重要な意思決定
日本光学工業株式会社を設立
背景
第一次大戦でドイツ製光学機器の輸入が途絶し、海軍が国産化を要請
第一次世界大戦の勃発により、日本海軍が依存していたドイツ製の軍需光学機器(双眼鏡・潜望鏡・照準器など)の輸入が途絶した。当時の日本には光学ガラスの製造技術を持つ企業がほぼ存在せず、海軍にとって光学機器の国産化は喫緊の課題であった。この状況を受けて三菱財閥の創業家である岩崎小弥太は、海軍の要請に応える形で光学機器メーカーの設立を決断した。
三菱財閥としては精密光学機器の製造に関する知見を持っていなかったため、既存企業の買収を通じて技術基盤を確保する方針をとった。1917年に藤井レンズ製造所を取得して光学レンズの製造技術を獲得し、1918年には東京・大井に工場を新設して光学機器の量産体制を構築した。
決断
三菱の出資で日本光学工業を設立し、軍需光学機器の量産を開始
1917年に三菱財閥の出資により日本光学工業株式会社が設立された。主な生産品目は双眼鏡をはじめとする海軍向けの光学機器であり、光学ガラスの自社製造から完成品の組み立てまでを一貫して手がける体制を目指した。光学ガラスの量産には10年を要し、1927年にようやく安定的な製造に成功した。
軍需依存の事業構造のもとで日本光学は急速に規模を拡大し、1945年の終戦時には従業員約2万5000名、国内20工場を擁する巨大な軍事企業となった。しかしこの軍需100%という事業構造は、終戦と同時に全需要を喪失するリスクを内包しており、戦後の民需転換において2万名規模の整理解雇を余儀なくされる伏線となった。