米サウスランド社の買収(1991年・セブンイレブン・ジャパンの決断)更新:2026/10/15論点破綻したライセンス元を引き受けるかセブンイレブン・ジャパン:業績の推移売上高(億円)データ出所ライセンス元であるイトーヨーカ堂との共同出資による再建の引き受け何をなぜ決めたか:ライセンス元であるイトーヨーカ堂との共同出資による再建の引き受け概要1991年3月5日、ニューヨークでイトーヨーカ堂グループによる米サウスランド社の株式購入手続きが完了した。払い込んだのは4億3,000万ドル(約700億円)で、取得したのは発行済株式の69.98%にあたる。資金の分担はイトーヨーカ堂51%、セブンイレブン・ジャパン49%であった。1973年11月にサウスランド社とのエリアサービスおよびライセンス契約で出発した会社が、18年後にライセンス元の株式の7割近くを握る逆転となった。背景サウスランド社は1987年9月に非上場化を発表し、株式を担保に銀行から49億ドルを借りた。短期の借入を長期へ切り替えるため18億ドル分の社債を年率17〜18%で発行し、年間約3億ドルの金利を抱えた。1988年からは祖業の製氷会社、自動車部品店550店、セブン-イレブン8,200店のうち1,100店分を売却した。1990年1月、サウスランド社はイトーヨーカ堂に支援を要請した。1990年12月期は約2億7,600万ドルの損失を計上したが、売上高は83億4,700万ドルと前年より約1%伸びていた。同じ1990年に連邦破産法を申請し、ヨーカ堂グループへの身売りを決めた。内容ジャンク債の保有者に高利の社債を新しい社債や株式と交換してもらう交渉は難航し、オファーは3回改訂されて4回目でようやく合意した。鈴木敏文社長は、小売部門の既存店売上高が1990年度も前年比4%伸びていたことから、金利負担を軽くすれば健全な収益構造を確立できると判断した。3月20日にダラスで開いた新生サウスランド社の第1回役員会で、伊藤雅俊イトーヨーカ堂社長が会長、鈴木敏文社長が副会長に就任した。取締役15名のうち10名をヨーカ堂グループが占め、トンプソン兄弟が3名、債券保有者が2名を出した。運営手法の移植は、1989年12月に買い受けたハワイ事業部で先に試していた。58店舗の取得額は7,500万ドルである。本体を買ってもフランチャイズ契約はそのまま残し、日本人スタッフは常駐させない方針をとった。含意立て直しは財務から進んだ。ヨーカ堂グループの信用力を後ろ盾にして、金利の高いジャンク債を低金利の金融商品に置き換え、1994年度に税引き前の損益が黒転した。1995年度の税引き前利益は1億150万ドル、債務超過額は1990年度の約20億ドルから8億8,000万ドルへ縮んだ。その一方で、1995年度の売上高は不採算店の閉鎖により1990年度より約2割減少した。店の立て直しは、テキサス州オースチンの50店舗でディスカウントをやめて商品を入れ替えるところから始め、売上高は前年比で平均17%伸びた。鈴木敏文社長は買収から約1年後に『見通しではもう95%は大丈夫というところまでは来ていますし、われわれもある程度自信は持っています』と自信を見せたが、全米6,600店のうちの50店にすぎなかった。いつ何が起きたか9件考察:買ったのは店舗網か、金利の除去か考察考察:買ったのは店舗網か、金利の除去か4億3,000万ドルという値段の裏にあったのは、店舗網の取得よりも金利の除去であっただろう。1990年12月期のサウスランド社は巨額の損失を計上しながら、売上高を前年より約1%伸ばしていた。改修も仕入れも止まったまま売上が落ちなかった以上、壊れていたのは商売ではなく資本であった。18億ドルの高利の社債を新しい社債や株式へ振り替えれば消える種類の損失だと見分けたところに、交渉を担った鎌田誠晧専務が底力と呼んだ評価の実質がある。もっとも、資本の傷が癒えても店の力がすぐ戻ったわけではない。1995年度の売上高は不採算店の閉鎖で1990年度より約2割減少し、ディスカウントをやめる試みも買収から1年の時点では一部の店にとどまっていた。鈴木敏文社長が日本人を常駐させず、オースチンの一角から手順を示していったのは、店の力を戻す作業に金利の処理よりはるかに長い時間がかかると初めから見込んでいたからかもしれない。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考Decide 1991年(9巻4号)日経ビジネス 1995年1月9日号日経ビジネス 1991年4月29日号イトーヨーカ堂グループ毎日が業革 鈴木敏文のしなやかな経営戦略(徳間書店, 1991年)日経ビジネス 1996年7月15日号Decide 1992年(9巻11号)セブン-イレブン・ジャパン 会社案内「セブン-イレブンの会社概要2 企業業績・沿革」次に読む決断セブンイレブン・ジャパンの意思決定1979年セブンイレブン・ジャパンセブンイレブン・ジャパンイトーヨーカ堂傘下で上場親会社が過半を保有したままの東証二部上場、いわゆる親子上場の選択1979年2000年セブンイレブン・ジャパンセブンイレブン・ジャパンセブンドリーム・ドットコム設立店舗網を電子商取引の受け渡し拠点へ転用する事業の立ち上げ2000年同じ問い:買収によるグローバル経営1990年日本精工日本精工英UPIの全株式取得現地最大の軸受メーカーの取り込みと、中国・ポーランドへの生産拠点の設置1990年1990年富士通富士通英ICL買収で3極体制欧州拠点の取り込みによる、欧州・北米・日本にまたがるメインフレーム供給体制の構築1990年1988年ブリヂストンブリヂストン米ファイアストンの買収米タイヤ大手の取り込みによる世界首位への跳躍1988年1986年DICDIC米サン・ケミカル部門買収グラフィックアーツ部門の取得による印刷インキ世界首位への到達1986年1985年住友ゴム工業住友ゴム工業英ダンロップ事業を取得保有株の取得による欧州3社・米国のタイヤ事業の取り込み1985年×出所