三菱財閥が海軍の要請で設立した日本光学は、軍需光学機器の独占的供給者として急速に規模を拡大し、終戦時には2万5000名を擁する巨大企業となった。しかし軍需100%という事業構造は、終戦と同時に全需要を喪失する脆弱性を内包していた。光学ガラスの量産に10年を要したことが示すように、…
ニコンのステッパーは社内傍流の特機部門から着想され、光学ガラスと精密位置決めの技術蓄積を活かして急速に事業化された。日本の半導体メーカーとの緊密な協業関係を基盤に開発3年で売上100億円を突破したが、この国内顧客依存の構造は、1990年代以降の半導体産業の地理的シフトに対して脆弱…
ニコンは熊谷製作所の新設と継続的な研究開発投資により、1998年頃まで世界シェア1位を維持した。しかしその競争力は日本の半導体メーカーとの緊密な協業関係に依存しており、半導体産業の重心が台湾・韓国にシフトした局面で、国内顧客基盤という強みが構造的な弱点に転じた。ASML社が海外顧…
プラザ合意後の円高を契機としたタイ進出は、当初は為替リスクへの対処であったが、30年をかけて国内カメラ生産の全量をタイに移管する結果となった。2007年時点でタイ現法の従業員は7964名に達し、ニコンの映像事業を支える唯一の生産拠点に成長した。生産移管の判断は為替対応を超え、ニコ…
ニコンのステッパー事業は日本の半導体メーカーとの協業で世界シェア1位を維持したが、半導体産業の重心が台湾・韓国にシフトした局面で顧客転換に後手を踏んだ。ASML社が海外顧客との協業で好循環を確立する一方、ニコンはシェア喪失により研究開発費の原資を失い、次世代機開発で資金的に劣後す…
ニコンの中国進出はデジタルカメラ普及期のコンパクト機量産を目的としたが、スマートフォンの台頭でコンパクトデジカメ市場自体が消滅し、15年で撤退に至った。イメージセンサーをソニーに依存していたニコンはスマホ需要を自社に取り込めず、市場の構造変化が中国拠点の存在意義を根本から消失させ…
ニコンのインテル提携は、ASML社がシェア80%を確保する寡占構造の中で、単独では研究開発費を賄えなくなったニコンが事業存続を図る選択であった。インテル側にはASMLへの依存度を下げる牽制の意図があり、双方の利害が一致した。ただし450mmウエハ規格自体の不透明さもあり、提携の戦…
映像事業と半導体製造装置の二本柱が同時に不振に陥ったニコンは、外部から登用した岡副社長の主導で構造改革を実行し、1143名の希望退職と特別損失613億円を計上した。半導体装置事業の黒字化と映像事業の選択と集中という短期的な成果を上げたが、構造改革は既存事業の縮小均衡であり、次の成…