この統合の核にあるのは、縮小する国内損保市場のなかで、単独では守り切れない規模をどう確保するかという問いであった。先行するMSI3社の統合が3位への転落を突きつけた以上、損保ジャパンにとって日本興亜との連合は、退路の乏しい選択だったとみられる。ただ、その連合を対等の枠組みで統合した設計は、承認をまとめる求心力になった半面、二つの事業会社を残す構図をそのまま制度化した。規模を得る論理と、対等を保つ体面とは、当初から同じ方向を向いていたとは言い難い。
その後の歩みは、対等への配慮が支払った時間の代償を映している。事業会社の統合が4年余り後ずれし、初年度からの赤字と外的ショックが重なったことは、二つの体制を並存させた選択の重さを示していた。過渡期ブランドのNKSJはやがて損保ジャパン日本興亜を経てSOMPOへと改められ、統合で生んだ資源はエンデュランス買収など海外M&Aへ向かっていく。2009年の判断は、規模の確保という当面の答えであると同時に、その後のSOMPOが背負う統合コストと成長戦略をあらかじめ形づくる一歩でもあったと推察される。