ペンタックスHOYAとの合併撤回と社長解職、TOBの受諾

一眼レフのヒットを根拠に単独で残るか、時価総額1000億円弱の会社として統合に応じるか

時期 2007年4月
意思決定者(推定) 綿貫宜司氏・ペンタックス取締役会 ペンタックス 社長
論点 経営統合の可否と経営体制
概要
2007年4月、ペンタックスの臨時取締役会が浦野文男社長を解職し、前年12月にHOYAと合意していた合併を撤回した経営判断。新経営陣は単独存続を模索したものの、1か月余りのちに綿貫宜司社長がHOYAの鈴木洋CEOへTOBの受諾を伝え、2008年3月の吸収合併と上場廃止に至った。
背景
デジタル一眼レフでのペンタックスのシェアは5%前後にとどまり、カメラから撤退したコニカミノルタと変わらない規模であった。一方で「K100D」「K10D」がヒットし、2007年3月期は連結売上高1,573億円、当期純利益36億円まで戻していた。
内容
2007年4月10日朝の臨時取締役会で、8人いる取締役の1人が解職動議を出し、賛成多数で浦野社長と森勝雄専務が解職された。新経営陣は5月11日に中核3事業への集中を掲げた中期経営計画を示したが、その5日後にTOBの受諾を伝えた。
含意
製品の競争力を根拠にした単独存続の主張は、規模の前で通らなかった。ペンタックスの時価総額1000億円弱はHOYAが年間に稼ぐ営業利益にも満たず、株式の20%超を握るスパークス・グループの運用資産は1兆7000億円に上っていた。
筆者の見解

製品では、会社の大きさは変わらない

単独で生き残れるという主張には、根拠があった。「K100D」と「K10D」は空前の売れ行きで、2002年3月期に50億円の純損失を出した会社が2007年3月期には純利益36億円まで戻していた。カメラ事業の売却に触れたHOYAに抗い、一眼レフを自社に残そうとした取締役会の判断は、製品の競争力という事実に立っている。誤算は、製品が売れても会社の大きさは変わらないところにあった。

時価総額1000億円弱という規模が、その先を決めた。HOYAが年間に稼ぐ営業利益にも満たない会社が、運用資産1兆7000億円のスパークスと2割超の株式を挟んで向き合っていた。ただ、綿貫社長らを追い込んだのは外の力だけではない。合併発表の当日朝まで大半の取締役に交渉を伏せた進め方が社内の不信を招き、その反動で立てた単独路線は、覚書に縛られた中期経営計画として新味を欠いた。閉じた交渉が反乱を呼び、会社の小ささがその帰結を決めた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

評価の高い製品と、小さなシェア

デジタルカメラ市場は1995年から急拡大し、2004年度には前年比約38%増の5,976万台を出荷した。だが世帯普及率が高まると2005年度は約8%増にとどまる。その手前の2004年度決算では、需要予測を誤って在庫を抱えたペンタックスが、オリンパスや富士写真フイルムとともに赤字に落ちている。銀塩の時代に強みだった光学とメカトロだけでは足りず、CCDや液晶、画像処理エンジンを外から買う構造も、下位メーカーの採算を重くした[1][2]

収益性の高いデジタル一眼レフでの位置はさらに厳しかった。ペンタックスとオリンパスのシェアはそれぞれ5%前後で、カメラ事業から撤退したコニカミノルタと変わらない規模しかない。ペンタックスは2005年10月に韓国サムスン電子傘下のサムスンテックウィンと提携し、部品調達の不利を埋めにかかる。開発拠点にサムスンの技術者が常駐するなかで、上級執行役員の鳥越興氏は「コアの光学の部分は守っている」と語った[3][4]

ヒットのさなかに決まった経営統合

2006年後半、社内は新製品のヒットに沸いていた。手ぶれ補正を本体に内蔵した「K100D」に続き、同年末には上位機の「K10D」が出て、いずれも空前の売れ行きとなる。2002年3月期に50億円の当期純損失を計上した会社が、2007年3月期には連結売上高1,573億円、経常利益51億円、当期純利益36億円まで戻した。従業員は5,723人。数字の上では、製品の力で立ち直っていた[5][6]

統合の話は、その好調と並んで進んだ。2006年12月、両社は2007年10月に合併すると発表する。ゴールドマン・サックス証券の堀江伸アナリストが「営業利益率30%をたたき出すHOYAと、光学技術で定評のペンタックスは理想的な組み合わせ」と述べたように、市場の受けはよかった。ただし合併比率には大株主のスパークス・グループとフィデリティ投信が不満を持ち、浦野文男社長は発表当日の朝まで、大半の取締役に交渉の事実を知らせていなかった[7][8]

決断

4月10日、8人の取締役会

反対派が動いたのは2007年4月4日であった。合併の最終契約を約半月後に控え、一部の取締役が合併への反対と浦野社長の解職を臨時取締役会に提案する。10日朝8時半、8人いる取締役の1人が解職動議を提出し、賛成多数で可決された。浦野社長と歩調を合わせていた森勝雄専務も職を解かれ、末席取締役であった綿貫宜司氏が社長へ昇格した。合併も、あわせて撤回された[9][10]

解職の理由として新経営陣が挙げたのは、意思決定の閉じ方であった。10日夕方の会見で綿貫氏らは「開かれた経営がなされていなかった」と述べ、統合交渉が社内に伏せられたまま進んだ点を批判する。解職された浦野前社長は同じ日の夜、自宅前の取材に「3月末まで取締役一丸となり合併作業を進めていた。解職された理由がさっぱりわからない」と答え、反対派4人の背後には創業一族出身の松本徹元社長の義弟にあたる岡本育三常務がいると名指しした[11][12][13]

「単独でも生き残れる」の中身

危機感の源は、カメラを失うおそれにあった。2007年1月末、HOYAの鈴木洋CEOは収益性の低いペンタックスのカメラ事業を売却する可能性に触れる。社内が「K10D」の売れ行きに沸いていた時期と重なり、HOYAの強硬な出方への不満が噴き出した。経営陣の間には「単独でも生き残れる」との観測が浮かび、綿貫氏は会見で「2001年ごろの最悪期と違い、今の成長過程では(合併以外の)選択肢もあるはず」と語った[14][15][16]

単独路線の中身は、5月11日の本決算発表にあわせて示された。中期経営計画は中核3事業への集中を掲げ、「必達営業利益率」を再来年度に6%近くまで引き上げるとした。ただしHOYAとの覚書に縛られたまま練った計画は、新味を欠いた。主力銀行出身の三橋信一郎常務は「こんな拘束力の強い基本合意契約はない」と覚書を批判し、期限後の「6月1日から協議を仕切り直せばいい」と、有利な条件を引き出すため時間切れをねらう本心を隠さなかった[17][18][19]

結果

1か月余りで反転した単独路線

HOYAと大株主は、逆に手を早めた。HOYAは4月23日、10月に予定していた合併の断念を発表し、5月末までを検討の猶予としたうえで6月以降の友好的TOBをめざすと表明する。ペンタックス株を20%超持つ筆頭株主のスパークス・グループは、解職された浦野前社長らを取締役に残し、現経営陣の続投を認めない株主提案を6月22日の株主総会に向けて出した。中期経営計画の発表後には、HOYA首脳が敵対的買収も示唆している[20][21][22][23]

決着は早かった。5月16日の昼過ぎ、綿貫社長は都内でHOYAの鈴木洋CEOと会い、経営統合を受諾すると伝えた。解職から1か月余りであった。ペンタックスの時価総額は1000億円弱で、HOYAが年間に稼ぐ営業利益にも満たず、スパークスの運用資産は1兆7000億円に上る。8月にTOBが成立して同社はHOYAの連結子会社となり、2008年3月に吸収合併されて上場廃止となった[24][25][26][27]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2007年4月21日号「内紛 実力社長を解職 ペンタックス 「4月革命」の次」
  • 週刊東洋経済 2007年5月12日号「精密ペンタックス内紛問題 5月11日が焦点に」
  • 週刊東洋経済 2007年5月26日号「精密 内紛のペンタックスがHOYAのTOB受諾」
  • 週刊東洋経済 2007年6月9日号「新興企業ウォッチ スパークス・グループ 上場5年6カ月 ペンタックス問題で一躍注目の存在に」
  • 週刊東洋経済 2006年7月22日号「激震するデジタル一眼レフ戦線 迎え撃つキヤノン、ニコンの勝算 オリンパス、ペンタックスの苦悩」
  • 週刊東洋経済 2006年2月11日号「成長鈍化のデジカメ苦しい老舗メーカー “一眼レフ”が買収対象」
  • 週刊東洋経済 2011年7月16日号「ペンタックス身売りで終わらない“再編ドミノ”」
  • ペンタックス 有価証券報告書(2007年3月期・連結)
  • HOYA株式会社 有価証券報告書

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