。売り材料はモルガン・スタンレーの株価指数からの除外観測だった。時価総額が大きいわりに浮動株が少ない銘柄が見直しの対象となり、浮動株比率1.7%の武富士も除外の候補に挙がった。加えて11月2日、1997年に金融ブローカーから購入した金融商品が架空である可能性を認め、9月中間期に39億円を費用計上したことが重なった。\n\n浮動株が少ない理由は資本の持ち方にあった。武井一族の4個人とファミリー企業9社が合計66.52%を保有し、それらは共同保有関係から5グループに分かれていた。この構造には二重の弱さがある。第一に、ファミリー企業は巨額の借入金を抱え、武富士株を担保に差し入れていた。2003年末時点で担保提供先は70社、担保提供株数は8150万株と発行済株式の57%に達し、直近株価での資産価値は約4000億円だった。第二に、株価が下がれば追加担保を求められ、応じられなければ代物弁済で株そのものを失う。支配を支えるはずの株式が、株価に人質を取られていた。\n\nそこで株価の買い支えが始まった。2000年秋には、ファミリー企業「東亜」が年利約4%で資金を貸す形で幹部社員に自社株を買わせている。半強制的だったと語る元社員がいる。次にファミリー企業自身が「丸武産業」を主な資金源として400億円以上を武富士株の購入に投じた。買いは株価が下がる場面に集中し、市場出来高の9割をファミリー企業が占める日もあった。2002年以降その買いが止まると、今度は武富士本体の自社株買いが増え、2003年11月末までに365億円で580万株を取得している。ただし買い進めれば少数特定者の比率が上がり、上場廃止基準に触れる。支配の維持と上場の維持が、同じ株式をめぐって衝突していた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2000年11月20日に武富士株は前週末比1000円安の7450円でストップ安をつけ、21日も6450円の売り気配で終了した。売り材料はMSCI指数からの除外観測で、浮動株比率は1.7％と極端に低かった",
                "source": "週刊東洋経済 2000/12/2",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2000120200/DCL0101000200012020020001202TKW006/20001202TKW006/backContentsTop",
                "genbun": "2000年11月20日、武富士の株価は前週末比1000円安の7450円でストップ安をつけた。"
              },
              {
                "fact": "武富士は2000年11月2日に新聞報道を受ける形で、1997年に古倉善彦被告から購入した金融商品が架空である可能性を認め、損失処理のため2000年9月中間期に39億円を費用計上した",
                "source": "週刊東洋経済 2000/12/2",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2000120200/DCL0101000200012020020001202TKW006/20001202TKW006/backContentsTop",
                "genbun": "加えて11月2日、1997年に金融ブローカーから購入した金融商品が架空である可能性を認め、9月中間期に39億円を費用計上したことが重なった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "武井一族の4個人とファミリー企業9社が武富士株の66.52％を保有し、共同保有関係から5グループに分かれていた",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "武井一族の4個人とファミリー企業9社が合計66.52%を保有し、それらは共同保有関係から5グループに分かれていた。"
              },
              {
                "fact": "ファミリー企業が武富士株を担保に差し出している先は70社、担保提供株数の合計は8150万株で発行済み株式の57％にあたり、直近株価での資産価値は約4000億円だった",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "2003年末時点で担保提供先は70社、担保提供株数は8150万株と発行済株式の57%に達し、直近株価での資産価値は約4000億円だった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2000年秋、ファミリー企業「東亜」が年利約4％で購入資金を貸す形で社員に自社株を買うよう指示が下された。2001年1月以降はファミリー企業が「丸武産業」を主な資金源に400億円以上を武富士株の購入に投じ、多いときには市場出来高の9割を占める日もあった",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "2000年秋には、ファミリー企業「東亜」が年利約4%で資金を貸す形で幹部社員に自社株を買わせている。"
              },
              {
                "fact": "2002年度以降に武富士本体が大規模な自社株取得枠を設定し、2003年11月末までに365億円をかけ580万株を買い付けた。買い進めると少数特定者の持ち株比率が上がり上場廃止基準に抵触するため、さらに買えるのは発行済株式の3％強・490万株程度とされた",
                "source": "週刊東洋経済 2004/1/10",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2004011000/DCL0101000200401100020040110TKW005/20040110TKW005/backContentsTop",
                "genbun": "2002年以降その買いが止まると、今度は武富士本体の自社株買いが増え、2003年11月末までに365億円で580万株を取得している。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "盗聴事件の摘発と、貸金業規制法が迫った株式の手放し",
          "text": "摘発は労務からきた。2001年4月に大阪で元支店長ら2人が未払い残業代の請求訴訟と労働基準法違反容疑での告発を起こし、2003年1月に大阪労働局が本社を捜索した。武富士は同年、社員と退職者およそ5000人に計35億円の未払い賃金を支払っている。対象者数でも金額でも当時の国内で最大の規模だった。武井保雄氏の指示のもとで支店に置かれた予算は、健晃氏の統括下で達成の圧力に変わり、内規に反する貸付や長時間の残業として現場に沈んでいた。費用の四指標で人件費を13〜14%に抑える規律は、支払われない残業代によっても保たれていたことになる。\n\n2003年11月14日、警視庁は盗聴事件で武富士本社を家宅捜索し、元法務課長ら5人を電気通信事業法違反などの疑いで逮捕した。容疑は2000年12月から翌年2月にかけて、武富士に批判的な記事を書いたフリージャーナリストの自宅に盗聴器を仕掛けたというものである。同年12月、武井保雄会長も同法違反の疑いで逮捕された。当初は関与を否定し、逮捕直前には東京地検に潔白を訴える上申書を提出していたが、勾留7日目に盗聴を指示したと認め、同じ日に会長を退任している。退任は12月8日付だった。2004年11月には懲役3年執行猶予4年の有罪判決を受けている。\n\n有罪は経営権の問題に直結した。貸金業規制法は、禁錮以上の刑が確定した者が実質的に25%超の株式を保有する貸金業者の登録を抹消すると定めている。会社を存続させるには、武井一族が持つ発行済株式の58%の大部分を手放すほかない。この足元を見る形で交渉に臨んだのがゴールドマン・サックスだった。2004年夏に始まった売却交渉で、当初1株1万1500円としていた買い取り価格は1万500円に下がり、次いで8000円、10月17日には市場価格を下回る6500円以下へと切り下げられた。武井保雄前会長はこれを拒み、交渉は破談に終わっている。三井住友銀行と組んだ総額1兆9000億円規模の敵対的買収が取り沙汰されたが、実現しなかった。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "武井保雄",
              "role": "逮捕後の自白（当時・武富士前会長）",
              "date": "2003-12",
              "text": "一連の盗聴についてはすべて私が指示したものであり、私に全責任があります。",
              "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2001年4月に大阪で元支店長ら元社員2人が未払い残業代請求訴訟と労働基準法違反容疑での告発を起こし、2003年1月に大阪労働局が武富士本社を捜索、同社と役員2人を割増賃金未払いなどの容疑で書類送検した（9月に起訴猶予処分）。武富士は2003年に社員と退職者約5000人へ計35億円の未払い賃金を支払い、対象者数・金額とも国内史上最大だった",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "武富士は同年、社員と退職者およそ5000人に計35億円の未払い賃金を支払っている。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2003年11月14日に警視庁が武富士本社を家宅捜索し、中川一博・元法務課長、小滝国男・元専務、探偵会社代表ら5人を電気通信事業法違反および同幇助の疑いで逮捕した。容疑は2000年12月から翌年2月にかけて武富士に批判的な記事を書いたフリージャーナリストの自宅に盗聴器を仕掛け電話を盗聴したこと",
                "source": "週刊東洋経済 2003/11/29",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003112900/DCL0101000200311290020031129TKW004/20031129TKW004/backContentsTop",
                "genbun": "2003年11月14日、警視庁は盗聴事件で武富士本社を家宅捜索し、元法務課長ら5人を電気通信事業法違反などの疑いで逮捕した。"
              },
              {
                "fact": "武井保雄氏は電気通信事業法違反容疑で逮捕され、勾留7日目に「一連の盗聴についてはすべて私が指示したものであり、私に全責任があります」と自白を始め、その日のうちに会長職を退任した（12月8日付）。逮捕直前の11月28日には東京地検に潔白を訴える上申書を提出していた",
                "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "当初は関与を否定し、逮捕直前には東京地検に潔白を訴える上申書を提出していたが、勾留7日目に盗聴を指示したと認め、同じ日に会長を退任している。"
              },
              {
                "fact": "武井保雄氏は2004年11月に懲役3年執行猶予4年の有罪判決を受けた",
                "source": "日経クロステック 2015/5/14",
                "url": "https://xtech.nikkei.com/it/atcl/column/15/200088/051400036/",
                "genbun": "2004年11月には懲役3年執行猶予4年の有罪判決を受けている。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "貸金業規制法は禁錮以上の刑が確定した人物が実質的に25％超の株式を保有している貸金業者の登録を抹消すると規定しており、武富士を存続させるには武井元会長やファミリー企業が持つ発行済株式数の58％の大部分の売却が不可避だった",
                "source": "週刊東洋経済 2004/11/6",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2004110600/DCL0101000200411060020041106TKW003/20041106TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "会社を存続させるには、武井一族が持つ発行済株式の58%の大部分を手放すほかない。"
              },
              {
                "fact": "ゴールドマン・サックスは当初1株1万1500円の買い取り価格を提示したが、10月に1万500円へ、次いで8000円へ引き下げ、10月17日には市場価格より低い6500円以下を提示した。武井元会長はこれを拒否し交渉は実質的に破談した。買収資金は1兆9000億円規模で、三井住友銀行が共同戦線を張るとされた",
                "source": "週刊東洋経済 2004/11/6",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2004110600/DCL0101000200411060020041106TKW003/20041106TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "2004年夏に始まった売却交渉で、当初1株1万1500円としていた買い取り価格は1万500円に下がり、次いで8000円、10月17日には市場価格を下回る6500円以下へと切り下げられた。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2006,
      "end_year": 2017,
      "main_title": "過払い金という遡及債務——過去に受け取った利息が返済義務に変わるまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "最高裁と改正貸金業法が消したグレーゾーン金利",
          "text": "2006年1月、最高裁は利息制限法の上限を超える利息の受領を有効とする「みなし弁済」の成立を事実上否定する判断を示した。同年12月には改正貸金業法が成立し、出資法の上限金利引き下げと総量規制の導入が決まっている。消費者金融の収益は、利息制限法の上限と出資法の上限に挟まれた金利帯に依存していた。この帯が閉じられた影響は、将来の利ざやが薄くなることにとどまらない。すでに受け取った利息を借り手へ返す義務が過去に遡って生じ、貸出のたびに積み上げてきた利益が債務へ組み替えられた。2006年8月には創業者の武井保雄氏が死去している。76歳だった。\n\n数字に現れた衝撃は大きい。2007年3月期の営業収益は3289億円と前期の3513億円から6%減にとどまったのに対し、経常損益は922億円の黒字から1638億円の赤字へ転じ、当期純損益は469億円の黒字から4813億円の赤字となった。純資産は9736億円から4575億円へ半減している。本業の売上が1割も減らないうちに、5000億円近い損失が計上された理由は、過払い利息の返還に備える引当が一度に立ったことにある。この会社が23年かけて積み上げた資本の半分が、法解釈の変更によって1期で消えた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "最高裁は2006年1月13日の第二小法廷判決で、期限の利益喪失特約のもとでの支払いは特段の事情がない限り任意の支払いにあたらないとして、貸金業法43条のみなし弁済の成立を事実上否定した",
                "source": "最高裁判所第二小法廷判決 2006/1/13",
                "url": null,
                "genbun": "2006年1月、最高裁は利息制限法の上限を超える利息の受領を有効とする「みなし弁済」の成立を事実上否定する判断を示した。"
              },
              {
                "fact": "消費者金融業界は上限金利の引き下げや総量規制の導入を含んだ改正貸金業法の完全施行を迎え、利息返還請求の件数が高水準で推移した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "同年12月には改正貸金業法が成立し、出資法の上限金利引き下げと総量規制の導入が決まっている。"
              },
              {
                "fact": "創業者の武井保雄氏は2006年8月10日に肝不全のため76歳で死去した",
                "source": "日経クロステック 2015/5/14",
                "url": "https://xtech.nikkei.com/it/atcl/column/15/200088/051400036/",
                "genbun": "2006年8月には創業者の武井保雄氏が死去している。76歳だった。"
              }
            ],
            []
          ]
        },
        {
          "title": "縮む本業と、証券化商品で失った300億円",
          "text": "損失は制度の側からだけ来たのではない。2007年5月、武富士はメリルリンチ日本証券をアレンジャーとして、2002年6月に発行した15年物社債を貸借対照表から落とす取引を行った。発行額と同じ300億円を信託に設定し、社債の表面利率を上回る配当を得て負債と資産を相殺する仕組みである。得られる利益は金利負担の軽減にとどまるはずだった。ところが資金はSIVが発行する担保債券を経てレバレッジ15倍のCPDOへ投じられ、サブプライム危機で担保債券とCPDOの双方が急落した。2008年2月に財務制限条項へ抵触し、拠出した元本300億円の大半を失う見通しとなっている。\n\n本業の縮小も続いた。営業収益は2006年3月期の3513億円から、2008年3月期2705億円、2009年3月期1863億円、2010年3月期1203億円へと4年で3分の1になっている。2009年3月期には再び2561億円の当期純損失を計上し、純資産は1495億円まで落ちた。総資産も2002年3月期の2兆171億円から2010年3月期の6869億円へ縮んでいる。武富士は2008年10月に新ブランド「benecere」を立ち上げ、2009年9月には8支社を5支社へ、8管理センターを6管理センターへ集約した。総量規制のもとで貸出を増やせない以上、残された手は費用を削ることに限られていた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2007年5月に武富士がメリルリンチ日本証券をアレンジャーとして行ったディフィーザンス取引で、2002年6月発行の15年物社債（表面利率4％）と同額の300億円を信託設定した。資金はSIV発行の担保債券を経てレバレッジ15倍のCPDOに投資され、2008年2月に「元本の10％以下まで時価が下がった場合」という財務制限条項に抵触、取引解消により元本300億円のほとんどが失われる見通しとなった",
                "source": "週刊東洋経済 2008/3/15",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2008031500/DCL0101000200803150020080315TKW018/20080315TKW018/backContentsTop",
                "genbun": "2008年2月に財務制限条項へ抵触し、拠出した元本300億円の大半を失う見通しとなっている。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2008年10月に新ブランド「benecere（ベネシア）」を立ち上げ、2009年9月に8支社から5支社へ、8管理センターから6管理センターへ拠点を集約した",
                "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
                "url": null,
                "genbun": "武富士は2008年10月に新ブランド「benecere」を立ち上げ、2009年9月には8支社を5支社へ、8管理センターを6管理センターへ集約した。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "会社更生法の申請から清算結了までの七年",
          "text": "2010年9月28日、武富士は東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請し、受理された。負債総額は4336億円、発行していた926億円の社債は債務不履行となった。決算の数字だけを見れば、この時点で本業が回らなくなっていたわけではない。2010年3月期は営業収益1203億円に対して経常利益332億円、当期純利益46億円を計上し、営業キャッシュフローも1090億円の入超だった。申請の直前まで黒字だった会社が突然に法的整理へ向かったため、当時の報道は「なぜ、今なのか」という問いを繰り返している。\n\n資金繰りの逼迫そのものは事実だった。2010年に入って保有不動産やローン債権の売却で凌ぎ、8月末時点で利息返還の未払いは1713億円まで積み上がっていた。翌年4月には6億4500万ドルのグローバル債の償還も控えている。ただし償還期日は申請の4カ月以上先で、西新宿の本社ビルや4000億円規模のローン債権という売却余地も残っていた。保全管財人は、潜在的な過払い利息の返還請求者を100万人から200万人、金額を1兆円から2兆円と見込んでいる。返せる額をはるかに超える請求が控えている以上、資産を切り売りして時間を稼いでも到達点は変わらない。更生手続に入れば返還金は大幅に削られ、社債は不履行となり、株式は100%減資で無価値になる。\n\n会社更生手続の開始により、2010年10月に東京証券取引所市場第一部の上場が廃止された。2011年10月に東京地裁が更生計画を認可し、2012年3月1日、会社分割によって消費者金融事業はJトラストの子会社へ移った。取得額は252億円で、残された法人は商号をTFK株式会社に変更している。TFKは更生手続と清算のための会社となり、2017年3月に清算が結了して法人格が消滅した。創業から数えて51年、株式公開から21年である。銀行が貸さない層へ貸すという需要が消えたわけではなく、同じ業態の会社は銀行の傘下で営業を続けている。失われたのは事業そのものではなく、それを高い金利と一族の資本だけで支える形のほうだった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2010年9月28日に武富士は東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請し受理された。負債総額は4336億円、合計926億円の社債は債務不履行となった",
                "source": "週刊東洋経済 2010/10/9",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2010100900/DCL0101000201010090020101009TKW003/20101009TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "2010年9月28日、武富士は東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請し、受理された。負債総額は4336億円、発行していた926億円の社債は債務不履行となった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2010年8月末時点で利息返還の未払い額は1713億円まで積み上がり、2011年4月にはグローバル債6億4500万ドルの償還を控えていた。保全管財人の小畑英一弁護士は潜在的な過払い利息返還請求者を「100万〜200万人で、1兆〜2兆円と予想される」とし、更生手続の結果、返還金の大幅カットが余儀なくされ、社債はデフォルト、株式は100％減資で紙くずとなるとされた",
                "source": "週刊東洋経済 2010/10/9",
                "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2010100900/DCL0101000201010090020101009TKW003/20101009TKW003/backContentsTop",
                "genbun": "保全管財人は、潜在的な過払い利息の返還請求者を100万人から200万人、金額を1兆円から2兆円と見込んでいる。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "Jトラストは252億円で武富士の消費者金融事業を取得し、2012年3月1日に会社分割の方式で子会社へ移した",
                "source": "日本経済新聞 2012/3/1",
                "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXNASGC0100N_R00C12A3EE2000/",
                "genbun": "2011年10月に東京地裁が更生計画を認可し、2012年3月1日、会社分割によって消費者金融事業はJトラストの子会社へ移った。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ1966年に板橋で始めた小口の金貸しが、業界首位の消費者金融になったのか",
        "a": "銀行は担保も保証人も取らずに小額を貸さず、従業員30人以下の企業に勤める人が全労働者の7割を占めていた。この層はどこからも借りられないまま残っており、武井保雄氏は1966年1月、東京都板橋区でその需要を引き受けた。強みは金利の高さではなく費用の管理にある。広告宣伝費を営業収益の5%以内、人件費を13〜14%に抑え、給料の差し押さえのような取り立てを避けることで、評判の悪化と広告費の増加をまとめて防いだ。1990年代末には経常利益1696億円を計上している。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "武井保雄氏は「日本の全労働者のうち、従業員数が三〇人以下の企業に勤めている人の割合は七〇％前後で、これは私がこの業界に入ってからあまり変わっていない。こういう層には銀行はなかなかカネを貸さない。ここに武富士の存在価値があります」と述べた",
            "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
            "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
            "genbun": "銀行は担保も保証人も取らずに小額を貸さず、従業員30人以下の企業に勤める人が全労働者の7割を占めていた。"
          },
          {
            "fact": "武井保雄氏は1966年1月に東京都板橋区で個人向け金融の貸出業務を開始し、1974年11月に株式会社武富士商事を設立した",
            "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
            "url": null,
            "genbun": "この層はどこからも借りられないまま残っており、武井保雄氏は1966年1月、東京都板橋区でその需要を引き受けた。"
          },
          {
            "fact": "武井保雄氏は広告宣伝費・人件費・調達金利・貸し倒れの四つを重要な指標とし、広告宣伝費は営業収益の5%以内、人件費は13〜14%程度に抑えると述べた。同業に広告宣伝費を15%使う会社がある理由を、給料の差し押さえのような回収をすればイメージが落ちて広告費が高くつくためと説明した",
            "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
            "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
            "genbun": "広告宣伝費を営業収益の5%以内、人件費を13〜14%に抑え、給料の差し押さえのような取り立てを避けることで、評判の悪化と広告費の増加をまとめて防いだ。"
          },
          {
            "fact": "1999年3月期の経常利益は1696億円で、時価総額は都銀中堅のさくら銀行・東海銀行に迫った",
            "source": "週刊東洋経済 1999/4/3",
            "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/1999040300/DCL0101000219990403001999040304/1999040304/backContentsTop",
            "genbun": "1990年代末には経常利益1696億円を計上している。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ2000年に創業者が自ら社長へ復帰し、一族の資本支配を固めたのか",
        "a": "一族の支配は株価に支えられていた。武井一族の4個人とファミリー企業9社は発行済株式の66.52%を保有していたが、その大半を借入の担保に差し入れており、株価が下がれば追加担保を求められ、応じられなければ株そのものを失う。支配を保つには高い株価が要る。武井保雄氏は2000年6月に社長へ復帰し、長男を専務、次男を常務へ引き上げた。前年の連結ROEは20.2%であり、高い実績があるからこそ同族の経営が許される関係にあった。継承を進めるほど、集権を強めるほかなかった。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "武井一族の4個人とファミリー企業9社が武富士株の66.52％を保有し、担保提供株数は発行済み株式の57％にあたる8150万株にのぼった。株価下落が続けば担保権が行使され、保有株が散逸するリスクがあった",
            "source": "週刊東洋経済 2003/12/20",
            "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2003122000/DCL0101000200312200020031220TKW003/20031220TKW003/backContentsTop",
            "genbun": "武井一族の4個人とファミリー企業9社は発行済株式の66.52%を保有していたが、その大半を借入の担保に差し入れており、株価が下がれば追加担保を求められ、応じられなければ株そのものを失う。"
          },
          {
            "fact": "池田正人社長が2000年6月29日付で退任し、武井保雄会長が社長を兼務した。長男の武井俊樹常務が専務に、次男の武井健晃取締役が常務に昇格した",
            "source": "週刊東洋経済 2000/6/24",
            "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2000062400/DCL0101000200006240020000624008/20000624008/backContentsTop",
            "genbun": "武井保雄氏は2000年6月に社長へ復帰し、長男を専務、次男を常務へ引き上げた。"
          },
          {
            "fact": "武富士の連結ROEは20.2％と大手企業としては突出して高く、ファミリー経営が許されるのは高い実績があればこそだった",
            "source": "週刊東洋経済 2000/6/24",
            "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2000062400/DCL0101000200006240020000624008/20000624008/backContentsTop",
            "genbun": "前年の連結ROEは20.2%であり、高い実績があるからこそ同族の経営が許される関係にあった。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ2010年に、黒字のまま会社更生法を申請したのか",
        "a": "過払い利息の返還は将来の利益が減る話ではなく、すでに受け取った利息を返す債務にあたる。そのため本業が黒字でも支払い切れない。武富士が会社更生法の適用を申請したのは2010年9月28日で、その直前の通期は当期純利益46億円と営業キャッシュフロー1090億円の入超を計上していた。それでも保全管財人は、潜在的な返還請求者を100万人から200万人、金額を1兆円から2兆円と見込んでいる。当時の純資産では到底届かず、資産を売って時間を稼いでも行き着く先は変わらなかった。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "2010年3月期の当期純利益は4,577百万円、営業キャッシュフローは109,005百万円の入超だった",
            "source": "有価証券報告書（第43期・2010年6月30日提出）",
            "url": null,
            "genbun": "武富士が会社更生法の適用を申請したのは2010年9月28日で、その直前の通期は当期純利益46億円と営業キャッシュフロー1090億円の入超を計上していた。"
          },
          {
            "fact": "保全管財人の小畑英一弁護士は潜在的な過払い利息返還請求者を「100万〜200万人で、1兆〜2兆円と予想される」とした。武富士は2010年9月28日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請し、負債総額は4336億円だった",
            "source": "週刊東洋経済 2010/10/9",
            "url": "https://dcl.toyokeizai.net/ap/textView/init/toyo/2010100900/DCL0101000201010090020101009TKW003/20101009TKW003/backContentsTop",
            "genbun": "それでも保全管財人は、潜在的な返還請求者を100万人から200万人、金額を1兆円から2兆円と見込んでいる。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
