決断
主流の方式を採らず、量産の前例がない一眼レフに製品を絞った。1952年に量産第1号のアサヒフレックスを発売し、1954年にはミラーが戻らない難点を解くクイックリターン装置を世界に先がけて開発、1957年のペンタプリズム式"アサヒペンタックス"で一眼レフの専業メーカーとして立った。販売は分離した旭光学商事へ一括委託し、本体は製造に専念する。1970年6月期は売上135億円の96.2%を一眼レフとその付属品が占めた。1993年3月期に93億5,300万円の最終赤字を計上したときも人員は減らさず、前年11月に松本徹社長を委員長とする再建組織委員会を設け、原価低減と海外生産比率の引き上げで立て直した。
2007年4月 HOYAとの合併撤回
業績の推移2006 2007 売上高(億円) 1,422 1,573 経常利益率(%) 2.3 3.2 1992年11月 解雇に頼らぬ全社原価低減
解雇に頼らぬ全社原価低減2期連続の最終赤字を受け、人員削減によらない全社的なコストダウンと生産拠点の海外移管で利益体質を再構築する再建同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移1992 1997 売上高(億円) 1,104 1,161 純利益率(%) -3.0 2.8 1957年 アサヒペンタックスの開発