重要な意思決定
1990

カメラ生産をタイに移管

背景

プラザ合意後の円高で国内生産による輸出採算が急速に悪化

1985年のプラザ合意によって円高ドル安が急進し、ニコンのカメラ・レンズ事業は国内生産による欧米輸出の採算が大幅に悪化した。カメラは精密機器であり、組み立て工程に多くの労働者を必要とすることから、国内の人件費上昇が直接的にコストを押し上げた。ニコンはカメラ・レンズの売上の多くを海外市場に依存しており、円高による価格競争力の低下は事業存続に関わる課題であった。

1960年代から1980年代にかけて、ニコンは国内に栃木ニコン・水戸ニコン・仙台ニコンなどの生産子会社を展開し、地方の低廉な労働力を活用する体制を構築してきた。しかしプラザ合意後の為替変動は、国内のどの拠点でも吸収しきれない水準に達しており、海外への生産移管が不可避となった。

決断

1990年にタイへの進出を決定し、カメラの海外生産を本格化

1990年にニコンはタイに現地法人を設立し、翌1991年にタイに工場を新設してカメラの現地生産を開始した。東南アジアの中でタイを選定した背景には、比較的安定した政治環境と豊富な労働力の確保が可能であった点がある。タイ工場はニコンの海外における主力生産拠点として位置づけられ、カメラ本体とレンズの量産を段階的に移管した。

タイ拠点は急速に規模を拡大し、2007年3月期には現地法人の従業員数が7964名に達した。カメラの海外生産比率は年々上昇し、ニコンの映像事業における生産体制はタイを中心とする構造に転換した。

結果

30年かけて国内からの生産移管を完了し、タイが唯一のカメラ生産拠点に

2021年にニコンは日本国内におけるカメラの生産(仙台ニコンが担当)を終了し、タイへの生産移管を完了した。タイでの現地生産開始から30年を経て、カメラの国内生産は終了し、タイが唯一の生産拠点となった。2024年時点でもこの体制は維持されている。

1990年のタイ進出は、ニコンのカメラ事業における最も重要な意思決定の一つであった。円高対応という当初の動機を超えて、タイ拠点はニコンの映像事業を支える生産インフラとして定着した。一方で、タイへの一極集中は洪水などの自然災害リスクを伴い、2011年のタイ大洪水ではニコンの生産にも影響が及んだ。