損保ジャパンと日本興亜損保の経営統合とNKSJホールディングス設立

業界第2次再編の号砲のなか、3位転落を避ける「対等の統合」はどこまで実を結んだか

更新:

時期 2009年3月
意思決定者 佐藤正敏(損保ジャパン社長)・兵頭誠 日本興亜損保社長
論点 業界再編下の規模確保と持株会社統合
概要
2009年3月、業界3位の損保ジャパンと同5位の日本興亜損害保険が、2010年4月に共同持株会社を設立する経営統合を発表し、2010年4月に共同株式移転でNKSJホールディングスを設立した経営判断。共同CEO制を敷く「対等の統合」であり、同日発足のMS&AD、既存の東京海上ホールディングスと合わせ、国内損保は3メガ体制へ移行した。
背景
2000〜02年の第1次再編で主要15社が6社に集約された後も、自動車保険を軸に国内市場は縮小し、不払い問題への対応やシステム投資の負担が重くのしかかっていた。2009年1月に三井住友海上ら3社の統合が表面化すると、2強に離された3位に後退する損保ジャパンは対抗策を迫られた。
内容
共同株式移転で両社を完全子会社とする持株会社を設立し、共同CEO制で対等性を前面に出した。システム費用を2〜3割削減して生まれる資源を海外事業へ振り向ける青写真を描いた。一方、日本興亜では筆頭株主の米ファンドと退任したOB株主が統合に反発し、12月の臨時株主総会まで承認は綱渡りとなった。
含意
2ブランドを残した「対等の統合」は、承認をまとめた反面、本丸である損保事業会社の合併を2014年9月まで後ずれさせ、統合効果の発現を遅らせた。過渡期ブランドのNKSJはやがてSOMPOへと改められ、海外M&Aを軸とする成長戦略へつながっていった。
筆者の見解

対等という体面と、規模という現実

この統合の核にあるのは、縮小する国内損保市場のなかで、単独では守り切れない規模をどう確保するかという問いであった。先行するMSI3社の統合が3位への転落を突きつけた以上、損保ジャパンにとって日本興亜との連合は、退路の乏しい選択だったとみることができる。ただ、その連合を対等の枠組みで束ねた設計は、承認をまとめる求心力になった半面、二つの事業会社を残す構図をそのまま制度化した。規模を得る論理と、対等を保つ体面とは、当初から同じ方向を向いていたとは言い難い。

その後の歩みは、対等への配慮が支払った時間の代償を映している。事業会社の統合が4年余り後ずれし、初年度からの赤字と外的ショックが重なったことは、二つの体制を並存させた選択の重さを示していた。過渡期ブランドのNKSJはやがて損保ジャパン日本興亜を経てSOMPOへと改められ、統合で生んだ資源はエンデュランス買収など海外M&Aへ向かっていく。2009年の判断は、規模の確保という当面の答えであると同時に、その後のSOMPOが背負う統合コストと成長戦略をあらかじめ形づくる一歩でもあったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

損保業界を襲った第2次再編の号砲

2000〜02年の第1次再編で、主要15社ともいわれた損害保険会社は主要6社に収斂していた。だが、収束したはずの業界には構造的な逆風が残っていた。収入保険料の5割前後を占める自動車保険は、消費者の車離れで2007年度に保有台数が戦後初めて減少へ転じ、翌年のガソリン高騰が拍車をかけた。火災保険も新設住宅着工の下降が続き、保険料の減退は景気の浮沈にとどまらない構造問題であった。加えて不払い問題への対応でシステム強化費用が急増し、本業の儲けを示す保険引受利益は軒並み赤字に沈んでいた[1]

号砲を放ったのは、業界2位の三井住友海上グループホールディングス、あいおい損害保険、ニッセイ同和損害保険の3社であった。2009年1月、3社は2010年4月の経営統合を目指して本格協議に入り、実現すれば正味収入保険料で国内最大手が生まれる構図となった。この動きにより、上場損保で再編に絡んでいなかった損保ジャパンは、2強に大きく引き離された3位へ後退した。市場環境の悪化が避けられないなかで手をこまぬけば縮小均衡は避けがたく、損保ジャパンは持株会社構想を含む対抗策を迫られた[2]

損保ジャパンと日本興亜という組み合わせ

損保ジャパンと日本興亜損保は、いずれも第1次再編を経て成立した会社であった。損保ジャパンは旧安田火災海上などを、日本興亜損保は旧日本火災・興亜火災などを母体とし、2001〜02年に旧6社が両社へ集約された経緯を持つ。両社が統合すれば、国内での本業の儲けを示す正味収入保険料は約2兆円となり、東京海上ホールディングスやMSI連合とも肩を並べる規模に届いた。数の面では、3メガの一角を占めるだけの重みがそこにあった[3][4]

ただし、規模と収益力は別であった。収益力に直結する損害率で見ると、東京海上ホールディングスが60%弱、MSI3社が61%弱にとどまるのに対し、損保ジャパンは64%弱、日本興亜は65%弱と相対的に高く、収益の面では両社とも見劣りした。しかも、この組み合わせには先行する3社統合のような明確な収益拡大策が見えにくかった。追随する形で統合を決めた両社が、どこに新たな稼ぎ手を求めるかは、発表の時点でなお描き切れていなかったとみられる[5]

決断

対等の持株会社という設計

2009年3月、損保ジャパンと日本興亜損保は経営統合を発表した。2010年4月に共同持株会社を設立し、両社はその完全子会社となる。持株会社には共同最高経営責任者制度を導入するなど、対等の統合であることが強調された。損保ジャパンの佐藤正敏社長は会見で、先行する三井住友海上らの3社統合が「弾みとなったことは間違いない」とも認めた。相次ぐ大型統合により、国内損保市場は東京海上ホールディングスを含む3メガ損保の寡占へ向かう構図が固まった[6]

統合の実利は、まずコストの削減に置かれた。両社は事務の共通化などでシステム費用を2〜3割削減し、そこから捻出した経営資源を海外事業へ振り向ける青写真を描いた。もっとも、両社がこれまで海外展開で業界内の優位を発揮してきたわけではない。将来の2社合併は視野に入れず、バックオフィスを共有しても、フロントオフィスの独立性にこだわるかぎり統合効果は限られるとの見方も同時に出ていた。対等であることと、統合の果実を最大化することのあいだには、はじめから緊張がはらまれていた[7]

承認を阻んだ大株主とOBの反発

対等の設計は、日本興亜の内部で予期せぬ抵抗に遭った。2009年6月25日の株主総会は、兵頭誠社長と、その兵頭社長を後継に指名した松澤建前社長との対決で大荒れとなった。松澤前社長は将来の合併方針をただし、兵頭社長は「今は自主独立、対等でやっていこうと決めています」と応じたが、やり取りは個人攻撃の応酬にまで及んだ。実質筆頭株主である米投資ファンドのサウスイースタン・アセット・マネジメントは日本興亜株の約17%を保有し、前年に続いて兵頭社長の再任に反対する意向を示していた[8]

対決は年末へ持ち越された。両社は2009年10月30日に株式移転計画を発表し、2014年度に500億円のコスト削減効果を見込む事業計画も示した。だが経営統合は株主の3分の2以上の賛同を得なければ承認されず、約17%を握るサウスイースタンの動きが大きなカギを握った。同月にはOB株主6名が兵頭社長ら取締役の解任を臨時株主総会へ株主提案し、松澤前社長と親密とされる地方銀行や化学メーカーなど一部株主が反対や棄権に回れば、3分の2に届かない可能性も残った。12月22日の臨時総会は、波乱含みの関所となった[9]

結果

NKSJ発足と3メガ体制、そして赤字スタート

12月の臨時総会は統合を承認し、2010年4月1日、損保ジャパンと日本興亜損保は共同株式移転でNKSJホールディングスを設立、同日に東京証券取引所と大阪証券取引所の一部へ上場した。初代社長には旧損保ジャパン出身の佐藤正敏氏が就いた。三井住友海上ら3社が統合したMS&ADも同じ4月に発足し、損保業界は東京海上グループとともに3メガ体制へ移行した。第1次再編からほぼ10年を経た第2次再編は、こうして国内の勢力図を塗り替えた[10][11]

だが、船出は順風ではなかった。統合初年度の2011年3月期は経常収益2兆6,216億円に対して当期純損失129億円を計上し、翌2012年3月期はタイ洪水と東日本大震災に伴う保険金支払いが重なって純損失923億円まで膨らんだ。両社のシステム・商品・代理店網は別々のまま運用されており、収益基盤が外的ショックに耐え切れなかった。同時期発足のMS&ADも初年度は赤字だったが、NKSJ側は2期連続の純損失となり、市場には統合の遅さへの懸念が広がったとみられる[12]

2ブランドの維持と、後ずれした統合

NKSJは、損保ジャパンと日本興亜損保という二つの事業会社を別々に残したまま、持株会社のもとで両社を束ねる構図を選んだ。機能別のグループ再々編を視野に入れたMS&ADと異なり、NKSJは2ブランド体制を維持する方針を掲げ、両グループの将来戦略は明確に分かれた。統合に伴う一時コストは今後5年間で約600億円(うち新共通システム費用が約540億円)を見込み、新システムの本格稼働は2014年度を予定した。当面は投資負担が先行し、シナジーの発現は後ろへずれ込む構図であった[13]

事業会社の一本化は、さらに時間を要した。生命保険子会社の合併は2011年10月に先行したが、本丸の損保事業会社が「損害保険ジャパン日本興亜」として一体化したのは2014年9月で、持株会社の設立から4年4か月後であった。自動車保険の契約システムや損害調査の拠点網、商品設計の体系までが旧2社別々のまま維持され、合併直後の4年間は規模の効果を収益へ落とし込めない構造が続いた。「対等」の体面を守る要請が、商品・システム・人事の統合をめぐる意思決定を引き延ばした事情がうかがえる[14]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2009年3月14日号「損保大波乱 三井住友海上、あいおい、ニッセイ同和 経営統合へ」
  • 週刊東洋経済 2009年3月28日号「損保ジャパン・日本興亜 業界大再編が一気に加速」
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「大株主、OBが批判 揺れる日本興亜」
  • 週刊東洋経済 2009年11月14日号「保険統合大詰めの日本興亜 波乱含みの12月総会」
  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「再々編でも道半ば 世界水準の厚い壁」
  • SOMPOホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • NKSJホールディングス 有価証券報告書(連結)

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