重要な意思決定
1999

ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落

背景

半導体産業の重心が日本から台湾・韓国にシフトし、ニコンの顧客基盤が縮小

1990年代を通じて半導体産業の地理的構造が大きく変化した。日本の半導体メーカー(NEC・東芝・日立・三菱電機など)は日米半導体協定に伴う貿易摩擦の影響もあり、DRAM事業への積極投資を抑制した。この間にサムスン電子(韓国)やTSMC(台湾)が急速に台頭し、半導体の設備投資の重心は東アジアへとシフトした。ニコンのステッパーは日本の半導体メーカーとの緊密な協業関係を基盤に世界シェア1位を維持してきたが、主要顧客の投資縮小により、その競争力の前提が揺らぎ始めた。

オランダのASML社は、日本企業ではなく台湾・韓国で急成長する半導体メーカーとの協業体制を確立した。300mmウエハ対応機種を積極的に投入し、顧客の開発ニーズを直接汲み取る体制を構築した。ASML社は装置の販売収益を研究開発費に再投資する好循環を確立し、ニコンに対する技術的優位を拡大していった。

決断

海外顧客へのスイッチを試みるも、協業関係の構築で後手に

ニコンは海外顧客への対応を模索したが、長年の国内顧客との協業体制を基盤とした事業モデルからの転換は容易ではなかった。ステッパーの開発では顧客の製造プロセスに合わせた装置のカスタマイズが不可欠であり、新規顧客との信頼関係の構築には時間を要した。ASML社がすでに台湾・韓国の主要顧客との協業を確立していた状況で、ニコンが後発として割り込む余地は限られていた。

同じ半導体製造装置メーカーである東京エレクトロンは、この時期に国内企業から海外企業への顧客転換を実行し、世界シェアを維持した。東京エレクトロンとニコンの明暗は、顧客基盤の地理的転換を実行できたか否かという一点に帰着する。吉田庄一郎(当時相談役)も「ステッパーが数年おきにもたらす巨額の利益のおかげで、のんびりした社風を維持できた」と述べており、好況期の利益が社内の変革意識を鈍らせた可能性を示唆している。

結果

3期にわたる最終赤字に転落し、ステッパー事業の競争力を構造的に喪失

1998年を機にニコンはステッパーの世界シェアを急速に落とし、FY1998に182億円、FY2001に60億円、FY2002に81億円の最終赤字を計上した。5年間で3回の最終赤字は、ステッパー事業の収益構造が根本的に変化したことを示していた。シェアを失ったことで装置の販売収益が減少し、研究開発費の原資が縮小するという悪循環に陥った。

ASML社は顧客との協業で得た収益を巨額の研究開発投資に充て、次世代機の開発で技術的優位を確立した。ニコンは顧客を失ったことで研究開発費を十分に確保できず、次世代のステッパー開発において資金面で劣後した。装置の性能向上には光学系と制御系の両面で多額の投資が必要であり、シェアの縮小と研究開発費の不足が相互に強化する構造的な劣位に陥った。