日本精工英国最大の軸受メーカーUPIの全株式取得と、中国・ポーランドへの生産拠点の設置

自前の工場を増やすか、現地最大手を丸ごと買うか——欧州で3%だったシェアの埋め方

時期 1990年3月
意思決定者(推定) 取締役会
論点 欧州事業の規模と世界順位
概要
1990年3月、日本精工は英国ノッティンガム州の英国最大の軸受メーカー、UPI社の株式を100%取得した。欧州で自前の工場を1カ所しか持たなかった会社が、現地最大手の製造・販売網をまとめて手に入れた買収である。以後1998年までに中国・インドネシア・インド・ポーランドへ拠点を並べ、スウェーデンのSKF、ドイツのシェフラーに次ぐ世界3位の位置を確保した。
背景
1981年の世界市場でSKFのシェアは23%、ティムケンが11%、FAGが9%を占め、日本精工は8%で4位であった。欧州市場に限るとSKFが32%を占め、日本精工は日本からの輸出分を含めても3%にとどまっていた。英国ダーラム州のピータリー工場は1976年に操業を始めていたが、従業員230人の1工場では欧州の需要に届かなかった。
内容
UPI社の全株式取得により、日本精工は欧州の軸受製造能力と販売網を一括して取り込んだ。1994年にインドネシア、1995年に中国江蘇省昆山、1997年にインドのRane社との合弁、1998年にポーランド国有企業FLTイスクラの株式70%取得と、買収と合弁を並べて拠点を広げた。
含意
世界3位の位置は確保されたが、買収で得た欧州の生産設備は固定費として残った。2023年の決算説明会では、急激なインフレと工場などの固定費の大きさによる欧州の収益悪化が最優先の課題に挙げられ、欧州本社機能と工場の再編が始まった。ポーランド拠点はこの構造改革の対象となっている。
筆者の見解

買った順位と、抱えた設備

欧州で3%のシェアしか持たない会社が、その市場の最大手を丸ごと買った。1974年に置いたピータリー工場は年2,400万個の能力で優良な収益を上げていたものの、SKFが32%を占める市場でその1工場を積み増していく道筋は遠かった。接触から受注まで2年かかる保守的な顧客を相手に、自力で取引を開いていく時間を金で買った判断だったとみられる。世界4位から3位へという半歩の前進は、この方法でなければ届かなかったといえる。

ただし、買ったものは順位だけではなかった。UPI社の工場も、1998年に取得したポーランドの工場も、需要が細れば稼働率の重荷に変わる設備であり、2023年には欧州の固定費の大きさが最優先の課題として挙げられている。現地生産を続ける品種を選び直す作業は、30年前に取り込んだ製造網の輪郭を描き直す作業でもある。規模を買う判断は、規模を維持する費用を長く背負う判断と同じものであったとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

欧州で3%だった存在

軸受の世界市場は、欧州の老舗が押さえていた。1981年の2兆円規模の市場で、スウェーデンのSKFがシェア23%、米国のティムケンが11%、西ドイツのFAGが9%を占め、日本精工は8%で4位であった。欧州市場に限れば差はさらに開き、SKFが32%を握るのに対し、日本精工は日本からの輸出分を含めても3%にとどまっていた。欧州の顧客に自社製品を採らせることが、この会社の長い課題であった[1]

参入の壁は価格や品質だけではなかった。欧州の現地法人NSKベアリングズ・ヨーロッパの社長を務めた河崎利昭氏は、ユーザーが非常に保守的で、接触してから実際に発注を受けるまでに2年かかったこともあると振り返っている。長く使われてきた軸受を別のメーカーの製品に置き換える判断は、機械を止めるおそれをともなう。既存の取引関係に割り込むには、現地に工場を持つだけでは足りなかったとみられる[2]

自前の工場が届く範囲

欧州の生産拠点は、1974年4月に英国ダーラム州へ置いたピータリー工場1カ所であった。1976年初めに操業を始め、1982年4月期の現地法人の売上高は1,000万ポンド、従業員は270人で、うち日本人が14人であった。工場では230人が働き、売上高経常利益率は10%を超え、銀行からの借入もない優良な収益を上げていた。ただし1983年時点の生産能力は年2,400万個で、2兆円市場を分け合う欧州勢と規模で並ぶものではなかった[3]

会社は1980年の時点で、輸出から現地生産へ重みを移す目標を数字で示していた。当時の海外生産額と日本からの輸出額の比はおよそ1対2で、これを1対1へ近づけると掲げていた。欧州共同体とのダンピング問題のような貿易摩擦が完全になくなることはないという読みが前提にあった。自前の工場を建てて能力を積み増す方法では、この比率を反転させるまでに長い年月がかかる計算であった[4]

決断

英国最大手を丸ごと取得する

1990年3月、日本精工は英国ノッティンガム州に本拠を置く英国最大の軸受メーカー、UPI社の株式を100%取得した。自前の工場を建てて能力を積み増すのではなく、現地で長く商いをしてきた最大手の設備と顧客をまとめて手に入れる方法であった。欧州で3%だったシェアを埋める手段として、日本の軸受メーカーが欧州の現地大手を丸ごと買った例は、この時点では先行する動きであった[5]

買収の中身は販売拠点の獲得にとどまらなかった。UPI社は英国最大の軸受メーカーであり、その全株式を取得することで、日本精工は英国内の製造の設備と顧客をそのまま引き受けた。1980年代を通じて韓国や国内に工場を積み増してきた会社にとって、欧州勢の本拠地に相手方の資産そのもので切り込む手であった。日本精工は以後、スウェーデンのSKF、ドイツのシェフラーに次ぐ3番手として世界市場に並んでいる[6][7]

買収と合弁を並べた8年

UPI買収の後、日本精工は需要が伸びる地域へ拠点を並べていった。1994年4月にインドネシア・ベカシ県へNSKベアリング・インドネシア社を設け、1995年7月には中国江蘇省昆山市にNSK昆山社を設立して中国での生産を始めた。1997年6月にはインド・タミルナドゥ州チェンナイ市で、現地のRane社との合弁によりラネーNSKステアリングシステムズ社を立ち上げた。自前の設立と現地企業との組み合わせを、地域ごとに使い分けていた[8]

東欧へは国有企業の株式取得で入った。1998年1月、日本精工はポーランドの国有企業FLTイスクラ社の株式70%を取得して子会社とした。社会主義体制の下で軸受を作ってきた工場が、現NSKベアリング・ポーランド社として同社の欧州網に加わった。UPI買収から8年で、英国・ポーランド・中国・インド・インドネシアに製造の足場が並び、世界3位という順位に事業の実体がともなうようになった[9]

結果

3位の位置は確保された

1980年代に4位だった順位は、この一連の投資を経て3位へ上がった。1992年3月期の連結売上高は4,456億円で、当期純利益は62億円であった。以後の日本精工は、SKFとシェフラーを追う3番手として世界の市場を分け合う立場に置かれ、2020年代に入っても業界3位という位置づけで語られている。欧州の現地大手を買う判断は、この順位を支える資産をもたらしたとみることができる[10][11]

一方で、買った資産は費用としても残った。1990年代に英国とポーランドへ広げた生産設備は、需要が伸びる時期には規模の裏づけとなり、需要が細る時期には稼働率の重荷に変わる性格を持つ。2023年5月の決算説明会で会社が挙げた欧州の収益悪化の理由は、急激なインフレと、事業運営や工場などの固定費が大きくなっていることであった。取得時に築いた地理的な配置が、四半世紀後には見直しの対象になった[12]

欧州が構造改革の対象になる

2023年5月の決算説明会で、会社は地域別の課題として最優先で欧州の改善に着手すると述べた。欧州の収益悪化の理由は、急激なインフレと、事業運営や工場などの固定費が大きくなっていることであった。対策として欧州本社機能と工場の再編を挙げ、その年度に着手して翌年度の完了を見込むとしている。1990年代に買収と合弁で築いた欧州の体制が、30年を経て縮小の側から見直された[13]

再編は一度で終わらなかった。2025年5月の説明会では、欧州の構造改革の追加施策について、需要環境を踏まえながらコスト競争力に焦点を当て、品質や顧客からの現地調達の要求を考慮して現地生産を続ける品種を選んだと説明された。追加の構造改革費用の多くは自動車関連で、工場の固定費や設備費の削減が効果として見込まれた。買収で得た欧州の製造網は、作る品種を選び直す段階に入っていた[14]

出典・参考
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
  • 日本精工 会社年鑑(連結業績)
  • 日本精工 2023年3月期 決算説明会 質疑応答
  • 日本精工 2025年3月期 決算説明会 質疑応答
  • 日経ビジネス 1983年7月25日号「NSKベアリングズ・ヨーロッパ(日本精工=英国)世界の巨人相手に奮戦、がっちり稼ぐ」
  • 日経ビジネス 1980年12月1日号「ケーススタディ 日本精工 在庫圧縮の効率経営と多角化が奏功」
  • 日経ビジネス(2024年8月26日)「業界3位の逆襲」

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