タムロン の歴史

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創業 1952年
創業者 新井健之
創業地 埼玉県浦和市
創業
1952年10月、新井健之氏が埼玉県浦和市に資本金250万円で泰成光学工業株式会社を設立した。カメラ本体を作らず、レンズの設計と製造だけを手がける独立系として出発している。1957年には世界初のマウント交換式のTマウントを開発し、レンズ側のマウントを替えればニコンやキヤノンなど約200種の一眼レフに1本を装着できるようにした。1959年9月に本社と工場を大宮市蓮沼へ移し、1969年5月には青森県弘前市に弘前工場を建てる。1970年4月、1950年代後半から交換レンズのブランドに使っていた名を商号へ採り、株式会社タムロンへ変更した。1981年1月には泰成光学工業・タムロン商事・和宏光機の3社を吸収合併している。
決断
独立系のまま規模を拡大し、社内昇格の系列は21年で断たれた。1996年1月にブロニカから中判カメラの営業を譲り受け、1998年7月に同社を吸収合併して、レンズに閉じていた事業をカメラ本体まで広げた。2006年11月には東京証券取引所市場第一部へ上場する。経営は2002年就任の小野守男氏が約14年、2016年に副社長から昇格した鯵坂司郎氏が7年と、生え抜きの社内昇格で継がれた。2023年8月、経費の私的流用が発覚した鯵坂司郎社長が引責辞任し、光学開発出身の桜庭省吾副社長が昇格した。同年11月の特別調査委員会は歴代2社長による合計1.6億円超の経費の私的流用を認定し、会社は役員報酬の減額と前社長らへの損害賠償請求を決めた。現職と前任の社長が同時に名指しされたことが、信託銀行・警察庁・監査法人・弁護士の出身者を並べる社外取締役の構成へ組み替えさせた。
現況
利益の8割近くを、現在も写真用の交換レンズが出している。2025年12月期の連結売上高851億円のうち写真関連事業が606億円、そのセグメント利益156億円は3事業の合計の78%にあたる。監視・FA関連事業は売上121億円・利益17億円、モビリティとヘルスケアなどは売上123億円・利益27億円で、後者は2020年12月期の57億円から2.2倍に伸びた。全社の営業利益166億円は前期の192億円から減ったものの、私的流用が顕在化した2023年12月期の136億円は上回る。純正にない焦点距離とF値で品揃えを埋める役回りが、写真関連事業に25.8%のセグメント利益率を残している。
競合
純正を作る相手が、レンズの規格だけは他社へ開いた。ソニーはEマウントの仕様をサードパーティーへ開放した一方、ミラーレスのニコンZとキヤノンRFは当初は他社のレンズを締め出した。タムロンは開かれたEマウント向けに独自設計のレンズを集中して投入し、2018年のフルサイズ用28-75mm F2.8で純正にない仕様を埋める道を選んでいる。一眼レフ本体の側では、1,143名の希望退職を含む全社の構造改革に踏み切ったニコンのように市場の縮小へ人員で応じた社もある。本体メーカーが人員を減らした10年に、レンズだけを作る側の売上高は2016年12月期の599億円から2025年12月期の851億円へ1.4倍になった。
タムロン:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2005年12月期2025年12月期

創業ストーリー 泰成光学工業から「タムロン」へ ── レンズ専業メーカーの形成 (1952年〜)

戦後復興期の埼玉浦和で創業

1952年10月、埼玉県浦和市に[1]『泰成光学工業株式会社』が資本金2,500千円で設立された[2]。戦後復興期の日本では、米国占領下で輸出産業として光学機器・カメラへの期待が高まり、ニコン(日本光学工業)・キヤノン・オリンパスといった老舗光学メーカーが朝鮮戦争特需を経て再建を進めていた時期である。泰成光学工業はこうした老舗の周辺で、レンズの設計・製造を専門とする独立系メーカーとして出発した。創業者は新井健之氏で、社名の『泰成』は同氏の信念を反映した命名と伝えられる。当時の日本のカメラ・光学業界では、カメラ本体メーカー(ニコン・キヤノン)と、それらにレンズを供給する独立系レンズ専業メーカーという二層構造が形成されており、泰成光学工業は後者の側で事業を立ち上げた典型例である。

  • タムロン 有価証券報告書(沿革)
    • [1]設立時資本金は2,500千円
    • [2]1952年10月 埼玉県浦和市に泰成光学工業株式会社を設立(資本金2,500千円)

1959年9月、本社および工場を埼玉県大宮市蓮沼に新設移転する[3]。創業地の浦和から大宮へと埼玉県内での移転で、より広い工場用地での生産能力拡張を狙った設備刷新である。当時のレンズ製造は研磨工程の手作業比率が高く、熟練工の確保とその作業環境の整備が事業競争力の中核であった。1966年6月には資本金を6,000万円へ増資し[4]、財務基盤を一段強化した。創業から14年で資本金は当初の24倍へと膨らみ、戦後復興期の光学機器需要を取り込んで事業を拡大した。レンズ専業メーカーとして、カメラ本体メーカー各社への OEM 供給を主力としつつ、独自ブランドの交換レンズ事業も展開する二軸体制が、1960年代後半に確立された。

  • タムロン 有価証券報告書(沿革)
    • [3]1959年9月 本社および工場を埼玉県大宮市蓮沼に新設移転
    • [4]1966年6月 資本金を6,000万円に増資
  • タムロン 有価証券報告書(沿革)
    • [1]設立時資本金は2,500千円
    • [2]1952年10月 埼玉県浦和市に泰成光学工業株式会社を設立(資本金2,500千円)
    • [3]1959年9月 本社および工場を埼玉県大宮市蓮沼に新設移転
    • [4]1966年6月 資本金を6,000万円に増資

弘前工場建設と「タムロン」商号採用

1969年5月、青森県弘前市に弘前工場を建設[5]する。埼玉県大宮の本社・工場に続く第2拠点として、より広い土地と人件費の低い地方都市での生産能力確保を狙った戦略立地である。弘前は江戸時代以来の城下町で工業基盤は薄かったが、戦後の高度成長期に各社が地方分散の工場を立ち上げる流れの中で、津軽地方への工場誘致は地元自治体の積極姿勢にも支えられていた。タムロンが青森県内で複数拠点(弘前・浪岡・大鰐)を運営する原型がこの1969年の弘前工場で確立された形となる。1970年4月、商号を『株式会社タムロン』に変更[6]する。『タムロン』の名称は同社の交換レンズブランドとして1950年代後半から使用されていたもので、本体商号とブランドを統一する商号変更であった。当時の独立系レンズメーカーは商標ブランドの認知度確立が販売の鍵であり、社名とブランドの一体化はマーケティング戦略上の重要な意思決定である。

  • タムロン 有価証券報告書(沿革)
    • [5]1969年5月 青森県弘前市に弘前工場を建設
    • [6]1970年4月 商号を「株式会社タムロン」に変更

1971年4月、東京都板橋区にタムロン商事株式会社を設立[7]して販売子会社を立ち上げた。生産(埼玉大宮・青森弘前)と販売(東京板橋)の機能分離で、商流の効率化を図る組織設計である。1976年9月には東京都北区滝野川に[8]本社を移転する。埼玉県大宮の生産拠点と、東京都心からアクセスの良い北区滝野川の本社を分けることで、営業・経営機能を東京に置く運営体制を整えた。1978年12月、『株式会社杉本商店』に吸収合併[9]されタムロンに商号変更するという、株式額面金額変更のための形式上の存続会社化を実施する。資本構造の再編と税務上の効率化を狙った組織再編で、対外的な事業実態は維持しつつ法人格を切り替えた形式的な手続きである。1979年4月、アメリカに『タムロン・インダストリーズ INC[10].』(現 TAMRON USA INC.)を設立した。初の海外子会社設立で、米国市場参入を実現する。北米はカメラ・交換レンズの最大消費市場で、独立系レンズメーカーとしてニコン・キヤノン純正レンズに対抗できるラインナップを米国流通網に直接届けることが、海外展開の最重要課題であった。

  • タムロン 有価証券報告書(沿革)
    • [7]1971年4月 東京都板橋区にタムロン商事株式会社を設立(販売子会社)
    • [8]1976年9月 東京都北区滝野川に本社移転
    • [9]1978年12月 株式会社杉本商店に吸収合併されタムロンに商号変更(株式額面金額変更のための形式上の存続会社化)
    • [10]1979年4月 アメリカにタムロン・インダストリーズ INC.(現 TAMRON USA INC.)を設立
  • タムロン 有価証券報告書(沿革)
    • [5]1969年5月 青森県弘前市に弘前工場を建設
    • [6]1970年4月 商号を「株式会社タムロン」に変更
    • [7]1971年4月 東京都板橋区にタムロン商事株式会社を設立(販売子会社)
    • [8]1976年9月 東京都北区滝野川に本社移転
    • [9]1978年12月 株式会社杉本商店に吸収合併されタムロンに商号変更(株式額面金額変更のための形式上の存続会社化)
    • [10]1979年4月 アメリカにタムロン・インダストリーズ INC.(現 TAMRON USA INC.)を設立

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タムロンの沿革1952〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1952〜1979年泰成光学工業から「タムロン」へ ── レンズ専業メーカーの形成泰成光学工業を設立
本社・工場を新設移転
資本金6000万円に増資
弘前工場を新設
商号をタムロンに変更
タムロン商事を設立
本社移転
杉本商店に吸収合併されタムロンに商号変更
タムロン・インダストリーズ INC.を設立
1979〜2015年海外展開と一部上場 ── ブロニカ買収と中判カメラ事業泰成光学工業・タムロン商事・和宏光機の3社を吸収合併
オプテック・タムロンを設立
資本金8億5157万円に増資
金型設計製作会社のファイン技研を買収し子会社化
成形工場を新設
オプテック・タムロンを吸収合併し浪岡工場に
TAMRON U.K. Ltd.を設立
ブロニカより中判カメラ営業を譲受★★
中国香港にタムロン工業香港有限公司を設立
ブロニカを吸収合併★★
TAMRON France EURL.を設立
小野守男TAMRON U.K. Ltd.を清算
小野守男資本金65億5257万円に増資
小野守男本社移転
小野守男東京証券取引所市場第一部に株式を上場
小野守男Tamron (Russia) LLC.を設立
2016〜2025年歴代2社長の私的流用問題と再建期桜庭省吾歴代2社長の経費私的流用の発覚と社長の引責辞任、桜庭省吾体制でのガバナンス再建

2023年8月22日、経費の私的流用が発覚した鯵坂司郎社長が引責辞任し、同日付で桜庭省吾副社長が社長に就任した経営判断である。同年11月の特別調査委員会は歴代2社長による合計1.6億円超の私的流用を認定し、会社は役員報酬の減額と前社長らへの損害賠償請求に踏み切った。

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出典・参考
  • タムロン 有価証券報告書(沿革)

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